「ええ、1990年の総選挙の時にミャンマー全労働組合の支持を受けて当選したNLDの議員で、ラ・ウーという人物がいるんです。その人と私は強い信頼関係があるので、彼を介してNUGに、『民主化を望む国内外のミャンマー市民は、ロヒンギャと協力して国軍による独裁政権を倒すべきだ』というメッセージを送りました。そのために私たちがまずやらなあかんことは、自国によるロヒンギャの殺害、大虐殺を事実として認めること。ミャンマーではロヒンギャのことはフェイクニュースとして流布しとるわけやからね。事実を認めることから始めないと私たちは連帯できない。でも、なかなか私の話は通じなかった。NLDの政治家たちからすれば、ロヒンギャ迫害を認めなかったスーチーさんをも否定することになるわけですから。けど、私は伝えました。『それは別の問題です。スーチーは国家顧問といっても、実権上はただの外務大臣にすぎず、直接的な責任はない』と。虐殺の犯人は、ミャンマー国憲法を読んでみれば明確です。国軍に命令を下すことができるのは1人だけ。それはミャンマー国軍の最高司令官です」
――現在の最高司令官は、かつて差別煽動のコメントが酷くてツイッターやフェイスブックのアカウントが凍結されたミン・アウン・フライン将軍ですね。ただ、スーチーは2019年、オランダ、ハーグのICJ(国際司法裁判所)の法廷においてロヒンギャに対するジェノサイドを否定しました。彼女もこういう罪は背負わないといけないのではないですか。
「それはわかります。スーチーさんの発言は事実とは違いますから、ロヒンギャの人たちの失望は大きかった。この証言が裁判にどのような影響を与えたかは考えないといけません。
ただ、スーチーさん自身が虐殺指令を出したわけではない。スーチーさんには、これを機会に歴史修正に加担したことを謝罪して、真実に向き合って欲しいと、私ははっきりNUGに伝えました」
――さらに言うと、日本外交も同様です。国軍とのパイプを大事にしないとミャンマー政府は中国との親和性を強化するという理屈をかざして、ロヒンギャの虐殺を看過してきました。要は国軍べったりで、ジェノサイドに対して他国が経済制裁をしても、ミャンマーへの莫大な投資を継続していた。米国やヨーロッパ諸国が賛成していた国連第三委員会の迫害非難決議も棄権しています。
「特に丸山市郎駐ミャンマー日本大使は、ロヒンギャの虐殺には軍隊の関与がなかったとか、ロヒンギャは『ベンガル人』やとか、酷いことを公言していました。まだ『これらの事を軍が主張しています』と、第三者が伝え聞いた形で言うのなら、わかります。ところがや、日本の大使が国軍の広報官になってもうた」
アウンミャッウインは、ここでお茶を一口飲むと、ため息を漏らした。
「外交官なら、彼が言うべき言葉は、『虐殺があったかどうかは私が言うことではなくて、国際裁判所が判断することです。国際社会や国連が見ている中で、裁判で出された判決に、ミャンマー人たちがどういうふうに向き合うかが重要です』、そういうふうに言わなければあかんのを、自分がミャンマー国軍の一員みたいに、見てきたように虐殺関与の事実を否定した。大使として、あってはいけない発言をしているんです。実際、軍の関与で虐殺はあった。そもそも軍が関与してなければ、誰があんな大規模なジェノサイドをやるんや」
――日本の外務省の言い訳は散々聞いてきましたが、結果、国軍や国軍閥の企業をサポートし、この軍事クーデターに加担していたことになるわけですから、その反省と総括は必要でしょう。
軍政打倒のための民族間共闘は成立するのか
――ラ・ウーさんを通じ、NUGにロヒンギャとの和解と共闘を説いたのはいつごろですか?
「軍事クーデターが2月1日に起きて、2月5日に連邦議会の有志議員が連邦議会代表委員会(CRPH)を立ち上げたときからです。CRPHがNUGに移行する前の段階からです」
――CRPHの中心的なメンバーであるドクター・ササが「ロヒンギャは私たちの兄弟である」と公式に発言していましたね。
「ドクター・ササは、今はNUGの大臣です。その彼がロヒンギャについてそう発表した。それで国内外のミャンマー人がロヒンギャのことを受け入れるようになりました。だから、今まで私にボロカス言うてきた人たちが、今までごめんなさいとかいうメールを送ってきたり、直接謝ってきたんです。ロヒンギャと、それを排除してきた他の民族の人たちがどこまで仲良くなるかはわからないんですけど、意識が変わってきたということです」
――ただ、ラカイン州の少数民族のうち、仏教徒のアラカン族と、ムスリムのロヒンギャはまだNUGの閣僚には入っていません。
「そこが課題ですね。全民族が一枚岩になっていないんです。NUGにはクーデター後、抗議デモのリーダーとしてがんばったイティンザーマウンという若い女性も副大臣として入っていますし、カチン族など多民族で構成されていますが、確かにアラカンとロヒンギャというラカイン州の二つの民族が入っていません。まずアラカンにはNUGの方から、私たちの政権に入って下さいとオファーを出した。でもアラカン側は断ったんですよ。これは武装勢力AA(アラカンアーミー)のリーダーであるトウンミャーナインが、ツイッターではっきり書いています、『NUGが私たちにリスペクトを示して政権に入ってほしいと呼ばれたけれど、私たちには私たちの考え方があって、入りませんでした』と」
――AAは連邦国家の一員としてミャンマーの政治に参画するのではなくて、ラカイン州の独立を考えているからですか。
タン・シュエ
1933年生まれ。1992年から国軍最高司令官を務め2011年に政界を引退した。
キン・ニュン
1939年生まれ。1983年から国防省情報総局局長に就任。2003年から首相となったが2004年に解任された。
臨時亡命政府
ビルマ連邦国民連合政府ともいう。本拠はアメリカに置かれた。2012年解散。
国民統一政府
クーデター後の2021年4月、NLD議員を中心とした民主派が新たに結成した政府。ただし国軍は国民統一政府を承認していない。
ICJ(国際司法裁判所)の法廷
2019年11月、イスラム諸国の「イスラム協力機構(OIC)」の代表として、アフリカのガンビアがミャンマー政府を提訴して開かれた法廷。ガンビアは原告として、ロヒンギャへの迫害が国際条約で禁じられる「ジェノサイド」だと主張した。ジェノサイドにあたるかどうかの判断には今後数年を要するとみられているが、2020年1月、ICJはロヒンギャの弱い立場を鑑み、ミャンマー政府に仮保全措置として、ロヒンギャへの迫害行為を防止するためにあらゆる方策を講じるよう緊急命令を下した。