してみると、大アルバニア主義を提唱するのは圧倒的多数派を占めるアルバニア人有権者向けのポーズなのか。いずにしても一筋縄ではいかない首相による介入を受けて「ともにニュース番組を制作することで民族融和を実現させる」プロジェクトは困難を強いられた。
民族間の衝突事件
「私たちは正直、第1フェーズのときの遺産を食いつぶすようなかたちで、何とか第2フェーズを乗り切りました。結局バルカンという所は、すべてがいまだに政治と党派制に左右されるんです」
――第2フェーズの最中であった2023年9月24日にまた民族間の武力衝突事件が起こりました。コソボ北部(バニスカ)のセルビア人地域で、セルビア系武装グループが現地で警戒業務を行っていたコソボ警察のアルバニア人警察官を射殺しました。警察も反撃して武装グループの3人が死亡するという事態になった。またしても起きた民族憎悪を煽るこの殺傷事件について「In Focus」はどのように伝えたのでしょうか。
「アルバニア系(RTK1) とセルビア系(RTK2)の共同制作番組『In Focus』は、途切れることなく放送が続いてきましたが、この9月の放送は衝突事件の影響を直接受けることになりました。このときのテーマは、『コソボとセルビアの関係正常化交渉の行方』というタイトルで、最も重要な外交課題を取り上げる予定だったのです。関係者のインタビューなども取材済みでしたが、24日に衝突が起きたことで状況は一変しました。
こうした衝突事件が起きると、両民族の偏向の強い視聴者からRTKの伝え方やコメントについて攻撃的な反応が寄せられることが多いのです。我々とRTKの担当者とで協議を行い、RTK側からは、平常時なら当然やるべき番組だが、こうした状況下では、『番組のプレゼンターであるアルバニア系、セルビア系の局員に対する非難や中傷が心配だ』との強い懸念が寄せられました。結局その意向を汲んで9月については、『In Focus』の放送はやむなく中止する決定を行いました」
――残念でしたね。ある意味で絶好の取材ケースですが、そこで憎悪が煽られて分断が進んだら本末転倒なので、判断の難しいものであったと思います。
支局を作る
――第2フェーズの成果について教えてもらえますか。
「まず支局開設については、南部の拠点都市プリズレンに2022年の6月に北部のセルビア系住民の多いミトロビッツァには2023年3月に、それぞれ支局が開かれました」
――ミトロビッツァはセルビア人の大きなエンクレーブ(民族集住地域)があります。そこで「In Focus」のような試みが展開できると良いですね。プリズレンはアルバニア系、セルビア系、トルコ系、ロマ系、ゴラン系と多民族の地域ですね。プリズレンの支局ができたことで、他民族性という地域の特性を生かした放送番組が期待できますね。
「そうですね。特にミトロビッツァについて話させて下さい。我々としてはミトロビッツァに支局を開いてエンクレーブに暮らす少数派のセルビア人についての情報をあまねくコソボに流す。それによって民族融和の雰囲気を醸成していくということもプロジェクトの一環です。
ミトロビッツァ支局員の構成は9人で、アルバニア系の支局長のもとで一緒に仕事をしています。セルビア系の記者が2人いて、そのうちの1人は、特に中心的な存在である女性記者です。実は23年6月、このミトロビッツァで市長選挙が行われ、民族間でもめました」
――セルビア人側がボイコットして市庁舎を取り囲んだ事件ですね。数が少ないのだから、多数決の選挙は結果が見えている。それよりもマイノリティの人権を担保しろという主張でした。
「そうです。現場にアルバニア人の支局長であるカメラマンが取材に行ったのです。ところが、そこに覆面をした男が、おそらくセルビア人だと思われますが、撮影中の支局長に襲い掛かってカメラを奪って逃げました。支局長はカメラを守ろうともみ合いになり、腕を骨折してしまいました。我々も直後に駆けつけたのですが、スタッフが10人以下の小さな支局なので、今後セルビア人とアルバニア人の職員の人間関係が悪くなるんじゃないかと心配しました。ところが、それはまったくの杞憂でした。セルビア人女性ジャーナリストや腕を折った支局長とも話をしましたけど、冗談じゃない、こんな無法が許されてはいけないぞっていうことで、支局内では協力してこの状況について報道していこうという雰囲気が出てきました。両者の協力体制が深まったのです。これも支局を作って協同した大きな成果です」
――なるほど。2つ目の番組の質の向上、内部基準についてはどうですか。コソボには日本でいうBPO(放送倫理・番組向上機構)がないのですが。
「それについては、日本人の専門家とRTKの間で議論を重ねてきました。その結果、『RTKとして、ネット空間などに広がるフェイクニュースを発見し、ニュースに転用されることを防ぐための特別なチームを作ることと、災害時に警報等が国民に円滑に伝えられるよう、RTKと政府諸機関との協力を強化すること』という方針がまとまりました」
――ファクトチェックは特に民族憎悪が渦巻くコソボでは重要なことですね。フェイクニュースで言えば、コソボは2004年3月に『セルビア人にアルバニア人の子供が殺された』という流言飛語から巻き起こった「3月暴動」がありました。デマによってセルビア人が標的にされて殺され、家屋が燃やされて大量の難民が出た。それを考えれば、これは重要な改革ですね。
「はい。3番目のアーカイブについては、RTK側が日本側の専門家に対して独自のアーカイブ・システムを構築したいという意向を表明してきました。それでこちらとしては、NHKでのアーカイブ運営の経験を参考にして、放送済み素材や取材済み資料の保存についてのやり方をまとめてRTKの現状に即したシステムを構築するように提言しました。
EU本部は、今年1月からコソボのパスポートを持つ市民にEU域内なら自由に移動できるシェンゲン・ビザを供与することになりました。これはコソボの国民にとって悲願でした。放送の質の改善が進み、民族融和の雰囲気が高まり、コソボに民主主義が根付くことを私も祈っています」
―― 一方で、「自己決定運動」のクルティ政権はRTK以外の放送局にも圧力をかけていると聞きました。
イビツァ・オシム
旧ユーゴスラビア最後のサッカー代表チーム監督。1941~2022年。
「大アルバニア主義」
アルバニア民族主義者による主張の一つで、本来のアルバニアは、現在の領土にとどまらず、コソボ、ギリシャやマケドニアの一部も含むものであるとする考え。
アルバニア「本国」
コソボのアルバニア系住民によるアルバニアの呼称。