大学生のとき、アルバイトをして貯めたお金で、ようやく中古の自動車を購入した。ところが、これが頻繁に故障する。自動車に詳しい友人に見てもらうと、私が購入したのは事故車で、おまけにいい加減な修理しかされていないという。しかし、巧妙に事故の形跡が隠されていて、素人がそれを見破るのは困難だというのだ。
「そういうのを、経済学ではレモン市場と言うのだ」。経済学の教授にこの話をすると、こんな答えが返ってきた。
アメリカでは質の悪い中古車を「レモン」と呼ぶのだという。本当の品質は、外見やわずかな試乗だけでは分からず、購入して乗ってみてようやく分かるが、それはレモンに似ている。厚い皮を持つレモンは、外見から鮮度を判断することはできない。購入してナイフを入れてみて、ようやく鮮度が分かるのだ。しかし、もはや返品もできず、泣き寝入りせざるを得ないというわけなのだ。
中古車でもレモンでも、その本当の品質という情報を持っているのは売り手だけで、買い手には提供されていない。したがって、売り手がこれを悪用し、買い手を欺くことが可能となる。産地や賞味期限の偽装事件などは、この典型的なものだ。こうした状態を、経済学では「情報の非対称性」と呼び、研究の対象になっているのだという。
商品の品質が分からなければ、買い手は不安になり、購買意欲が低下する。また、仮に不良品であっても諦めがつく低価格のものしか買わなくなってしまう。
こうなると、売り手の行動にも変化が生じる。買い手が疑心暗鬼になって高いお金を支払わなくなるなら、値段にふさわしい質の高いものを供給しても損をするだけになってしまうのだ。この結果、低価格の商品しか買わない買い手と、質の悪いものばかり供給する売り手だけが残り、市場が崩壊してしまう。これが「レモン市場」なのだ。
レモン市場を解消するためには、買い手にも正しい情報を提供することが必要だ。質の高い商品の価格が高いのは当然であり、買い手はそれに納得できれば、しかるべきお金を支払ってくれるもの。情報を売り手が独占するのではなく、買い手にも十分に提供し、「情報の非対称性」を解消することで、レモン市場は解消できるはずなのだ。
「レモンではなくピーチ、桃にすればいいんだよ」と、教授は教えてくれた。ピーチはレモンとは異なり、少しでも古くなると表面が黒ずんでくる。鮮度は一目瞭然だ。レモンが氾らんする中、高品質であり、それが誰もが信頼できる形で明示されたピーチが供給されれば、市場は活性化され、正常に機能することになる。「情報の非対称性」は、「ピーチ」を供給することで改善される。
また、透明性の高い「ピーチ」を販売すれば、それが割高であっても消費者は受け入れてくれる。耐震偽装事件の最中に、すべての情報を開示することで、逆に信頼を高めたマンション業者もあった。不信感が広がっている中にあっては、少々価格が高くても情報がしっかり公開されている「ピーチ」が存在感を高め、新たなビジネスチャンスにつながることもあるのだ。
現在の日本には「レモン」が氾らんしている。賞味期限の改ざんや産地の偽装など、売り手が情報を独占、買い手には伝えずにだますという事件が、続発しているのだ。「情報の非対称性」の典型的な例だ。
「レモン」を排除し、「ピーチ」を広めることが、今の日本に、強く求められているのである。