こうした心理的傾向を経済学に応用したのが「プロスペクト理論」だ。心理学者のダニエル・カーネマンとエイモス・トベルスキーによって提唱された、経済における意思決定理論の総称で、「見込み」という意味の「プロスペクト」の概念を導入することで、経済学の新分野を切り開き、行動経済学の基礎を築きあげた。
プロスペクト理論の中核を占める概念の一つが「損失回避性」だ。人間は利益より損失を重く受け止める「負けず嫌い」であるため、損失回避の行動が優先されると考えるのだ。
二者択一の単純なゲームを考えてみる。(1)無条件で1万円をもらえる、(2)コインを投げて表が出れば2万円もらえるが裏が出ればゼロ、というゲームだ。二つの選択肢の「期待値」は共に1万円であるため、通常の経済学では差はないと考えるが、実際には確実に1万円をもらえる(1)を選ぶ人が圧倒的に多い。2万円を狙ったばかりにゼロになるという失敗を犯したくない「負けず嫌い」の心理が強く働いて、損失回避を優先することになるわけだ。
次のゲームはどうだろう。(1)強制的に1万円を支払う、(2)コインを投げて表が出たら2万円を支払うが裏が出たら支払いは免除、という「罰ゲーム」だ。この場合も、期待値は共にマイナス1万円で経済学的には同じだが、実際には(2)を選ぶ人が多数を占める。「負けず嫌い」の心理が強く働く結果、1万円という確実な損失から逃れたいあまり、最初のゲームとは反対に、あえてリスクを負う選択をする。プロスペクト理論は、こうした人間の心理の偏りを損失回避性と呼び、「価値関数」などの新しい概念を導入して理論化したのだった。
プロスペクト理論によって、従来の経済学では説明できなかった経済行動が説明できるようになる。株式投資では、購入した株式が値上がりするとすぐに売却しがちだが、値下がりすると諦め切れず、一発逆転を狙って傷を深める場合が多い。また、店の宣伝で、「今買うと2割もお得です!」などと利益を強調するよりも、「今だけ2割引き、これを逃すと損しますよ!」などと損失を強調する方が効果的とされるが、これらはすべてプロスペクト理論で説明可能となる。
経済学に新分野を切り開いた功績で、カーネマンは2002年のノーベル経済学賞を受賞する。「私は経済学の講義すら受けたことがない」というカーネマンにノーベル賞を取られたことで、経済学者たちは奮起し、プロスペクト理論は既存の経済学理論に取り込まれて、一層の発展を遂げた。