パレート最適は経済資源や所得の効率的な配分などを通じて、社会全体の福祉向上を目指す「厚生経済学」の最も重要な概念の一つで、これを提唱したイタリアの経済学者ヴィルフレド・パレートの名を冠したものだ。
パレート最適の一般的な説明は、「資源配分する際、誰かの効用(満足)を犠牲にしなければ、他の誰かの効用を高めることができない状態」と、少々回りくどい。要するに資源が無駄なく配分された状態がパレート最適であり、これを地下鉄のシートにあてはめると、「効用」に相当するのが「座席に座ること」であり、座っている誰かに立ってもらうという「犠牲」なしには、他の人が座るという「効用」を高めることができない状態、つまり7人がけのシートに7人座っている状況、つまり資源が最大限に活用されている状態がパレート最適なのだ。
一方で、7人がけのシートに6人しか座っていない状態は、「パレート改善」(Pareto improvement)と呼ばれる。「立つ」という自らの効用を減らす犠牲を誰も支払うことなく、他の誰かが「座る」という効用を高めることができる状態、つまりシートという「資源」が十分に活用されず、「詰めて座る」という改善の余地が残された状態を示している。
経済活動が完全競争を前提にしたものであれば、そこから生まれる均衡は、パレート最適になると考えることができる。完全競争の状態であれば、価格が変動して需要と供給を調整、必要なものが必要なだけ供給されて無駄は生じない。少しでもすき間があれば座ろうとするのが完全競争であり、それによって7人がけのイスには7人が座るという状況が自動的に生み出されるというわけだ。
しかし、現実の経済ではパレート最適となっている分野は限られている。少数の企業が市場を独占していたり、様々な規制が存在したりするといった具合に、完全競争とは程遠いのが実情であり、経済資源が完全に活用されていない状況が生まれているのだ。
また、競争原理が働かない政府などの公共部門の存在も、パレート最適の実現を阻害している。すき間があっても、意地悪をして席を独占していたり、面倒なので詰めないといった乗客が多いのが現実だ。
また、パレート最適がそのまま社会的に望ましい状況を提供するわけではない。7人がけのシートに7人が座っていればパレート最適だが、これではおばあちゃんは座れない。パレート最適は資源配分が無駄なく行われていることを示すだけであり、それが「最善」のものである保証はない。こうしたことから、「最適」という言葉を避けて、「パレート効率性」と呼ばれることも多い。
座席は詰め合って座り、お年寄りには席を譲る。独占など自由な競争を阻害する要因を排除する一方で、弱者にも配慮した経済資源の配分をすることで、社会全体をパレート最適に近づけて行くことが求められているのである。