年末年始やお盆の帰省ラッシュでは、列車の自由席が大混雑して通路にまで人があふれ、トイレに行くにも人をかき分けざるを得ないことがある。
運賃を払っているのだから、座れないまでも、もう少しスペースを確保できないのか…、というのが乗客の本音だ。しかし、混雑緩和のために乗車制限をすると、今度は乗れなくなった人から「混雑していても、乗れないよりはましだ」という声も出てくるだろう。
「最低賃金」をめぐる議論も同じだ。企業を列車、従業員を乗客と考えよう。従業員は自らの労働力を運賃として支払って、企業という列車に乗る。一方、企業から提供される賃金が、従業員に与えられる乗車スペースとなる。
賃金は、グリーン車のような高額なものから、指定席、そして自由席と様々なランクに分けられている。しかし、乗客を列車に乗せる以上、屋根の上に乗せるといった安全を脅かす乗せ方は許されない。企業は乗客という従業員に提供すべき最低限のスペースを保証する必要がある。これが「最低賃金」なのだ。
最低賃金は、都道府県ごとに「地域別最低賃金」と、業種別の「産業別最低賃金」が定められている。
適用に当たっては、「産業別最低賃金」が優先され、これに含まれないすべての従業員に「地域別最低賃金」が適用される。最低賃金の対象となるのは、毎月支払われる基本的な賃金に限定され、通勤手当や家族手当、残業代などは含まれない。
2009年度の1時間当たりの地域別最低賃金は、全国の加重平均額が713円、最高額は東京の791円、最低額は佐賀、長崎、宮崎、沖縄の629円となっている(各都道府県の答申額)。
最低賃金については、その水準が低すぎることから「ワーキングプア」を生み、生活苦から自殺者すら生んでいるとして、引き上げが強く求められている。列車の屋根に乗せられ、放り出されてしまう乗客がいるという現状を、列車を運行する企業は改善すべきというわけだ。
しかし、最低賃金の引き上げは、新たな失業者を生む恐れがある。最低賃金が引き上げられると人件費が増大するため、従業員数を減らして対応する企業が出てくるのだ。
最低賃金の引き上げは、乗客のためのスペースを増やすこと。乗車率200%を100%にするには、車両を現在の倍にまで増結する必要がある。これができない場合には、乗客の半分を降ろさなければならない。こうしたことから、最低賃金の引き上げを求める声に対して、企業側が「雇用の場が失われますが、それでもいいのですか?」と、牽制(けんせい)することもある。
一方で、最低賃金の引き上げが雇用の減少には直結しないとの見方もある。最低賃金が引き上げられても、必要な労働力は変わらないためだ。
また、最低賃金の引き上げに対応するため、企業が賃金体系全体を見直して、一部の労働者の賃金を引き下げることも考えられる。これは、グリーン車や指定席の車両を自由席の車両に転用することに他ならない。自由席の混雑を緩和するために、一生懸命働いて獲得した高賃金というグリーン車から追い出されるのは納得できないと、一部の従業員から不満が出ることも予想されるのだ。
雇用格差が深刻な社会問題となる中、最低賃金を1000円に引き上げようという動きも見られる。列車の屋根に乗せられている人がいる一方で、グリーン車で悠々としている人がいるという不公平をなくすべきだというのだ。
最低賃金の引き上げそのものは労働者の待遇を高めるものだが、安易に行えば弊害も生じかねない。全員が座席に座ることは不可能でも、余裕を持って立っていられる乗車スペースをいかに確保するか。これが最低賃金をめぐる問題なのである。