「自分の徳がない」というのは、その人のやり方がまずいとかつたないとか、そういうことではありません。その人のあり方よりも、直面している問題のほうが大きいということ。それは、単に能力が不足しているということとも異なります。今の自分のあり方では、この大きな問題に立ち向かうことができない。だから、自分自身も生まれ変わって、変貌しないといけないということだと思います。聖武天皇も尊徳も、そうして壁にぶち当たっては、新たに生まれ変わることのできる人だったのではないでしょうか。
今のリーダーも、口では「不徳のいたすところです」などと言いますが、生まれ変わろうなどとは思っておらず、なるべく今のままでいようとします。そうではなくて、自分自身が生まれ変わらなきゃだめなんだということを明言してくれるリーダーが出てきてくれるといいなと思っているのですが……。
一個の人間の存在が、世の中を変えていく
中島 今若松さんがおっしゃったことは、ガンディーがしばしば引用したタゴールの歌のフレーズである「Walk alone(一人で歩め)」ともつながっていると思います。問題に直面したときに、それは自分自身の問題であると捉え直すこと。そして一人で歩み始めるということ。それによって、志を同じくする無数の人々が生まれていくんです。
イギリスの植民地支配への抵抗運動として行われた「塩の行進」が典型ですね。ガンディーは最初、たった一人で海岸に向かって歩み始めた。そのときはみんな、ガンディーが何をやっているのか意味が分からなかったかもしれない。けれど、「ガンディーが歩いている」という情報がインド中に伝わることによって、歩くガンディーの姿を多くの人が想像することになった。そして無数の人たちがガンディーのもとへと押し寄せ、ともに歩み始めるわけです。これを機にイギリスは、植民地インドを力だけで抑え込むことができなくなり、交渉に応じざるを得なくなっていきました。
こうした「一人の歩み」があってこそ、世界が変わっていくのだと思います。
若松 今回、中島さんとこの本をつくらせていただいたのも、そういう予感があったからかもしれません。世の中を変えていくのは、気の利いた概念ではなく一個の人間の存在ですよね。そのことを改めて考えさせられました。
アフガニスタンで殺害された医師の中村哲さんなどもそうです。彼がやったことは、言葉で言い尽くせないほど大きい。それでも、私たちが静かに彼という人間を思い返す中で、言葉にならない遺言みたいなものを受け取っていく。そういうことをやり続ける必要はあると思っています。
中島 私も若松さんも、フィールドは違っても「人物」を書いてきたということでは共通していますよね。いちおう、私は政治学者なんですけれども(笑)、政治の制度や政策についてはこれまでもほとんど書いていません。興味があるのはやはり人物。人物を書かなければ政治の本質にたどり着かないという確信めいたものがあって、それはこれからも変わらないと思っています。
若松 私は政治家についても、政策に通ずること、それを語れることはもちろん重要だけれど、リーダーとしての一番の条件はそれではないと考えているのです。大事なのは、その人がその人であるということ、そして私たちがそこに信頼を寄せることができるということではないでしょうか。
政策論争は大事かもしれないけれど、政策はどうしても「世の中に合わせて変えていく」ことになる。そして、その政策は別の人でも実行できるんですよね。
中島 おっしゃるとおりですね。一時期、「マニフェスト選挙」という言葉が流行しましたけど、私はこれにも非常に批判的でした。マニフェスト選挙というのは、「私たちを選んでくれたらマニフェストどおりのことを国民との契約として遂行しますよ」ということですが、それが政治だとするならば、政策をつくる人だけがいればよくて、政治家なんていらないということになってしまう。そうではなく、国会で議論を重ね、人と人が意見を交わしながら決定していくというプロセスこそが、政治においては重要だと思うのです。
マイケル・オークショットというイギリスの政治学者が、近代人の政治に対する感覚は間違っていると言っています。どんな政策を作るかなどの「テクニカル・ナレッジ(技術知)」が政治だと思われているけれど、実はどう合意を形成していくかといったプロセス、「プラクティカル・ナレッジ(実践知)」こそが政治なんだと。まったくそのとおりだと思います。
選挙においても、選択の基準になっているのは「人物」ではないでしょうか。みんなよく、選挙運動で政治家が駅前に立って演説しているのを「無駄だ」と言うけれど、私はあれはとても重要だと思っているんです。話なんて誰も聴いていないかもしれないけれど、政治家がマイクを握って話している、その立ち姿を見ることで、「この人は大丈夫かどうか」が判断できるわけです。
これも『いのちの政治学』の中でお話ししましたが、吉野作造が民本主義について、同じようなことを言っているんですよね。学問のない農民や漁民は政策判断はできないかもしれない、けれど辻説法をしている政治家を見ていれば、信頼に足る人物がどうかは判断できる、それが民本主義でありデモクラシーなんだ、と。それを読んで、大正デモクラシーとは立派なものだったんだなと思った記憶があります。
大正デモクラシーと「民衆の英知」
若松 大正デモクラシーのお話が出ましたけど、最近私は、政治とは別の角度からも、大正時代というのはすごく大事な時代だったのではないかと考えているところなのです。文学や哲学の世界においては、白樺派の時代です。日本人が本当の意味で西洋と出合い、それを血肉化しようとした時代でもある。大正という時代はあまりに短かったので、さまざまな試みが開花しないまま終わってしまい、それゆえに中途半端で未成熟だったと思われがちですが、けっしてそうではないと強く思っています。
大仏建立の詔
「盧舎那仏建立の詔」ともいう。天平15(743)年10月15日に発せられた(続日本紀 巻第十五)。
伊東正義
1913-94。昭和~平成にかけての自民党の政治家。農林省などの官僚をへて、1963年衆議院議員に。79年大平内閣の官房長官を務める。80年大平の急死のあと首相臨時代理に。鈴木善幸内閣の外務大臣。
二宮尊徳
1787-1856。江戸時代後期の農政家、思想家。通称・金次郎。
タゴール
1861-1941。インドの詩人。カルカッタ出身で、1877年イギリスに留学。帰国後詩作をかさね、農村改革運動や民族主義を高揚した。東洋人として最初のノーベル文学賞を 1913年に受賞。ガンディーらの独立運動に大きな影響を与えたといわれる。
中村哲
1946-2019。医師。国際NGOペシャワール会現地代表。84年にパキスタンのペシャワールの病院に赴任。アフガン難民の診療にかかわり、さらにアフガニスタン国内へ活動を広げる。灌漑・飲料水用の井戸掘削から大規模な水利事業を展開。2019年、アフガニスタンで銃撃され死去。
マイケル・オークショット
1901-1990。イギリスの政治学者、政治思想史家。 51年~69年ロンドン大学(ロンドン経済政治学校)政治学教授。 1966年,英国アカデミー会員。著作に『政治における合理主義』 などがある。
吉野作造
1878-1933。政治学者、思想家。民本主義をとなえ、普通選挙の実施や政党内閣制などを主張した。大正デモクラシーの理論的指導者。
西部邁
1939-2018。評論家。東京大学経済学部在学中に東大自治会委員長、全学連中央執行委員に。60年安保闘争で指導的な役割を果たす。86~88年に東京大学教養学部教授。保守派の評論家、思想家として活躍。著書に『経済倫理学序説』、『生まじめな戯れ』などがある。
内村鑑三
1861-1930。無教会派キリスト教指導者。評論家。足尾銅山鉱毒事件の実態を訴え、第一高等中学の教師のとき、教育勅語への敬礼を拒否して免職となる。日露戦争への非戦論を唱えた。著書に『代表的日本人』『基督信徒のなぐさめ』などがある。
大本教
1892年、明治末期におこった神道系宗教団体。出口なおを開祖とし、養子・出口王仁三郎(おにさぶろう)によって組織された。1935年に弾圧され、36年に解散。