中島 当時は、本当に多くの人たちが「途方に暮れた」状況にあったと思います。たとえばイベント産業なら、ほとんどのイベントが中止になり、イベント会場は閉鎖、ライブハウスも営業できない。人間にとって大事なものであるはずの文化や音楽を提供するという行為が、ピタッと止まってしまった。そういう重大な危機に際しても、日本の政治家からは労りの言葉は出てこず、「アベノマスク」などに象徴されるように、意味の分からない混乱だけが続いているようなありさまでした。
その中で、私が「さすがだな」と思った一人が、いとうせいこうさんでした。ライブハウスが営業できずに経営が成り立たない、ミュージシャンが演奏する場がないという悲鳴が上がっていた20年の3月に、いとうさんは「MUSIC DON’T LOCKDOWN」というイベントを始められたんですね。出演者の自宅をライブ会場にして、それをオンラインでつないでフェスを開催するというもので、そこに私も参加させてもらいました。私は音楽は何もできないので、音楽フェスの中になぜか私のレクチャーが入るというかたちだったのですが……。
あのときに、いとうさんがされたことはメルケルのコトバと同じだったと思います。「あなたを労っています」という直接的な言葉でなくても、一つのメロディ、一つの歌、あるいは態度が視聴する人たちを強く勇気づけることになった。そういうことをやった人もいたんだということも、あれから2年たった今、改めて思い出したいと思っています。
若松 懐かしいですね。「MUSIC DON’T LOCKDOWN」には私も中島さんのお話を引き継ぐようなかたちで出演させていただきお話をしたんですが、そのとき考えていたのは、「もうこの国からは、労りのコトバを聞くことはできない」ということでした。そして、それならばこの暗闇の中を歩いていくには自分の中にあるものを燃やすしかない。そのことを、聴いているみなさんにお伝えしたいと思ったことを覚えています。
あれは、私にとっても貴重な経験でした。聴いてくれているのは顔も見たことがない、名前も知らない数百人だけれど、お話をしているうちに、そこにある種のつながりや調和のようなものが生まれてくる。その中に、言葉にできないような大事なものが確かにあったと思います。
そして、あのイベントが回を重ねる中で、誰かが何かを始めるのを待つのではなく、自分たちで何かをやっていかなければならない、という機運が少しずつできてきたと感じました。人々がそれぞれに、自分のできることをやり始めた。その点で、とても大きな意味のあるイベントだったと思います。
「受け取る人がいる」ことで、言葉がコトバになる
若松 「MUSIC DON’T LOCKDOWN」で何度かお話をさせてもらって、もう一つ気づいたことがあります。最初のころは聴いてくれる人に向かって「言葉を届けよう」と思っていたのですが、そうではないんだということがだんだんと分かってきました。言葉を受け取ってくれる人がいることが、私たちの言葉を結晶化し、いのちあるものに変えてくれる。聴いている人がいるからこそ、言葉がコトバになる、そういう深い経験の機会を何度も与えてもらいました。
中島 若松さんと私は、コロナの問題が始まったのとほぼ同じ時期から、大学で「利他プロジェクト」に取り組んでいますが、その中でも「受け取る」はとても重要なキーワードになっていますね。
「利他」というと、どうしても「何かを人のためにやってあげること」と思いがちですが、実は何かを「やった」瞬間には利他は生まれていない。その行為が誰かに思いがけず受け取られたときに初めて、利他が発生するという構造があるんですね。
たとえば、私がいくら「若松さん、これ喜ぶだろうなあ」と思って何かをプレゼントしたとしても、実は若松さんはそれを好きではないかもしれない。そうすると、私の行為は単なるありがた迷惑になってしまいます。若松さんが「ありがとう」と言って受け取ってくれたときに初めて、私の行為は利他として浮上するわけです。
つまり、この「受け取られた」ときに何かが生まれるという構造が利他の本質だということ。これは、私たちのように本を書くということをやっている人間にとっては特に、とても重要なことだと思いました。
若松 今回の本で取り上げた人たちは、1人を除いてすでに亡くなっていますが、その行動や言葉は私たちに多くの影響を与えてくれている。そこからも分かるように、利他の主体というのは必ずしも生きている人に限らない。亡くなった人たちが源になって利他が起こり続けている、誰が発信源なのかはっきりしない利他というものが世の中に溢れているのではないかと思います。
中島 「利他プロジェクト」の中では、若松さんと一緒に「弔い(とむらい)」をテーマにした研究会も始めましたよね。利他と弔いって、何の関係があるんだと思う人もいるかもしれませんが、私には「弔いこそが利他だ」という、言語化できない確信が当初からありました。
それは、今若松さんが言ってくださったように、私たちは多くの無名の死者から与えられた、もう誰によるものかも分からないようなさまざまな恩恵の上に生きていると思うからです。そして、そのように「与えられている」ことに気づいていくことが、死者たちを利他の主体として浮上させる。つまり、自分たちが死者とともに生きているということをしっかりと自覚する、その「弔う」という行為こそが、実は利他の循環を生み出す重要な起点になるという感覚があるんですね。今回の『いのちの政治学』も、そうした感覚に基づいて歴史を遡行(そこう)していった本のような気がしています。
「数量化」によって失われるもの
中島 もうひとつ、「いのちとは何か」という問題も、この本の重要なテーマになりました。本のタイトルにも使ったひらがなの「いのち」という言葉は、生命的なものを意味する漢字の「命」よりも幅広い、人間の尊厳なども含み込んだものを意味しています。だから、命は生きているけれども、いのちの炎は消えてしまっているということはあり得るし、その逆に、身体的には亡くなっていても、いのちは生きながらえ、闊達に活動しているという場合もある。若松さんとの対話を通じて、その問題を考えたいという思いが強くありました。
大仏建立の詔
「盧舎那仏建立の詔」ともいう。天平15(743)年10月15日に発せられた(続日本紀 巻第十五)。
伊東正義
1913-94。昭和~平成にかけての自民党の政治家。農林省などの官僚をへて、1963年衆議院議員に。79年大平内閣の官房長官を務める。80年大平の急死のあと首相臨時代理に。鈴木善幸内閣の外務大臣。
二宮尊徳
1787-1856。江戸時代後期の農政家、思想家。通称・金次郎。
タゴール
1861-1941。インドの詩人。カルカッタ出身で、1877年イギリスに留学。帰国後詩作をかさね、農村改革運動や民族主義を高揚した。東洋人として最初のノーベル文学賞を 1913年に受賞。ガンディーらの独立運動に大きな影響を与えたといわれる。
中村哲
1946-2019。医師。国際NGOペシャワール会現地代表。84年にパキスタンのペシャワールの病院に赴任。アフガン難民の診療にかかわり、さらにアフガニスタン国内へ活動を広げる。灌漑・飲料水用の井戸掘削から大規模な水利事業を展開。2019年、アフガニスタンで銃撃され死去。
マイケル・オークショット
1901-1990。イギリスの政治学者、政治思想史家。 51年~69年ロンドン大学(ロンドン経済政治学校)政治学教授。 1966年,英国アカデミー会員。著作に『政治における合理主義』 などがある。
吉野作造
1878-1933。政治学者、思想家。民本主義をとなえ、普通選挙の実施や政党内閣制などを主張した。大正デモクラシーの理論的指導者。
西部邁
1939-2018。評論家。東京大学経済学部在学中に東大自治会委員長、全学連中央執行委員に。60年安保闘争で指導的な役割を果たす。86~88年に東京大学教養学部教授。保守派の評論家、思想家として活躍。著書に『経済倫理学序説』、『生まじめな戯れ』などがある。
内村鑑三
1861-1930。無教会派キリスト教指導者。評論家。足尾銅山鉱毒事件の実態を訴え、第一高等中学の教師のとき、教育勅語への敬礼を拒否して免職となる。日露戦争への非戦論を唱えた。著書に『代表的日本人』『基督信徒のなぐさめ』などがある。
大本教
1892年、明治末期におこった神道系宗教団体。出口なおを開祖とし、養子・出口王仁三郎(おにさぶろう)によって組織された。1935年に弾圧され、36年に解散。