若松 私は今回のコロナ危機におけるある時期から、たとえばニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相を自分のリーダーだと思うようにしていました。もちろん私は今、21世紀の日本で生きているわけですが、それ以外にも人間は、もう一つの不可視的な共同体のような存在を持ち得るんだと思うんですね。こう考えるのは、私がキリスト者だということとも関係あるのかもしれません。教会というのは、もともと国境を超えていく存在ですから。
自分たちが新しい価値観、世界観を生み出していこうとするとき、「この人をリーダーにしたい」と思う人がいても、地理的条件などによって選べないことがあります。それでも、精神的な意味においてであれば、選ぶことができる。そしてその「精神的に選んだ」リーダー──私にとってはアーダーンであり、メルケルなのですが──との対話が、私たちにとってとても大事だと思うのです。
そして重要なのは、たとえばアーダーンのいるニュージーランドと比較して「それなのに、我々の国は」と嘆くことではなく、その素晴らしいリーダーの仕事や言説を注視すること。それに自分がどう呼応し、自分の世界の中でどう実践できるかを考えること。国境にとらわれず、自分たちの哲学、あるいは思想を深めていくことが大切なのではないでしょうか。
中島 私は、日常からできることは今日も少しお話に出た「受け取る」ことだと思っています。自分が何に生かされているのかを考え、受け取る。そこから、利他の循環が始まっていくわけです。
ただ、「受け取る」ためには余白が必要なんですよね。それなのに、現代の私たちはあまりに忙しすぎて、余白がなくなってしまっていることが多い。だから、1日に数分でもいいので、ふいに訪れる何かを受け取る余地を自分の中につくっておけるよう心がけることが重要ではないかと思っています。常にやりたいこと、やらなくてはならないことでパンパンになってしまっていると、いろんなものが自分の中に入ってこなくなる。思いがけないことと出合ったときに、それが自分の中に入ってくるスペースを自分でつくっておくこと。そこから始めてみてはどうかと思うのです。
●ジュンク堂書店池袋本店 オンラインイベント
『いのちの政治学 リーダ―は「コトバ」をもっている』刊行記念 中島岳志・ 若松英輔 オンライントークイベント「危機の時代と〈いのちの政治〉」【2021 年11月30日実施】を再構成しました。一部は映像でもご覧いただけます。
大仏建立の詔
「盧舎那仏建立の詔」ともいう。天平15(743)年10月15日に発せられた(続日本紀 巻第十五)。
伊東正義
1913-94。昭和~平成にかけての自民党の政治家。農林省などの官僚をへて、1963年衆議院議員に。79年大平内閣の官房長官を務める。80年大平の急死のあと首相臨時代理に。鈴木善幸内閣の外務大臣。
二宮尊徳
1787-1856。江戸時代後期の農政家、思想家。通称・金次郎。
タゴール
1861-1941。インドの詩人。カルカッタ出身で、1877年イギリスに留学。帰国後詩作をかさね、農村改革運動や民族主義を高揚した。東洋人として最初のノーベル文学賞を 1913年に受賞。ガンディーらの独立運動に大きな影響を与えたといわれる。
中村哲
1946-2019。医師。国際NGOペシャワール会現地代表。84年にパキスタンのペシャワールの病院に赴任。アフガン難民の診療にかかわり、さらにアフガニスタン国内へ活動を広げる。灌漑・飲料水用の井戸掘削から大規模な水利事業を展開。2019年、アフガニスタンで銃撃され死去。
マイケル・オークショット
1901-1990。イギリスの政治学者、政治思想史家。 51年~69年ロンドン大学(ロンドン経済政治学校)政治学教授。 1966年,英国アカデミー会員。著作に『政治における合理主義』 などがある。
吉野作造
1878-1933。政治学者、思想家。民本主義をとなえ、普通選挙の実施や政党内閣制などを主張した。大正デモクラシーの理論的指導者。
西部邁
1939-2018。評論家。東京大学経済学部在学中に東大自治会委員長、全学連中央執行委員に。60年安保闘争で指導的な役割を果たす。86~88年に東京大学教養学部教授。保守派の評論家、思想家として活躍。著書に『経済倫理学序説』、『生まじめな戯れ』などがある。
内村鑑三
1861-1930。無教会派キリスト教指導者。評論家。足尾銅山鉱毒事件の実態を訴え、第一高等中学の教師のとき、教育勅語への敬礼を拒否して免職となる。日露戦争への非戦論を唱えた。著書に『代表的日本人』『基督信徒のなぐさめ』などがある。
大本教
1892年、明治末期におこった神道系宗教団体。出口なおを開祖とし、養子・出口王仁三郎(おにさぶろう)によって組織された。1935年に弾圧され、36年に解散。