第7回目のゲストは、デビュー小説『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』(河出書房新社)で第73回読売文学賞を受賞するなど、大きな話題となった川本直さん。20世紀のアメリカ文学史を背景にした壮大なデビュー作の裏側や、評論家としての顔も持つ川本さんは「純文学」をどう定義しているのか? いま新たな「言文一致」が必要? 小説家志望の人に伝えたいことなど……。熱い議論が交わされる!
突然、小説の一文が降りてきた?
鴻池 去年、新宿の酒場で偶然、お会いしましたよね。ベロベロに酔っぱらって細かいこと覚えてないんですけど、失礼なこと言っていたらごめんなさい。
川本 いやいや、とてもよく接してくださいましたよ。私は元々、鴻池さんの作品を愛読していましたから、お会いできて嬉しかったんです。
鴻池 それはよかった(笑)。楽しかった記憶はあります。翌朝、スマホの写真フォルダーに川本さんとのツーショット写真が残っていてびっくりしました。
川本 今日は純文学をテーマにお話しするとのことですが、私は元々、〝純文学畑〟から出てきたわけではないんです。
鴻池 川本さんのキャリアがナゾなんです。文芸誌に海外の小説家や、吉田健一についての評論を書いていて、評論家だと思っていたら、いきなり分厚い書き下ろし小説を出された。それまでは何をされていたんですか?
川本 文芸誌に書く前は『スナイパーEVE』や『Badi』とかアングラ雑誌のライターをやってましたね。女装雑誌にも書いていて、それが私の最初の単著で女装する男子を取材したノンフィクション本『「男の娘」たち』(河出書房新社)につながっています。実はアングラ雑誌から物書きの道に入ったんですよ。
鴻池 えっ、そうなんだ!
川本 なぜかそういうアングラ雑誌では、こいつエロ記事を書くのが向かないと思われていたみたいで、エロではない記事を書いてました。インタビューとか、覆面座談会のまとめをよくやってましたね。
鴻池 ライター仕事が最初なんですね。それで2011年に「ゴア・ヴィダル会見記」というインタビュー記事を文芸誌の『新潮』に発表されていますけど、これはどういった経緯があったんですか?
川本 文芸誌の世界に入ったのは、私がゴア・ヴィダルというアメリカの作家のインタビューのアポを取ったことがきっかけです。そのことを知った評論家の柳下毅一郎さんが、発表媒体に『新潮』を紹介してくださったんですよ。そこから『新潮』に、「海外の変な作家のニッチな気持ち悪い小説を紹介する」みたいな枠で書かせてもらっていました。
鴻池 それは依頼があって書いていたんですか?
川本 いや、全部、編集部に持ち込みですよ。その枠で書くのも私だけで、そもそもそんな枠はない(笑)。ヴィダルのインタビューも彼のことが好きで、発表する媒体の当てもなく手紙を書いて勝手に会いに行ったんです。
鴻池 すごい! 僕は不勉強でゴア・ヴィダルという作家も知らなかったけど、川本さんの文章を読むと、紹介されたその作家の作品を読みたくなりますよ。
川本 小説の着想も2011年にヴィダルに会いにアメリカに行くことになって、彼のインタビューの10日前によくわからない一文がガーン! っと降りてきたんです。そのときは、小説なのかよくわからない感じで冒頭を少し書いたんです。それが私の小説デビュー作の『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』を書き始めた最初です。実際、降りてきた「オカマのオカマによるオカマのための賛美歌だ」という一文は小説に残っているんです。(註:河出文庫版p14)
鴻池 『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』という小説は、前半部分がアメリカの小説家「ジュリアン・バトラー」に関する回想録で、後半部分がこの回想録を書いたとされる「ジョージ・ジョン」についての翻訳者「川本直」の「訳者あとがき」で構成された作品なんですよね。この後半部分には「ジョージ」へのインタビューが挟まれているんだけど、このインタビュー部分にかなり川本さんが実際にやったゴア・ヴィダルのインタビューが反映されているんじゃないですか?
川本 ベースにはなっています。インタビューに至る過程や、シチュエーションなどは近いんです。でも、内容は全然、違いますね。なにせ、取材時のヴィダルはウイスキーボトル2本空けながら、4時間にわたってひたすら悪口大会ですからね(笑)。
鴻池 でも当時、ゴア・ヴィダルってかなりのおじいちゃんですよね?
川本 ええ、85歳ですね。亡くなったのは翌年です。彼はゲイで長年、連れ添った同性のパートナーを亡くしてから元気がなかったみたいなんですよ。それなのに、私が会ったときは、サービス精神旺盛で、スーツに紫のネクタイを締めて、サングラスをかけて、それを外して、ニヤッと笑ってカッコつけるんです。こっちは「おっ、演出が始まったぞ!」と内心興奮してました。
ヴィダルは日本ではマイナーですけど、アメリカでは人気の作家なんです。でも、アメリカの文学研究者らに「ゴア・ヴィダルについてどう思いますか?」って聞くと、「こ、こわい人です……」とみんな口ごもるんです。いまだに恐れられているんですよね。
鴻池 それは研究者たちが、ヴィダルの作品をうまく解釈できないから?