2022年3月31日、11年間勤務した中京大学(本部・愛知県名古屋市)を退職し、4月1日から東京都練馬区にある武蔵大学へ赴任することとなりました。住居も東京都内に移し、さまざまな意味で新生活が始まりました。
久しぶりに東京での生活を始め、改めてこれまでの人生を振り返ってみると、移動してきたそれぞれの場所での生活や若者との出会いが、自分の考え方や生き方に大きな影響を与えてきたことが分かります。
私が大学教員として最初に就職したのは、愛媛県松山市にある松山大学でした。松山高等商業学校を前身として、戦前からの長い伝統をもち、地元に根付いた私立大学です。就職する前に愛媛県や松山市、また松山大学についても一定の知識を身につけていたのですが、実際に行ってみると全く想定していなかった現実に直面することとなりました。
私は1967年に神奈川県川崎市で生まれました。2歳の時に東京へ引っ越し、その後は幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、大学院とすべて都内の教育機関で学びました。就職したのが98年4月ですから、生まれてから30歳までほぼ東京で生活していたことになります。
なので就職して初めて、私は日本における「地方」の現実に触れることとなりました。
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大学で就職面接を終えて松山市内を歩いている時、お金が必要になり自分の預金口座がある都市銀行を探してみたのですが、全く見つかりません。あるのは伊予銀行あるいは愛媛銀行など、地元の金融機関の支店ばかりです。「地銀(地方銀行)」という言葉は知っていましたし、また自分でも日常的にその言葉を使っていました。でも、地方においてそれがどれだけ大きな存在なのかを理解できたのは、松山市で生活し始めてからでした。
その後、夕刊を買おうとコンビニに行きましたが、そちらも空振りでした。そもそも夕刊紙自体が普及していなかったのです。そして、全国紙の位置づけが東京とは全く違うことも分かりました。日本の主要な全国紙である朝日、読売、毎日新聞は、松山市でも普通に売られていましたが、それ以上に「地方紙」の愛媛新聞が圧倒的に愛読されており、特に町村部などでは大きな影響力をもっていました。
松山大学に通う学生の過半数が愛媛県出身で、その他の学生も大半が四国の出身者である状況にも驚きました。私が大学と大学院に通っていた80~90年代、周囲には日本中から学生が集まっていましたから、その違いは明白でした。地方の国公立大学以上に、地元に密着している私立大学が全国に多数存在することを知ったのは、それからしばらくたった後です。
これらの経験を通して、自分の感覚がいかに「東京基準」であったかを痛感することになりました。
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松山大学に地元出身の学生が多いのには、歴史的・経済的背景もありました。90年代初頭のバブル経済の崩壊にともなう経済状況の悪化です。東京私大教連 (東京地区私立大学教職員組合連合)の調査によれば、仕送り額から家賃を除いた大学生の1日あたりの生活費は、90年度の2460円をピークに減少を始めます。高い学費に加えて、子どもの下宿代・生活費を十分に仕送りすることのできる世帯は、90年代に入ってから着実に減少していきました。90年代以前は、松山大学でも地元以外出身の学生の比率がもっと高かったそうです。
大学で教え始めると、学生の大半が経済的に厳しい生活を強いられていることにすぐ気がつきました。アルバイトが長時間におよんでいる学生が大半で、「こんな状況でどうやって学生に勉強しろと言えばいいのか」と真剣に悩みました。ゼミ運営や学生と接する時にいつも気をつけていたのは、とにかく彼らにできるだけお金の負担をかけさせずに、学ぶ機会を工夫して提供することでした。
松山大学のすぐ近くに、国立の愛媛大学があります。その愛媛大学から非常勤講師として「教育制度論」という科目を担当するよう依頼があり、講義で奨学金問題を取り上げました。すると普段の講義以上に、学生が熱心に私の話に聴き入りました。私は毎回、その講義についての質問や意見を書くコメントシートを配布し、講義が終わった後に回収します。そのコメントシートにも、多くの学生から熱心な意見が書かれていました。
学生の意見を読んで驚いたのは、借りている奨学金の額がとても大きいことです。月に大体5万円程度と思っていたのですが、月に8万円、10万円、12万円という金額を借りている学生がたくさんいました。中には月に17万円以上借りている学生もいました。また、奨学金を借りている学生の比率が非常に高く、受講生約100名の半数以上であったことにも大きな衝撃を受けました。
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この講義を通して奨学金問題に強い関心をもった私は、制度を詳しく調べるようになりました。すると、奨学金をめぐる状況に大きな変化が起こっていることが分かりました。独立行政法人日本学生支援機構 (JASSO)の調査によれば、96年の大学昼間部の奨学金利用率は21.2%でした。これは私の実感とも符合します。私が大学に通った80年代後半~90年代初頭、私自身は奨学金を借りましたが、学生全体では奨学金を借りている人は少数派でした。
奨学金利用者は90年代半ば以降に急増し、2010年には利用率50.7%へと達します。こうした奨学金の利用率上昇の背景には、労働者の賃金や世帯年収の減少があります。国税庁の「民間給与実態統計調査」によれば、民間企業の平均給与は1997年の467万3000円をピークに減少を始め、2010年には412万円まで低下します。また、「国民生活基礎調査」によれば、世帯年収のピークは1994年の664万2000円から、2010年には538万円まで低下しています。
労働者の賃金や世帯年収がこれだけ減少したにもかかわらず、4年制大学への進学率は1995年の32.1%から2010年の50.9%まで上昇します(文部科学省「文部科学統計要覧」より)。この進学率上昇を支えたのが奨学金の利用でした。当時、日本学生支援機構の奨学金はすべて返済が必要な貸与型奨学金だったため、多くの大学生が卒業後に奨学金という名の「借金」を背負うことになったのです。