建国大学1期生が背負ったもの
三浦 私が建国大学について調べ始める大きなきっかけとなったのは、2010年に卒業生たちが開いた「最後の同窓会」でした。安彦さんもその同窓会にいらしていましたよね。私は2次会にも参加させていただいたのですが、その際、ある1期生の方から「同期(1期生)の先川祐次が終戦直後、満州国の『極秘任務』に関与していたんだよ」という事実を耳打ちされたんです。その「極秘任務」というのが、当時、日本ではまったく知られていない、新聞記者や歴史学者だったらひっくり返るような「新事実」で、ぜひ取材したいと思ったんです。それで数週間後、福岡で暮らしている先川さんのご自宅に行ってその事実を尋ねたら、「誰から聞いたんだ!」と怒り始めたんですよ。先川さんは、そのときは「極秘任務」については話してくれなかったのですが、それから11年かけて先川さんと長くやりとりを続けていたら、2021年の夏、彼が亡くなる2カ月前に私の自宅に長い手紙が送られてきたんです。その手紙の最後に、満州国最後の「極秘任務」の内実が記されていました。それらの事実をまとめたのが、新刊『1945 最後の秘密』なんです。
三浦英之さんの新刊『1945 最後の秘密』(集英社クリエイティブ刊)
安彦 先川さんとは面識はなかったのですが、あのとき1期生のテーブルで僕が記憶してるのは、百々(どど)和(かず)さんです。
三浦 素晴らしい方ですよね。敗戦後、中国山西省の残留兵士として拘束され、中国大陸で約11年、国民党軍に組み入れられて国共戦争を戦わせられたり、牢屋に入れられて思想改造をさせられたりしていた。本人から聞いたところによると、両腕を縛られて2年ぐらい、監獄の床に転がされていたという話なんですよね。それでも必死に生き抜いて、1956年に神戸港に着いた数カ月後に、「俺にはやりたいことがある」と言って神戸大学大学院に入学願書を出しに行くという。
安彦 最後、教授にまでいくんでしたっけ。
三浦 はい。53歳で神戸大の教授になったあと、定年退官をしたあとも経済学の大家として西日本の大学で教壇に立ち続けました。その際、彼は学生たちにこう言っているんですよね。「企業で直接役に立つようなことは、給料をもらいながらやれ。大学で学費を払って勉強するのは、すぐには役に立たないかもしれないが、いつか必ず我が身を支えてくれる教養だ」と。
安彦 ほう。
三浦 百々さんは、その理由を私にこんなふうに語ってくれました。「私自身も在学時にはこんな知識が役に立つもんか、と思っていましたけれどね。でも実際に鉄砲玉が飛び交う戦場や大陸の冷たい監獄にぶちこまれていたとき、私の精神を何度も救ってくれたのは紛れもなく、あのとき大学で身につけた教養でした。歌や哲学といったものは実際の社会ではあまり役に立たないかもしれないけれども、人が人生で絶望しそうになったとき、悲しみの淵から救い出し、目の前の道を示してくれる」と。
建国大学自体は、石原莞爾が発案をして、辻政信が実質的な設立の手続きをした、まさに歴史のひずみの中に生まれ出た大学でした。しかし、その大学の中では当時珍しい「言論の自由」があったり、異民族の学生同士の座談会が毎晩行われていたりするなど、かなりの自主性が認められていた。1期生は特に自分たちが満州国をつくるんだと気負って入学してきていますから、卑怯なことを一番嫌う人たちでしたね。共通して『かっこ悪く生きたくない』というところがある。いまの日本では多少卑怯だと見られても、経済的利益を優先するところがあったりしますが、彼らは決してそうではなくて、人間とは何か、あるいは国家とは何か、というものを常に考えていた人たちだったと思います。