以来ずっと、そういう認識できましたから」
『キジムナーkids』には、すぐに鼻水を出すから“ハナー”と呼ばれる主人公と小学校の同級生3人が、謎の少年“サンデー”やパンパンの“ハルちゃん”、ハルと組んでいる“アマワリ”たちと出会い、成長していく姿が描かれている。ハナーの友人“ポーポー”は1944年10月10日の那覇空襲で、“ベーグァ”は集団自決で、“ハブジロー”はハブ毒で家族を失っている。しかし彼らは悲しみを見せない。アメリカ兵に「ギブミー」をしてチョコレートを恵んでもらったり、配給所やアメリカ軍の倉庫から物資を盗んだりしては、「戦果」を味わいつくしている。その姿はどこまでも明るい。フィクションながらも“ハナー”は上原さん自身で、他の登場人物は家族や当時の仲間を思い浮かべながら書いたそうだ。アメリカ軍の占領下にあった沖縄は物資が不足し、戦後復興からも取り残されてきた側面がある。しかし上原さんは「だからこそ、伸び伸びと生きていられた」と振り返った。
「鬼畜米英と呼ばれていた連中は圧倒的な武力で勝ったのだから、これはもう逆らいようがないと認識していました。僕が脚本を書いた特撮テレビドラマ『宇宙刑事ギャバン』(1982~83年に放映)に『魔空空間』という異次元世界が出てくるんだけど、まさに占領下の沖縄は、ヤマトの手が及ばないアメリカによる魔空空間でした。でもそこで僕たちは琉球人として、卑屈になることなく伸び伸びと生きていられたんですよ。魔空空間ではウチナーグチを取り上げられなかったし、英語を強制されることもなかったからね。それに大人も子どもも『隙あらばアメリカからぶん捕ってやれ』とギラギラしていて、誰もいじけていなかった。そういう沖縄の人たちの姿を、物語で描きたかったんです。
ポーポーは家族だけではなく右腕も空襲で失っていますが、僕の友達にも銃弾で腕を落とされた子がいました。設定を変えたりデフォルメしたりしていますが、このようにほとんどモデルがいます。だからなのか本が出た後、何人もの旧友から『このキャラクターは俺だろ?』と連絡が来ましてね(笑)」
今の沖縄は、アメリカと日本の両方に支配されている
明るい子どもたちが描かれる一方で、女性たちはみな痛みを背負っている。ハナーの姉の“セイ”は疎開していたことで命を取り留めたが、同級生や友人の何人もがひめゆり学徒隊として犠牲になっている。セイは生き残ったことに後ろめたさを感じ、自分を責め続けていた。既に夫を亡くし、一人息子が召集されないように祈り続ける“オミト”は、出征後に営倉から脱出した息子を捜索隊から逃がすため、自分は艦砲射撃の犠牲になった。やはり艦砲射撃で家族を亡くしたハルは15歳で捕虜収容所に入り、わずか17歳でパンパンになった。そしてハナーが偶然目撃した名もなき女性の亡きがらは、全裸でアメリカ軍のゴミ捨て場に遺棄される。子どもは伸び伸びといられる魔空空間だが、女性にとっては地獄そのものではないかと思ってしまうほどだ。
「……その状況は戦後70年以上経った今も、変わっていないと思うんですよ。沖縄の歴史と米兵から女性が暴行される歴史は、切っても切り離せないままだから。2016年にも20歳の女性が元米兵に強姦され殺されたし、1995年には12歳の少女が米兵から集団強姦されています。子どもでも襲われてしまう現実が、日本に返還された今でも沖縄ではあるんです。でも別にアメリカ兵の肩を持つわけではないけれど、海兵隊は戦闘のための訓練を受けている精鋭部隊で、人間としての感情を奪われています。野獣のようにならなければ戦場で人は殺せないから。それに『ここ(沖縄)は俺たちの先輩が血と命を懸けて奪った島だ』と思っているのでしょう。だから彼らの一部が時に沖縄の女性を襲うことは、僕としては分からないわけではないんですよ」
しかし「だからしょうがない」とは決して言わない。今の沖縄はアメリカと日本からの二重支配の状況で、その構造自体に問題があるのだと指摘する。
「僕が円谷プロ(円谷英二が設立した映像製作会社円谷プロダクション)にいた頃に沖縄が復帰して、その時に僕と同じ年のやつが『上ちゃん、おめでとう』と言ったわけ。『沖縄、本土復帰したねぇ』って続けるから、『何がめでたいの?』と冷たく言い返してしまった。本人はキョトンとしていたけど、今までアメリカに支配されていたところに、更にもう一つ支配が始まるのかと思ってうんざりしたんだよ。でもこの支配の状況は復帰45年どころか、1872年の琉球処分(明治政府が琉球王国を強制的に統合した政治過程)以来何も変わっていない。それどころかアメリカと日本からの二重支配状態になっているのが、今の沖縄ですよ」
マイノリティーであることを認めるということ
しかし上原さんは、「本土や本土の人を恨み続けるのではなく、自分たちで未来をどう作っていくかを考えることで、琉球は本土の行き詰まりを助ける国になれると思う。もうそういう時期が来ているような気がする」とも語った。
「琉球は琉球でやっぱり独立して、世界中から有能な若者を集めて近海のレアメタルを掘り返して、諸外国と交易をすればいい。そうすれば島チャビ(台風など、離島ならではの不利益のこと)に苦しむこともなくなるし、本土にとってもプラスになると思うんです。
昨年大阪の機動隊員が、基地に反対する人に向かって『土人』と言いましたよね。そういえば僕が東京に来た時、下宿のおばさんが何気なく『沖縄には土人がいるみたいね』と言ったんです。だから『ああ、僕も土人です』と言ったら目を丸くして。こういうウチナーへの差別が、今も続いている証拠だと思います。でも差別は沖縄だけではなく、どこの国にいてもあること。それを乗り越えるというのはおかしいかもしれないけれど、差別をされている側が『ああ、まだこの程度の認識なのか』と現実を冷静に受け止めて、相手の無邪気な無知を抱き締めてあげられるようにならないと、と思うんです。それが琉球の未来に、必要なことではないかな」
苦しめられている側が余裕を持ち、更に相手を受け止め抱き締めるのは正直、至難の業だと思う。
「それでもやっぱり、やらなきゃダメなんだよ。抱き締めるのは無理でも、理解するぐらいまでにはならないと。そのために琉球人は、自分が日本人ではないことを認める。他のマイノリティーは、自分がマイノリティーであることを認める。それが大事だと思います。自分は日本人とかマジョリティーとか思っているから『同じ属性のはずなのに、なぜこんな差別を受けるのか』と悩んでしまうけれど、違う属性同士であれば『こういう見方もあるんだ』と寛容になれるし、憎むことをやめられるはずだからね。
歴史的に日本は地域ごとの言葉があって、生活習慣や食べ物も違っていましたよね。それを明治以降は標準語という形で言葉を統一し、生活や食べ物も均一化してしまった。そうしないと、政府が国民を支配することができなかったから。でもその支配は、たかだか150年程度の話ですよ。日本人の中にだっていろんな背景を持つ人がいるのだから、そもそも『マジョリティーとは何か』ということですよね。それを一度、考えてみるといいと思います」
今年9月15日に16歳から19歳までの少年4人が、読谷(よみたん)村のチビチリガマ(自然壕)を荒らした罪で逮捕された。チビチリガマでは1945年4月、避難者約140人のうち83人が集団自決している。遺品や凄惨(せいさん)な死を悼むための折り鶴などを、彼らは「肝試し」で破壊した。戦時中に何が起きた場所なのかを、知らなかったという。
このように沖縄で生まれていたとしても、歴史を知らない世代が育ちつつある。上原さんはこのニュースに触れた際、憤るよりも「歴史を伝えなくては」と思ったし、これからも書き続けるという思いを新たにしたそうだ。