「フランス革命を世界史的事件として見ていかねばならない。形式的な自由の対立とはべつに、この革命は、その内実からして世界史的な事件だからです。対外的な広がりという点からすると、ナポレオンの征服戦争によって、フランス革命の原理はほとんどすべての近代国家に提示され、自覚的にうけいれられました。〔中略 しかし〕抽象的な自由主義はフランスを起点としてラテン世界に浸透はしたが、これらの国々では宗教的な隷属状態がつづいていたために、政治的不自由をくつがえすにはいたらなかったのです。」
「〔しかし、個人の自由が自覚され、近代市民社会が実現されるに至って〕意識はここまでやってきました。のべてきたのは、自由の原理を実現していく主要な精神の形態です。世界史とは自由の概念の発展にほかならないのですから。〔中略〕
歴史に登場する民族がつぎつぎと交替するなかで、世界史がそうした発展過程をたどり、そこで精神が現実に生成されていくこと――それこそが正真正銘の弁神論であり、歴史のなかに神の存在することを証明する事実です。理性的な洞察力だけが、聖霊と世界史の現実とを和解させうるし、日々の歴史的事実が神なしにはおこりえないということ、のみならず、歴史的事実がその本質からして神みずからの作品であることを認識するのです。」『歴史哲学講義(下)』長谷川宏訳、岩波文庫
ここで注意したいのは、ヘーゲルもまた、社会に媒介されない主観的「自由」を「抽象的な自由主義」として批判しながら、しかし、だからこそ、それを「理性的な洞察」によって現実的な国家に媒介しなければならないと語っていたことです。そして、その個人の自由と、社会の秩序との交点(=社会契約による近代国家の創設)の実現こそが、「神」の目的(エンド=歴史の終わり)を証明する「正真正銘の弁神論」だとされるのです――つまり、自由の歴史を実現することこそが、特殊な個人(=イエスの言葉)が、普遍的な神の子(=救世主キリスト)であったことを証明する証拠となるのです――。
けれども、それならヘーゲルもまた、あの「一般意志」(ルソー)の実現を、「世界史」の目的だと考えていたということなのでしょうか?
そうなのです。『精神現象学』を書く横で、知人への手紙に、「この世界精神〔ナポレオン〕が、町を馬で陣地偵察に行くのを僕は見ました」(1806年)と書き記していたヘーゲルにおいて、フランス革命による現実変革は、まさに〈神の一般意志=世界精神〉による変革であり、世界史の進歩だったのです。
もちろん、その一方でヘーゲルは、ロベスピエールの恐怖政治を「主観的な徳が、残酷この上ない暴虐ぶりを発揮し」たものだと批判していました。が、フランス革命によって示された「一般意志」を経験的に解釈しすぎたことが――つまり、「一般意志」を個人に引き寄せて考えすぎたことが――、その失敗の原因だったと述べるヘーゲルにおいて、理性によって導かれるべき「革命」の理念は、むしろ強く擁護されていたと言うべきでしょう。
だからこそ、その後にヘーゲル哲学は、一切の「宗教」を理性から払拭しようとしたヘーゲル左派の哲学(フォイエルバッハ哲学)を導き、さらには、一切の「主観」を取り除こうとしたマルクスの思想(唯物論と共産主義)をも生み出していくことになるのです。
先に言及したジャン・スタロバンスキーは、そのルソー論のなかで、世界を「透明」へと導こうとする革命精神の系譜について、次のように書いていました。
「エンゲルスは『人間不平等起源論』を解釈するにあたって、ルソーのテキストの結末の部分に重点をおいている。すなわち、専制君主の残虐な暴力に隷属し、屈従している人間は、自己を解放し、暴君を打倒するためにかれらの側から暴力に訴えるのだ。〔中略〕
人間がその「自然状態」から離れつつあるこの歴史のなかには、ひとつの「自然の秩序」が存在しているのだ。エンゲルスにしたがえば、不平等は究極には平等に変質するが、究極的な革命が実現するものは、言語を欠いた原始人の、古い自然の平等ではなくて、社会契約による、より高度な平等である。圧制者は圧迫され、過去の関係は保持されると同時に止揚される。そして人間は否定の否定〔自然を否定する社会の否定〕を達成する。このようなヘーゲルおよびマルクス的な解釈は『社会契約論』を『人間不平等起源論』の延長として、さらに結論として読むことが可能であることを前提としている。」『ルソー 透明と障害』山路昭訳、みすず書房
果たして、このルソーからヘーゲル、そしてマルクスに至るまでの系譜のなかに、十九世紀から二十世紀に至るまでの(あるいは二十一世紀現在も続く)「左翼」の系譜を見て取ることができるでしょう。それらは詰まるところ、個人的自由と社会的秩序との均衡点を作り出す「理性」、そして、その理性によって導かれる「一般意志」の思想だったと言えます。
しかし、「一般意志」が、〝ここ(障害)ではないどこか(透明性)〟を指し示す未来の理念でしかないかぎり、それは当然、〝いま、ここにあるもの(経験)〟への愛着と畏敬を語る者たちの心のなかに、ある種の違和感や抵抗感を呼び起こさざるを得ませんでした。そして、その最初にして最大の抵抗の一つが、「保守思想の父」と呼ばれるイギリス人=エドマンド・バークによる『フランス革命についての省察』だったのです。
ようやく、エドマンド・バークの思想について書き進める入り口までたどり着いたところですが、しかし、すでに紙幅を大きく超えています。バークの人と思想、そして、保守思想の現代における可能性については、次回以降、詳しく紹介したいと思っています。