「世界の医療団」(MDM)の中嶋秀昭は、ロヒンギャ支援のプロジェクト・コーディネーターとして、2020年春、木田晶子(連載第18回参照)と入れ替わるようなタイミングで現地に飛ぶ予定であった。しかし、その直前に新型コロナウイルスの影響で渡航制限に遭った。中嶋はこれまで北部スリランカ、アチェ(インドネシア)、リベリア、南スーダン、リビアといった紛争地に駐在し、保健関連事業等を監理してきたが、今回のようなケースは初めてであった。日本国内から現地への指示と支援を続ける中嶋に、現在起こっている問題について聞いた。
85万人に166の医療施設
――現在、約85万人のロヒンギャ難民が生活をしているバングラデシュ、コックスバザール郊外のメガキャンプは、医療団体も入れないような状況に陥っているわけですが、現状、ヘルスケアはどうなっているのでしょうか。
中嶋 2017年に大量の難民が流入して来た直後は、その問題の大きさに対応しようといろんなNGOがキャンプに入ってきてクリニックを作りました。そのおかげで国際的な人道支援基準である「スフィア(Sphere)基準」における『1万人の難民に対してクリニックを最低一つ』という基準は満たしています。ただ、中には給水、衛生、栄養、保健などの最低基準に達していない施設もあるので、それらについては無理をせずに閉めなさいという指導も行っています。数字上は全部で166のクリニックがあります。
そんな中、私たちMDMはまず、ぜい弱な層の人たちを対象に支援しています。特に高齢者の方とか、障害や基礎疾患のある方。その人たちを保護し、医療機関につなげていく。そして家族とコミュニティがそういう人たちを見守っていくように、重層的な支援になるように取り組んでいます。
――日本の災害避難所の設置にも適用してほしいと言われているスフィア基準ですね。現在のキャンプの内ではコロナ対策についての統一的なアナウンスはなされているのでしょうか?
中嶋 WHOが送ってくる対策資料を使い、『コミュニケーション・ウィズ・コミュニティ・ワーキンググループ』というさまざまな啓発に取り組むNGOの集まりがアナウンスを作成しています。英語で告知をしても通じませんから、ミャンマー語やロヒンギャ語に翻訳して、コロナに対する正しい知識を持ってもらうように発信しています。コロナとは何か、ウイルスとは何か、目に見えない病原体によるものだからこそ、しっかりと検査、検疫、隔離治療の意味を知らせる必要があります。
モスクが「密」に
――外出を控えるような指示は出されていると思いますが、そんな中で当面の大きな問題は何でしょうか。
中嶋 ロヒンギャの人たちは敬虔なムスリムですから、モスクでの礼拝ですね。キャンプ内のモスクが「密」になってしまう。これを防ぐために、新型コロナウイルスが収束するまではお祈りで集まることは控えて欲しい、しかしこれは決してイスラムに反するものではないのだ、ということを、イマーム(イスラムにおける宗教的な指導者)を通じて伝えてもらっています。
――濃密な家族性であるがゆえに、感染者や家族のパニックも心配です。
中嶋 陽性反応が出た感染者の人が隔離治療されるときも家族に連絡できるんですよ。ロヒンギャの人々はあれだけの酷い迫害に遭って逃げてきた人たちなので、家族から隔離されることが、心底恐怖だと思うのです。
ただ、日本でもそうですが、感染者が社会的なスティグマを押されてしまう可能性は常にあります。そういうところの啓発や対処はまだまだ必要だと思います。
隔離されたら殺されるとか、コロナにかかるとすぐ死んでしまうとか、そんな噂が実際にキャンプ内にあると聞いています。もちろん流言飛語を抑えていきたいのですが、コロナはアッラーの罰という言説もあります。頭ごなしにそうじゃないと言ってイスラムを否定してしまうようなことをせずに、ウイルスはイスラムとは関係ないのだというところをいかに丁寧に説明していくかが重要ですね。
――モスクに集まることに対してどのような説明をして制限していくのかというところも含めて、それは非常にデリケートな啓発活動になりますね。
中嶋 キャンプに入ること自体が厳しく、その回数も少なくなっています。ただし、私たちはロヒンギャのボランティアの人たちと働いているので、そこでコミュニケーションを積極的にとって、当事者たちが当事者たちに伝えていくということをまず期待しています。
医療従事者も地元のバングラデシュ人が多いので、ムスリムについて理解しつつ、予防に向けての話をするのに適切だと思います。やはり、正しい情報を周知する上で問題となるのはキャンプ内のインターネットの通信制限が相変わらずなされていることです。ロヒンギャ難民の人たちは自分たちで正しい知識を得ることができないのです。一部のスポットによってはなんとかなるんですが、ほとんどのところがロックアウトされています。人道的な見地から、制限解除をするべきだと再三要請していますが、相変わらずその動きはありません。
マスクよりも手洗い重視の啓発活動
――感染予防用の支援物資はどうなのでしょうか。日本では各世帯に二つずつ通称アベノマスクが配布されましたが。