小説家になるために必要なことは?
鴻池 田中さんは最初に小説を書いたときのこと覚えてますか?
田中 最初は小説を書きたくても書けないから、人の小説をノートに書き写すことから始めたんです。18、9歳頃に、川端康成の『雪国』、谷崎の『蘆刈』なんかを全編丸ごとノートに鉛筆で書き写していました。その後、自宅の窓から見える風景を描写するというかスケッチのようなことをノートに1ページいかないくらいの分量で書いていました。それより前、中学の頃から日記をつけていたんです。窓の外のことを書くのは、日記の延長でしたね。
鴻池 日記から小説への移行はどういう感じでしたか?
田中 正確には覚えてないけど、その風景を見ている人間が何を思うのかを描写したときにある程度の長さのものが書けてきたのかもしれない。その風景を見ている自分はどんな気持ちで見ているのか。自己を客観視できてきたところからフィクションのスイッチが入ってきたというか。
鴻池 窓の外をスケッチすることは、小説を書く練習という意識だったんですかね?
田中 そのときは練習とも思わず、小説を書く力がないと自覚しながらも、何か書かなければというところで書いていたんじゃないかな。新人賞に応募するには、ある程度の長さを書かなければいけない、でも書けない、の繰り返しでした。だから、小説らしきものを書き始めてから新人賞を受賞するまで10年以上はかかってます。
鴻池 応募したのは「新潮新人賞」だけですか?
田中 ええ、2回目の応募で受賞しました。最初に新人賞に送った小説は全然ダメでしたね。なんだかわからないまま書いて、とりあえず最後までたどり着いたみたいな感覚でした。実際、最終候補にも残らなかった。実は受賞作の「冷たい水の羊」は最初に応募したその小説より前に書き始めていたんです。落選して、前に書いていて途中でやめていた作品に戻ったんですね。ただ、受賞作が完成したとき、いままで書いてきた作品とは違う手ごたえのようなものを感じていました。ストーリーや人物に一貫性があるというか、小説全体の調和が取れている。完璧にコントロールはできないけど、ある程度、自分の作品に意識的になれて書き終えた実感があったんですよ。
鴻池 わかります。僕も受賞した作品が書けたときに、それまで6年投稿を生活続けていたなかで初めての手ごたえを感じました。
田中 6年送り続けていたの?
鴻池 ええ、毎年、送っていましたよ。
田中 それは、すごい。
鴻池 当時は、数撃てば当たると考えて毎年、応募していたんです。いま考えたら、そんなことする必要はなかったなと思っています。質の高いものが書けるように1作に集中して時間をかけたほうがいいんですよね。
田中 その通りだと思う。私はいま新人賞の選考委員をやっているけど、ほかの新人賞の候補でも名前を見る人がいる。受賞に至らないのは、作品をたくさん書いていろんな所に応募していることも関係しているんじゃないかな。数を撃ち過ぎるのはよくないよね。
プロの小説家ではない人が、1年に1作、たとえば100枚以上書くって大変なことです。書けてしまうということに疑問を持ったほうがいいと思う。「書けないな」というのが当たり前で、自分の場合は、本当は200枚以上書きたかったんだけど、とりあえず、何とか100枚までたどり着いたという感覚でデビューした気がする。枚数でなくても、自分の理想とする小説の飛距離みたいなものが本当は200でも、とりあえず150ぐらいまでは来たかなというのがデビュー前の感覚じゃないかな。
鴻池 その〝150まで来た〟という自分の中の基準が難しいんですけどね。
田中 そうだね。もっとできるかもと思ってしまうしね。でも、スラスラ書けたものは、疑ったほうがいい。書けない、書けない、といくらでも悩んで粘れるだけのスタミナがあるほうが前進できる。書いた後の達成感みたいなものがないとしても、何とか〝いま書けることは書きました〟というやり切った感覚が基準になる。粘ってもがいたところに、本人の意図してない、その人の持ってる資質とかパワー、破れ目も欠点も含めていろんなものが小説に出てくると思う。
鴻池 確かに小手先だけで完成を急がないで、もがけるだけもがいたほうがいいかも。
田中 小説を書くという行為は、言葉のインプットとアウトプットの繰り返しなんですね。アウトプットばかりをしていてもダメでね。インプットも必要だから、やっぱり1作書くのには相当時間がかかるはずです。いまはデビュー前に創作する人たちのコミュニティがたくさんあるんですよね。それ自体を否定するつもりはないし、いまに始まったことではなく、昔の同人誌からの伝統でもあると思う。でも、そこで仲間うちで作品を発表して、自分の仲間から「いいよ」と言ってもらえた程度で、デビューできるほど甘いものではない。そもそも、人に作品をそう簡単に見せられるはずがないとも思うんです。
鴻池 いまはネットで、気軽に知らない人に作品を見てもらうこともできるし、創作コミュニティも作りやすいんですよね。でも、僕もデビュー前に小説家になりたいと公言していたけど、人には読ませなかったな。
田中 読ませたくないよね。本当に小説家になりたいのであれば、やっぱり新人賞に送るために1作に集中的に言葉を投入するほうがいいと思う。その1作に集中するという姿勢はデビュー後も必要じゃないかな。というのは、言葉というのは蓄積なんです。蓄積した言葉をどうアウトプットするのかが創作するうえでの勝負になる。書いたものを発表するのは勝負なんだから、そこには戸惑いや恐れがあるのが当然だろうと思う。
鴻池 ごくたまになんですけど、僕のところにも、小説家を目指している人が、「どうやったら小説がうまくなるかアドバイスくれ」とか言ってくるんだけど、うまく答えられない。
田中 正解があるわけではないしね。小説は勉強して技術的に身につけることもできなくはないですよ。でも、その人の中から何が出てくるかなんですよね。それはその人が〝どういう生き方をしてきたか〟はもちろんあるけど、それより〝どういう本を読んできたか〟で出てくるものが決まると思う。言葉というのは後天的に仕入れるものだから、とにかく読んでインプットすることが重要じゃないかな。