1945年8月に広島、長崎に投下された原爆の被害者による唯一の全国組織。2024年10月11日、ノルウェー・ノーベル委員会は、日本被団協に今年のノーベル平和賞を授与すると発表した。
日本被団協は、アメリカが1954年に行ったビキニ水爆実験をきっかけに原水爆禁止運動が広がるなか、1956年8月の第2回原水爆禁止世界大会において結成された。結成宣言は、「私たちは自らを救うとともに、私たちの体験をとおして人類の危機を救おうという決意」したとうたっている。
日本被団協が掲げた目標の一つは、原爆被害への国家補償の実現である。請願大会などの運動の結果、1957年には、被爆者の健康診断を国費で負担し、「認定被爆者」の治療費を国が負担する原爆医療法が、1968年には健康管理手当など各種手当を支給する原爆特別措置法が制定され、1995年にはこの2法をまとめた被爆者援護法が施行された。ただし、国の責任を認めて死没者や遺族に補償する内容にはなっておらず、また被爆者の範囲や原爆症の認定基準も厳しく定められたままになっている。認定されなかった被爆者たちは、2003年以降、各地で集団訴訟を起こし、今も続いている。
日本被団協が掲げたもう一つの目標は、核兵器の廃絶である。日本被団協は、「再び被爆者をつくらない」というスローガンを掲げて、原爆被害の実態を知らせるために国内外で被爆者の証言を伝え、原爆展の開催や署名活動などを行ってきた。また、核不拡散条約(NPT)再検討会議などの国際会議にも代表者を派遣し、原水爆禁止を訴えた。1982年6月には、代表委員(当時)の山口仙二さんが第2回国連軍縮特別総会で被爆者として初めて演説し、「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウォー、ノーモア・ヒバクシャ」と呼びかけた。現在は、2017年に国連で採択され、2021年に発効した核兵器禁止条約の批准を日本や核保有国に求める国際的な運動を展開している。
ノーベル委員会は、日本被団協に平和賞を授与する理由として、「核兵器のない世界を実現するために努力し、証言を通じて核兵器が二度と使用されてはならないことを実証した」ことを挙げ、約80年間にわたって戦争で核兵器が使用されなかったのは「核のタブー」があったからであり、そこには、核兵器がもたらす痛みと苦しみを世界に訴え続けた被爆者の努力が大きく貢献しているとした。