第8回目のゲストは、2021年「ミシンと金魚」で「第45回すばる文学賞」を受賞しデビューした永井みみさん。対談始まってすぐに、「純文学」とは何かがわかったと語る永井さん。その定義とは? 第2作目の「ジョニ黒」にまつわる、いままで語ってこなかった話など……。熱い議論が交わされる!
「純文学」はいかがわしいもの!?
永井 始まったばかりで結論みたいなこと言いますけど、今日の対談テーマの「純文学とは何か?」を見つけたんです。
鴻池 もう終わりですか(笑)。
永井 いや、酔っぱらう前に言っておきたくて。
鴻池 ぜひ、お願いします。
永井 ずばり「純文学」とは、「純喫茶」ではないかと。
鴻池 えっ、それはなぜですか?
永井 デビューしたての頃にインタビューをたくさん受けたんです。その中で「『ミシンと金魚』は純文学なんですか?」みたいな質問を受けたことがありました。そこから、自分の小説は、「うーん純文学なのか? そもそも純文学って何だ?」と自問自答してきたんです。それで、3か月ぐらい前、たまたま飲んだ帰りに純喫茶に入ったんです。ドアを開けた瞬間に煙草の煙でもくもくで、その前に飲んでいた居酒屋さんよりすごくて……。
鴻池 いまどき、喫煙できる場所って少ないですもんね。
永井 そう、なんかチェーンスモーカーのおじさんがパカパカ煙草を吸ったり、あとは外で買ってきたお弁当を持ち込んで食べている人もいる。そこの純喫茶には、ちゃんと定食とかフードメニューもあるんですよ。あと、私の隣に若い男女がいたんです。でも、どうもカップルではなさそうで、その2人の話が面白いんです。男の子がSNSで知り合った女の子とヤレたか、ヤレなかったかみたいな話をしていて、聞いていた女の子が「それで、どうなった?」みたいに興味津々で聞いている。その男の子は最終的にヤレなかったらしいんだけど、その女の子が、「なにそれ、マジムカつく」みたいな反応で(笑)。
鴻池 面白い話してんな(笑)。
永井 この2人はどういう関係なんだろうとか、そもそも会話の内容がいわゆるカフェのような場所でしゃべる話題ではないとも思ったんですよ。なんか、敷居が高いけど、入ってしまえば自由な空間が守られているというか、これが「純文学」=「純喫茶」だと思った理由なんです。
鴻池 なるほど! 一見すると開かれてはいないけど、中に入ると実は開かれているみたいな。
永井 そうそう、カフェのように散歩して疲れたから、といって気軽には入れない。店構えも重厚で店主もちょっと怖いかもとか。
鴻池 うん、一見さんお断りなんじゃないかとドキドキしますよね。
永井 入るのにちょっと勇気がいる。カフェに来るようなおしゃれな人たちもいないし。でも一回入ってしまえば、中は自由で、銘々が勝手なことをやったり、話したりできる空間なんです。
鴻池 なんか、ちょっとした拘束とか規則から逃れられる、避難場所のような。
永井 そうそう、素の自分でいられる場所というか。
鴻池 そういう意味で「純喫茶」=「純文学」なんですね。純喫茶と聞いて僕が最初に思ったのは「純文学」という言葉の起源のことかなと。というのも、「純文学」という呼び方は「純喫茶」から来ているという説があるんですよ。
永井 えっ! そうなんですか!
鴻池 喫茶店は一時期、女の人が席について、酒とかも出すようなちょっといかがわしい場所だったんですよね。それで、そうではない純粋にコーヒーだけ出す店ですよという意味で「純喫茶」と名づけたらしいです。それで、純文学もそれを真似して、大衆小説のようないかがわしいものではない「純文学」ですと名づけたという説があるんですよ。
永井 へー、知らなかった!
鴻池 だからその話かと思ったら、永井さんの説は「純喫茶」の空間の話なんですね。でも、たしかにそっちのほうがしっくりくるかも。だって純文学のほうがいかがわしくあってほしいですもん。
永井 絶対、そうです。
鴻池 ちなみに永井さん煙草は大丈夫なんですか?
永井 私は平気です。
鴻池 じゃあ、今日はここも「純喫茶」ということで、失礼します(煙草を吸い始める)。
永井 どうぞどうぞ(笑)。