ジャーナリズムは何のためにあるのか――清水潔×三浦英之対談
取材における「正しさ」
清水 事件報道では、場合によって、遺族の証言が必要になります。遺族への取材というのは、是非が問われることもありますが、それは事実に一歩でも近づくための手法なんです。殺害されてしまった被害者がどんな人だったのかというのは、警察ではなく、ご家族や可能な限り近い人が話してくれたほうが、誤解なく伝わると思います。
三浦 猪野さんのご遺族は、清水さんの取材に対して深い感謝の念を抱いていますよね。結局は、取材者の「人間性」なんだと思うんです。そういう遺族としっかりと向き合って情報を伝えていくという記者が、昔に比べて随分と減ってしまった。こういうことをうかがってもいいのかどうかわからないのですが、清水さんはご自身の娘さんを亡くされたときのことを、ご著書の中で少し触れていらっしゃいますね。

清水 『遺言』の文庫版に書きましたが、猪野さんのご遺族は私の娘のお葬式にも来てくださいました。それまでは、事故などで遺族に取材するときには、「亡くなった方はもう帰ってこないけれども、このことをきちんと伝えることで再発を防止することはできる」という説得をしていました。ところが、自分が遺族の立場になってみると、何があったのかというのは今でも言いたくないんです。身内を亡くして感覚が鋭敏になっているとき、遺族は「この記者がなんのために取材をしているのか」「その取材は本当に自分(遺族)のためになるのか」ということを一瞬で見抜きます。だからそれ以降、自分の取材の仕方はちょっと変わりました。遺族として聞かれたくないことや、聞いてもいいタイミングというのが、感じ取れるようになったんだと思います。
三浦 私は震災直後から約1年間、宮城県南三陸町に住んで東日本大震災の取材をしました。その際、取材者としてはどうしても、被災した方々に「ご自宅は残ってらっしゃいますか」とか、「ご家族が被害にあったんですか」ということを聞かなければならない。でも、相手をさらに傷つけるような非人間的なことを質問したい記者なんて、本当は一人もいないんです。でもそれをしないと、現状を伝えられないし、現状が伝わらないと支援も物資が必要な場所に届かなかったり、国も行政も動かなかったりする。だから記者は、そうした質問をしなければいけないんですけども……。
清水 『災害特派員』のなかで、三浦さんは「自分自身がやっていることが正しいのか」って、何度も自問されているじゃないですか。結果、災害現場で撮影するのをやめて、カメラをリュックサックにしまったり。
三浦 もちろん、「カメラをバッグにしまう」という行為が、職業記者として本当に正しいのかどうかということについては、私自身にも葛藤があったんです。そのときにカメラで写さなければ伝えられない、後世に残せない場面というのがそこには確実にあって、カメラをそこでしまってしまったら、自分が記者としてそこにいる意味はないわけですから……。
清水 だけど、やっぱり人としては疑問を感じる。『災害特派員』を読んで、三浦さんはそうした災害記者としての葛藤や心に刺さったことをしっかりと書き残しているというのが、とてもいいなと思いました。ジャーナリズムの現場では、非常識な記者やカメラマンもいるかもしれない。でも、そんな人たちもみんな一人ひとり、必ず心に何か刺さっているはずなんですよ。
三浦英之さんの『災害特派員 その後の「南三陸日記」』(集英社文庫)
三浦 東日本大震災では、家族を失った人が無数にいます。遺族の方に「復興についてどう思いますか」と聞くと、多くの人が「自分には復興はないからね」っておっしゃる。インフラなり家はどうにかなるかもしれないけど、亡くなった家族はけっして戻らないからです。でも、メディアでは震災のあとすぐに「復興」という言葉を使い始めたり、政府も「復興オリンピック」とか言ったりしていた。それが家族を失った方たちにとって、どれほどつらい言葉だったか。
清水 私も被災後の1カ月目に宮城県気仙沼市へ行きました。当時テレビのディレクターだったので、被災地で夜の中継をするように東京本社から頼まれたんです。そのときはまだ停電していて真っ暗ななか、みんな学校の教室に段ボールを敷いて毛布1枚で震えて寝ていました。ところが、東京本社は、「復興のつちおとみたいな雰囲気を感じられる中継にしてくれないか」とか言うから、「何が復興だ、冗談じゃない」って。もう最後には、けんかになりました。
三浦 東日本大震災の直後というのは、みんながいろんなものを失って、大きな悲しみがあったけれど、その一方で、これからみんなでこの悲しみや困難を乗り越えていくぞ、という一体感のようなものがありました。被災者の方々とラジオ体操をしたり、お茶会をしたりして過ごしながら、日常の悲しみの中にそうした一体感をおぼえて、私は当時「これで日本は変わる」と確信していました。でも、震災から約14年近くが経って、その予想は見事に外れてしまいました。世の中が企業や個人の「利益第一主義」みたいになり、SNSなどでは匿名での誹謗中傷が繰り返され、社会のつながりが希薄になってしまった。震災直後って、人の痛みがわかったじゃないですか。それが今の世の中は失われてしまっていて、すごく寂しいし、残念に思います。

清水 元日(2024年)に能登半島地震が起きましたが、現時点でも被災地は本当に放置されていますね。ボランティアが行こうとすると、そんなところに行っても混乱するだけだとか、まことしやかな話が飛び交って、現地で困り果てている人たちに対して何もできない状況が続いている。東日本大震災では、多くの人が支援してきましたが、それに比べると、あの能登の局所的なわずかな人たちは見捨てられているという現実がありますね。
著者情報
ジャーナリスト
清水潔
しみず きよし
1958年、東京都生まれ。新聞社、出版社勤務を経て、新潮社「FOCUS」編集部記者へ。その後、日本テレビ報道局記者・チーフディレクター、特別解説委員等を経て、現在フリージャーナリスト。他に早稲田大学ジャーナリズム大学院非常勤講師など。主な著書に『桶川ストーカー殺人事件――遺言』(「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」「JCJ大賞」受賞)、『殺人犯はそこにいる――隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件』(「新潮ドキュメント賞」「日本推理作家協会賞」受賞)(ともに新潮社)など。主なテレビ番組に、NNNドキュメント'15「南京事件――兵士たちの遺言」(「ギャラクシー賞優秀賞」「石橋湛山記念 早稲田ジャーナリズム大賞」受賞)などがある。
新聞記者、ルポライター
三浦英之
みうら ひでゆき
1974年、神奈川県生まれ。『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』で第13回開高健ノンフィクション賞、『日報隠蔽 南スーダンで自衛隊は何を見たのか』(布施祐仁氏との共著)で第18回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞、『牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って』で第25回小学館ノンフィクション大賞、『南三陸日記』で第25回平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞、『帰れない村 福島県浪江町「DASH村」の10年』で2021年LINEジャーナリズム賞、『太陽の子 日本がアフリカに置き去りにした秘密』で第10回山本美香記念国際ジャーナリスト賞、第22回新潮ドキュメント賞を受賞。