推し活歴40年近く、いよいよ様子がおかしくなってきた
雨宮処凛(作家、活動家)
今回の原稿では、恥しか晒していない。
何か教訓になることとか社会的に有意義な分析とか、そんなものは一つもない。
ただただ、人に知られたくない、できれば隠しておきたいことを晒している。これからの人生にとってマイナスになるかもしれないが、それでもどうしても書きたかったのだ。
ということで、まずはマトモな原稿っぽい導入から始めよう。
最近、「ルッキズム」という言葉をよく聞く。
「見た目至上主義」などとも言われ、容姿や体型によって人を評価したり差別、偏見を持つことだ。
ルッキズムの弊害としてよく挙げられるのが、過剰なダイエットや整形依存など。特にSNSでの「映え」が重要視される昨今、若者には深刻な影響を与えていると言われている。
そんなルッキズムからは誰一人として自由ではいられない。特に私はアトピー持ち。子どもの頃は症状が目立ち、思春期などは本当に嫌で嫌で仕方なかった。そんな経験の反動なのだろうか。私は「美しさ」への強い憧れを持っている。
よって私は10代半ばから重篤なバンギャ。ヴィジュアル系バンドを推してこの40年近くを生き延びてきた。
ヴィジュアル系と言えば、その言葉通り「ヴィジュアル」が大事な要素。ルッキズム云々と言われる昨今、ちょっと肩身が狭い思いがないわけでもない。だけど私は派手髪で原形を留めないほど濃い化粧を施し、黒いドレスあるいはロリータファッション、もしくはカラフルなステージ衣装に身を包んだ成人男性が大好きだ。
![]()
そんなヴィジュアル系だが、最近ちょっと炎上的なことが続いている。
2025年12月には「ひめゆり学徒隊」なるライブを沖縄で開催予定だったグランギニョルというバンドの宣伝画像などが問題視され、ライブは直前に中止に。バンドも活動休止となった。
26年6月には、Xであるバンドの軍服姿のアーティスト写真がちょっと問題視されもした。「ヴィジュアル系バンドの軍服」。それは私にとっては定番すぎて見慣れたものだが、世界中の人が目にする可能性があるこのご時世、やはりそのあたりの配慮は重要では――などと考えていたところ、私自身が30年近く前、バリバリに軍服を着て右翼バンドを組んでいたことを思い出し、人のことを言う資格など1ミリもないことに気づいたのだった。
そんなふうにヴィジュアル系を推してきた私だが、推し始めたのは1990年代初め。まだネットもSNSもない時代。「炎上」などもない平和な頃だが、当時から私は常にメンバーの脱退やバンドの解散、その他不祥事に怯えていた。しかも私は中学時代に「ぞうきん」という曲で有名だったBAKUというバンド(このバンド名、久々に思い出してなんか変な汗が出ているが当時好きだった。まだバンギャになり切っていなかった頃)のメンバーの死を、そして20代前半にはX JAPANのhideの死を経験している。よって私は自らのメンタルの安全保障のため、「誰かを推す」ということを始めたかなり初期から複数を推してきた。一人に絞った場合、何かあった時のダメージが大きすぎるからだ。
![]()
もう一つ、やっていたことがある。平成初期、テレビによく出ている芸能人などと違い、ヴィジュアル系ミュージシャンはしょっちゅう見られるものではなかった。ヴィジュアル系ブームと言われた90年代後半の数年間は別として、10代の頃は、新たなコンテンツの供給が非常に限られていたのだ。よって、VHSビデオを擦り切れるほどに繰り返し見るなどして栄養を取り入れていた。
が、それにも限界がある。ということで、私は10代から、推しのジェネリック的存在を作っていた。好きなバンドのメンバーにちょっと似ている学校の先生とかお店の店員さんとかを心の中で推す、ということを誰にも知られず続けてきたのだ。
そのようなことをして「トキメキ」を補充し退屈な日々を乗り越えていたのだが、この「退屈だから推しを作る」という行為、10代から今に至るまでの30数年間、ずーっとやってきたということに最近、気づいた。
そんな存在はこれまでの人生で無数にいるのだが、数年前のコロナ禍、あまりに意外な人をその対象として選んでいた。
その前に、あのコロナ禍が精神的にどれだけ過酷だったかを思い出してほしい。緊急事態宣言、ステイホームなどの掛け声、連日伝えられる死者数と「救急車は呼んでもこない」という医療崩壊。多くの自宅療養者が病院に行けず命を落としていくような緊張感の中、みんなのストレスがマックスに達していた頃。しかもバンギャの私にとっては大好きなライブも行けず(そもそもなく)、人生で一番くらいに大切な「気心の知れた友人と飲酒してバカ話をする」ということもできなくなって久しい頃。
「これは、日常系で推しを作らないとメンタルが大変なことになるぞ」と思い、「テレビでよく見る人の中で推しを作ったら気分転換になるのでは」と思いついたのだ。
![]()
そんな私の目にある日飛び込んできたのが、スーパー・アキダイ(東京・練馬区に本店を置く食品スーパー)の秋葉弘道社長だった。
突然びっくりしただろうと思う。私も書きながらびっくりだ。あの、ごちゃごちゃした店頭からのテレビ中継で「今一番安い野菜」などについて特徴的なダミ声で語ってくれる、茶髪のあの人だ。
なぜ、アキダイ社長を推すなんていうことになったのか。
今振り返っても本当によくわからないのだが、この頃テレビをつけるとよく見かけるのがあの人で、「この人を推せばちょっと日常が楽しくなるかも」と思ったのがきっかけだ。
ちなみに今まで自分が推してきた人とはすべてがかけ離れているが、自分の限界に挑戦してみたいという、コロナ禍ゆえの「暇」を持て余したチャレンジでもあった。
それから私は、とにかくアキダイ社長を好きになる努力を重ねた。が、ガチではなくうっすらとした推し方をしたいため、自分から彼のパーソナルなことについて調べることはしなかった。あくまで日常でテレビを見たら出ているのが嬉しい程度の推しだ。そうして薄く推し始めると、いろんなことが見えてきた。まず、スーパーの社長だと思っていたのに肩書きがあることに気がついた。それは「価格予報士」。そんな肩書き、生まれて初めて見たうえ、何がどうしてどうなってそんな肩書きをつけようと思ったのかさっぱりわからなかったけれど、彼が「価格予報士」という肩書きをつけるに至る経緯を勝手に想像してニヤけたりした。
一時期は、アキダイ社長のいるスーパーに見に行こうかとも思った。紛れもなく、彼は「会いに行ける推し」だからだ。しかも彼のスーパーには、必ず「身近な有名人」として彼を推している人がいるはずで、そのような人も見てみたかった。が、一人で行くのもためらわれ、また友人を誘うにも「スーパーアキダイの社長を推している」と言う勇気がどうしても出せず、ひっそりと諦めた。
![]()
そうしてコロナ禍が終わる頃、アキダイ社長への思いはすっかり消えていた。だけど今も、テレビで見たりすると「あ」と、「昔好きだった人」を思い出すみたいな気持ちになる。
そんなコロナ禍、「イカ天」にもハマった。89年から90年にわたって放送された『平成名物TV 三宅裕司のいかすバンド天国』(TBS)である。
これも暇ゆえのことだが、あの時期、「昔好きだったもの」を一通り愛でなおした人は多いのではないだろうか。私もその一人で、中学時代に人気を博した深夜番組がYouTubeにアップされているのを見ては懐かしさに悶絶。そんな中でもハマったのが、99年に36歳の若さで亡くなったremoteのボーカル・池田貴族。イカ天で有名になり、バンドブーム終了後は「心霊研究家」などとして活動したわけだが、彼が「世に出た」瞬間を記録したイカ天から「その後の人生」を逆算するように振り返り、そうしているうちにどんどん気持ちが募り、深夜、「なぜ死んだのか」と一人枕を濡らすなどした。孤独だったコロナ禍、情緒が大変なことになっていたのである。
コロナ禍でもう一つハマったのが、TikTokだ。中でも美容やダイエット動画にハマり、それらの影響で2年で10キロ痩せて体調をむちゃくちゃ崩したということはこの記事『「見る福祉」としてのTikTok〜ハマりまくって10キロ痩せ、我に返った顛末記〜』に書いたのだが、そんな経験をしつつもいまだに見ることをやめられない。
![]()
TikTokでは一時期、韓国の野球のチアガールにもハマった。