imidas - 情報・知識&オピニオン

探究

サイエンス

なぜ人はゴキブリを怖がるのか?

生活空間に潜む脅威の生命体

葛西真治(国立感染症研究所 昆虫医科学部第三室 室長)

 病原体を運ぶ実害にも増して、その存在自体が人々を震え上がらせるゴキブリ。最近では「G」とも呼ばれるこの身近に潜む害虫に、なぜ我々はかくも恐怖を抱くのでしょうか。

出現当初から完成体

 ゴキブリが地球上に出現したのは、およそ3億年前の古生代石炭紀とされています。人類の直接的祖先である新人類が現れたのが約20万年前といわれていますので、ゴキブリの歴史は人間のそれの1500倍以上になります。つまり、ゴキブリは人間のはるか上の先輩なのです。驚くべきことに、彼らはこの間、ほとんどその姿形を変えなかったことが、現存する化石の研究から分かっています。ゴキブリが「生きた化石」ともいわれるゆえんです。
 これまでに地球上で起きた様々な環境の変化に耐え、生き延びるための強い生命力をゴキブリは3億年前にすでに持っていたのです。太古の昔から完成体に近かったがゆえに、少なくとも外見上は変える必要がなかった、つまり、進化する必要がなかったといえるのかもしれません。

脅威の身体能力

 ゴキブリの体は平たく、ちょっとした隙間にでも入り込むことができます。体は弾力性に富み、多少の衝撃にもびくともしません。大型種のワモンゴキブリは毎秒80センチの速さで走ることができる強い脚力も兼ね備えています(注1)。これは時速に換算すると3キロ程度ですが、体長をもとに人間に換算すると、時速160キロ以上にもなります。
 さらに、触覚のほか、尾端や体表に多数の感覚毛があり、全身で音や空気の振動を感じ取ることができます(注2)。
 アメリカのノースカロライナ州立大学では、この優れた身体能力に目をつけ、彼らに電波の送受信機能を持ったチップを埋め込むことで、ある程度遠隔操作できる技術を開発しました(注3)。将来的には小型のモニターを搭載し、災害地で被災者の探索に役立てることが期待できるそうです。

特出した生命力

 日本が誇る昆虫学者・石井象二郎さんは、チャバネゴキブリの寿命、産卵数、世代数をもとに、1匹の雌が1年後には理論上2万匹にまで増えることを著書「ゴキブリの話」(1976年、北隆館)で紹介しています。多くの昆虫が植食性もしくは肉食性であるのに対し、ゴキブリはその両方に加え、腐食性までも有しています。どんな環境になっても、食べることには困らないのです。
 そのうえ、万が一に備えて強い絶食耐性も持っています。ワモンゴキブリは、飲まず食わずで平均41日、水さえあれば平均89日生存できたというデータが残っています(注4)。ゴキブリをつぶしたときに見られる白い内臓のようなものは脂肪体と呼ばれるもので、周りに食料がなくなったとき、ゴキブリはこれをエネルギー源として生き延びるのです。
 アメリカの人気テレビ番組「ディスカバリーチャンネル」の企画では、ゴキブリの放射能耐性について実験を行っています。人間が10分間浴びたら死んでしまう強さの放射線をチャバネゴキブリに照射したにもかかわらず、1カ月後に半数が生存し、さらにその10倍の強さの放射能でも、10%が生存していたそうです。
 ワモンゴキブリは大型で神経が取り出しやすいため、電気生理学的な実験に用いられることがあります。筆者は大学生時代に研究室の先輩がこのゴキブリを解剖するのを見たことがありますが、腹部と頭部を失ってもなお6本の脚で走ろうとするゴキブリの強い生命力にかなりの衝撃を受けた記憶があります。

静かに仲間を集める

 ゴキブリの糞(ふん)に、同種の個体を引き寄せる物質が含まれていることを初めて明らかにしたのは、前出の石井さんらのグループでした(注5)。彼らは、チャバネゴキブリの直腸細胞がこの誘引物質を分泌し、糞とともに排泄することを明らかにし、この物質を集合フェロモンと名づけました。
 雌が雄を引き寄せるために放つ性フェロモンも、日本のグループによって1970年代に発見されました(注6)。さらに2005年には、それまでに知られていた性フェロモンよりも高い活性を有するブラテラキノンという化合物が見つかりました。元コーネル大学の野島聡さんたちのグループは1万5000匹ものチャバネゴキブリを根気よく解剖して肛節を集め、この性フェロモンを精製することに成功したのです。

殺虫剤への抵抗性を獲得する

 ゴキブリ対策に用いられる殺虫剤としては、神経軸索のナトリウムチャネルという受容体に作用するピレスロイド系殺虫剤や、神経伝達物質アセチルコリンを分解する酵素の活性を阻害する有機リン系殺虫剤が、比較的古くから用いられてきました。しかしながら、これらの殺虫剤に抵抗性を発達させた集団が出現して、駆除が困難になってきています。
 ピレスロイド剤抵抗性のチャバネゴキブリでは、ナトリウムチャネルの1014番目のロイシンというアミノ酸が、フェニルアラニンという別の種類のアミノ酸に変異することで、殺虫剤が効かなくなります。有機リン系殺虫剤の抵抗性集団では、体内に浸透した殺虫剤を速やかに解毒するため、殺虫剤が効かなくなります。
 これらの殺虫剤より比較的最近登場したヒドラメチルノンやフィプロニルといった殺虫剤は、砂糖などに混ぜ、ゴキブリに食べさせることで効果を発揮するよう加工された、いわゆるベイト剤毒餌剤)として使用されています。ところが、殺虫成分自体に抵抗性を発達させなくても、ゴキブリはこのベイト剤を「食べない」ことで生き延びることが、何年も前から観察されるようになっていました。これらのゴキブリを「スーパーゴキブリ」と呼ぶ人もいます。喫食忌避の原因は長い間謎でしたが、13年になって、初めて神経生理学的に解明されました(注7)。喫食忌避を示す個体の脳は、ベイト剤に使われるブドウ糖を通常の「甘い」と感じるのではなく、「苦い」と感じるため、避けるようになるというのです。この研究ではまた、抵抗性ゴキブリがその他の糖(ショ糖やトレハロース、麦芽糖、果糖)に対して苦味を感じる反応を示さなかったことから、これらの糖がベイト剤の成分として有効である可能性を示唆しています。

人間は地球の主人公か

 過酷な環境にも耐えうるだけの生命力を持ち、生物の長い歴史の中のかなり早い時期に完全体に近い生物へと進化したゴキブリ。仮に自分たちのDNAをうまく後世に伝えられることが生物として「優れている」ことになるのならば、これほど優秀な生命体はないといっても過言ではないかもしれません。
 昆虫学者の安富和男さんによると、地球上に生息するゴキブリの総数は約1兆5000億匹だそうです(注2)。この惑星の真の主人公は人間ではなく、実は3億年のはるか昔からゴキブリなのかもしれません。人間は文明を発達させることで地球上の食物連鎖の最高峰に君臨することができましたが、ゴキブリは人のように特別大きな脳や文明を持たずとも高度な生命力を身につけ、ときに人間の住環境に忍び込み、確実に命脈を保ち続けてきたのです。
 もしかしたら、人間はゴキブリの姿形、生態からそのことを直感的に感じとり、同じ地球上で主役を競う相手としてその存在に危機感を感じるため、不意をついて目の前に現れるライバルに対し「恐れ」を感じるのかもしれません。虫が大好きな私の周りの昆虫研究者の中にも、ゴキブリが苦手な人が少なからずいます。何を隠そう、実は筆者もそんな研究者の一人なのです。

注1~注7の出典

著者情報

国立感染症研究所 昆虫医科学部第三室 室長

葛西真治

かさい しんじ

1970年生まれ。筑波大学大学院農学研究科博士課程修了、農学博士。アメリカ・コーネル大学博士研究員を経て2000年から国立感染症研究所研究員となり、主任研究官を経てコーネル大学客員研究員を務めたのち、現職。蚊、ハエ、ゴキブリ、シラミのように病気を媒介する衛生害虫の防除対策や、殺虫剤抵抗性分子機構の解明と抵抗性のモニタリング、殺虫剤の新規作用点の探索などを研究。著書に『分子昆虫学 ポストゲノムの昆虫研究』(共著、共立出版、2009年)、『招かれない虫たちの話』(共著、東海大学出版部、2017年)などがある。

関連記事