戦場ジャーナリストという灯を、絶やしてはならない――戦後81年、中東レバノンの取材から
志葉玲(ジャーナリスト)
この夏で戦後81年が過ぎた。日本で、戦争を直接体験した人々が天寿を全うしつつある。太平洋戦争の悲惨さを身をもって知り、語り継いできた世代が、急速に減っているのだ。そして今、もう一つの「戦争を知る」存在が、静かに消えようとしている。戦場ジャーナリストだ。
私もその一人である。2003年に開戦したイラク戦争をはじめ、パレスチナやウクライナなどの紛争地を取材してきた。あくまで取材というかたちではあるが、実際に爆撃の轟音と地響きに驚き、破壊された街を歩き、犠牲者や生存者を目の前にして話を聞き取り、自身も危険に晒されながら、戦争の現実を生身で体感してきた。戦後世代が大多数となるこれからの日本社会にとって、こうした同時代の「生きた証人」が消えていくことは、単なる職業の衰退ということではない。戦争の具体的な人間的コストを、日本人の言葉と視点で継承・検証する回路が断たれることを意味している。

破壊されたレバノン南部スール市中心部 撮影:志葉玲
レバノンの戦場の非道――救急車を狙い撃ちするドローン
2026年6月上旬、私は中東レバノン南部の都市スールに入って取材を行った。ちょうど、米国とイランが戦闘終結の覚え書きに署名した時期だ。イランは停戦の条件として、「レバノンを含む全ての戦線での戦闘停止」を強く求めている。それにもかかわらず、レバノン現地では、イスラエル軍の空爆は続き、市民や医療従事者が犠牲になっていた。
私が目にしたのは、繰り返し破壊される住宅、北へ南へと逃げ惑う人々、正面から攻撃を受けた総合病院、そして救急車を狙い撃ちするドローンの痕跡だった。病院では手術室の壁に大きな穴が開き、スタッフ39人を含む127人が負傷し、少なくとも4人が死亡。入院していたザイナブちゃんは、4歳になったばかりだ。スール近郊にある村がイスラエル軍に空爆され、ザイナブちゃんも背中に無数の傷を負い父親と兄など親族8人を失った。

ザイナブちゃん 撮影:志葉玲
スール市内には、「救急車の墓場」と呼ばれる場所がある。現地で負傷者の救助活動や消火活動を行うボランティア団体「レバノン民間防衛隊」を、イスラエル軍は執拗に攻撃してきた。そうしたイスラエル軍の異常さを示すため、破壊された何台もの救急車がその「墓場」に集積されていた。地元のボランティア救助隊員は「私たちは人道支援をしている。国際法で守られるべき活動だ。しかし、相手は人の命を奪うことを何とも思わない連中だ」と憤る。これは偶発的な巻き添えではない。パレスチナ自治区ガザでも繰り返されてきた、非戦闘員を意図的に狙い撃ちする攻撃なのだ。
病院や救急車を狙う行為は、国際人道法上の重大な違反であり、戦争犯罪の疑いが極めて強い。イスラエルは「ヒズボラ(注:イスラエルへの抵抗運動から生まれたレバノンの政党であり軍事組織。イランからの支援を受け、同国からの影響が非常に強い)排除」を名目にしながら、事実上、市民が住めない土地にするための破壊を続けている。

破壊された救急車が並べられている 撮影:志葉玲
戦場ジャーナリストの危機
日本ではあまり報道されていないが、レバノン情勢は日本の命運に直結している。私が取材をした後もレバノンへの攻撃は続き、そのこともあって米国とイランの停戦は頓挫している。こうした状況が続くのであれば、原油の9割以上を中東から輸入している日本の経済や社会にもいよいよ深刻な影響が及ぶ。ここで問わなければならないのは、日本政府が米国やイスラエルを止めるための外交努力を本気でしているのか、ということだ。
私の目から見れば、日本は米国の意向をうかがい、イスラエルの国際法違反を明確に非難することをせず、経済的な圧力をかけることを避け続けている。ガザ攻撃、レバノン攻撃、イラン攻撃と、イスラエルのやりたい放題を「対岸の火事」として放置してきた。その結果が、今の中東の泥沼であり、それが日本のエネルギー安全保障を直接脅かしているのだ。
では、事態を打開するための外交努力を日本政府へ求める世論は日本にあるのかというと、残念ながら、十分に強いとは言えないだろう。そして、その世論をつくるべき報道は、十分に機能しているだろうか。それも十分とは言えないのが実態だろう。現場の一次情報を基に、イスラエル軍の非人道性を具体的に伝え、日本政府の姿勢を問う報道は、極めて限られている。それは、報道の発信者となる戦場ジャーナリストが今、日本では「絶滅危惧種」となっているからだ。また、必死に現地で取材してきても、日本のメディアはそうした取材成果を取り上げることに後ろ向きなのだ。

イスラエル軍が空爆したレバノン南部スール近郊 撮影:志葉玲
ここ3年で紛争地やその周辺に入り、何らかの成果を発表した日本の戦場ジャーナリストは20人にも満たないだろう。高頻度で複数地域を回り、大手メディアで定期的に成果を出し、戦争犯罪や人権侵害を明確に追及し、日本政治との関連も指摘するタイプは、さらに少なく、10人以下。
私自身、今年の夏で51歳となったが、この業界では「若手」の部類に入る。今、現役で活動する戦場ジャーナリストは40代後半から50代が中心で、20代・30代の後継者がほとんど見当たらない。そして、それぞれが様々なかたちで発信を続けているものの、ここ最近の数年間を振り返ると、個々の活動も全体として減少傾向にある。
その一つの要因は、取材コストが跳ね上がっていることだ。イラク戦争開戦時の2003年、円ドルレートはおおむね1ドル=115~120円前後だった。現在(2026年)は1ドル=150~160円台で推移し、円の価値は当時より3割以上も下落している。海外での取材経費——渡航費、滞在費、護衛、通信費——が、実質的に大幅に増えているのだ。
一方で、大手テレビ局の映像使用料は激減している。イラク戦争当時は、迫力ある映像であれば1本で100万円を超えることも珍しくなかった。それは、コストの高い危険地取材の重要な資金源であった。しかし、私や同業者の実感として、現在はかつての3分の1以下に落ち込んでいる。報道関係の雑誌も、2000年代前半のピーク時に比べ、発行点数も部数も大幅に減少し、休刊・廃刊が相次いでいる。原稿料・写真使用料を得られるどころか、発表の場そのものが狭まっているのだ。
フリーランスの戦場ジャーナリストたちは、その経験や現地での人脈などから、大手メディアの特派員が行けないような危険地帯で取材を行ってきた。危険なところであればあるほど、そこには伝えないといけない状況があるからだ。だが、個人で費用と命を抱え、使命感だけで仕事を続ける構造は、すでに限界を超えている。
著者情報
ジャーナリスト
志葉玲
しば れい
番組制作会社をへて2002年春から環境、平和、人権をテーマにフリーランスジャーナリストとしての活動を開始する。雑誌・新聞に寄稿し、現地で撮影した写真・映像をテレビ局や通信局に提供する他、コメンテーターとして各メディアで発言、全国各地で講演を行っている。著書に『ウクライナ危機から問う日本と世界の平和 戦場ジャーナリストの提言』(あけび書房)、 『13歳からの環境問題』(かもがわ出版)、共著に『原発依存国家』(扶桑社新書)等。