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連載

溺れる、沼る、やめられない〜生きるための依存と、それを手懐けるヒント

雨宮処凛(作家、活動家)

 前々回の原稿「四半世紀、毎日飲酒しないと眠れなかった人間がそれを断ち切った顛末記」で、四半世紀続いていた「一人深酒」習慣から脱した顛末を書いた。

 不眠やさまざまな不安からやめられなかった深酒が、「悩みの優先順位」が変わったことによって突然終わったという内容だ。

 きっかけは、飼い猫・リリちゃんがソファの上でウンコするようになったこと。今後の不安やSNS上の自分への罵倒が頭にこびりついて離れなかったのが、リリちゃんによる「見境のない場所での排泄」というテロ行為により吹き飛び、そちらの対処に追われるうちになぜか深酒欲求が消えていたという顛末である。

 その原稿には結構な反響の声が寄せられ、毎日深酒勢からは「羨ましい!」「だけどそんな奇跡はなかなか起こらない!」という声も多く届き、また今不眠だったり悩みがある人からは「お酒は飲んでないけど、今の苦境から脱する参考になった」「そんなことあるんだと驚いた」などの感想を頂いた。依存症界隈からも多くの「いいね」を頂いた。

 そんな原稿がアップされた頃、依存に関する2冊の本を読んだ。

 1冊は、信田さよ子さん著の『溺れながら生きる 依存とケアのあいだで』(文藝春秋、2026年7月)、もう1冊は松本俊彦氏、横道誠氏、菊池真理子氏、二村ヒトシ氏、だいまりこ氏、加藤浩平氏による共著『「やめられない」をどうするか きみと同じことで悩んでる大人たちの生存戦略』(金子書房、2026年7月)。

 2冊を読み、非常に参考になったので、そのことを書きたい。

 まずは『溺れながら生きる』。

 本書の帯には以下のような言葉が躍る。

〈母と娘問題、摂食障害、性暴力とPTSD、ギャンブル依存、トー横キッズとOD(オーバードーズ)、セルフケアブーム、推し活――「自分と似た他者と集うことで、初めて少しは楽に生きられる」 〉

 そして「まえがき」には、以下のような文章。

〈何かに溺れて、私という意識を消し去ること。何かに溺れて、異世界に溶け込むこと。私たちは溺れたい。溺れながら生きていきたいのだ。そうやってとりあえず生きていくことを、誰も責めることなどできない〉

 本書には、さまざまな依存の形が綴られる。

 アルコール、薬物、ギャンブル、ゲーム、インターネット、買い物、窃盗、セックス、過食・拒食、等々――。

 壮絶な摂食障害の描写もあれば自助グループに繋がった人々の声もあり、また戦争トラウマにも多くのページが割かれている。それだけでなく、コロナ禍で流行ったストロング系のお酒やオンラインカジノにも触れられている。オンラインカジノがどのような仕組みで人間を操作していくのか、またホストが客を「沼らせる」ための計算されつくしたシステムなどの描写もあり、「こんなことになっていたのか……」とゾッとする部分も少なくない。

 さて、そんな本書に多く登場するのがやはり、お酒。

 前々回詳しく書いたように、私は物書きになってからの四半世紀、毎日深酒をしていた。そんな自分が本書を読み、改めて思ったのは、「お酒は怖い」「依存しないように最初から飲まなければよかった」ということではなく、「お酒がなかったら死んでたかもしれない」ということだ。

 1980年代から女性のアルコール依存症者たちのカウンセリングにかかわっていたという信田さんは、以下のように書く。

〈当時から「彼女たちは生きていくために酒を飲んでいる」と直感していた。もしアルコール依存症にならなかったら、とっくに彼女たちは自殺するか、もっと重篤な精神疾患を呈していただろう。「あなたは、お酒を飲んで依存症になったから、ここまで生きてこられたんですね」と伝えたこともある〉

 ここを読んで、コロナ禍を思い出した。私がもっともお酒に依存したのがその時期だったからだ。

 コロナ禍独特の孤独もあれば、先の見えなさやイベント・講演などの仕事が続々と中止になり、収入が激減したなどもあった。そこにその時期、さまざまなトラブルが重なった。

 一方で、コロナ禍のSNSは攻撃性を急激に増していた。さまざまな鬱憤の「吐け口」となったかのように、コロナ以前よりも負の感情が渦巻く危険極まりない場になったように感じていた。私自身もSNS上で心ない言葉を浴びせられ、生きた心地がしない時期を過ごした。目に見えてお酒の量が増えたのは、まさにそんな時期。泥酔しないと眠れず、酔っている時だけ、自分への罵声の言葉から解放された。

 本書にはそのままズバリ、「酒は裏切らないケアラー」という小見出しがある。

 そして「忘れられない言葉」として、アルコール依存症患者さんの「先生、酒は裏切らないから」という言葉が紹介されている。

〈今から思えば、彼らにとって最高のセルフケアは飲酒だったのだ〉と信田さんは書く。

 酒ではなく、もっと「健康にいいもの」なんかでセルフケアできればいいのかもしれない。実際、信田さんは昨今注目されているセルフケアについても本書で触れている。それは例えば「十分な睡眠」「バランスの取れた食事」「適度な運動」「リラクゼーション」「孤立を避ける」「瞑想」などだ。

 が、そんなものたちを信田さんは「息苦しくならないだろうか」と指摘する。

 まさにその通りで、つらくてやさぐれてる時に、人は意識高い系の行動などできない。

 実際その時期の私は、自分を大切に扱うどころか自暴自棄に近かった。キラキラ女子みたいなことは「自分にはする資格などない」と思っていた。だからこそそんな人間はバランスの取れた食事などしないし、前向きな気持ちで準備をしてジムなどに行かない。瞑想なんかももちろんできない。できることが飲酒しかなかったのだ。そんな自分を恥じつつも、そこしか逃げ場がなかったのだ。

 だからこそ、信田さんが「セルフケアブーム」について、「自己責任論と表裏一体の関係」 「体育会系」と書いていることに、どこか救われた思いがした。

 さて、2冊目の『「やめられない」をどうするか』も非常に気づきが多い一冊だった。

 本書では、ゲームやスマホ、恋愛やセックス、薬物やいじめなどの「やめられない」について6人の赤裸々な対話が収録されている。

 強調されるのは、精神科医・松本俊彦氏の「依存は生き延びるための手段だった」 という言葉だ。以下、松本さんの文章である。

〈さまざまな心の痛みを抱えたとき、人はそれを和らげる方法を探す。それがアルコールだったり、薬物だったり、あるいは自傷行為だったり……。もちろん、必ずしも健康的な方法だとは言えないけれど、その人にとっては「それしか方法がなかった」わけです。依存という行動には、生き延びるための必死の工夫という側面がある。僕が日本に紹介してきた学説で、「自己治療仮説」と言います。手に負えない苦しさやつらさから解放してくれるものを必死に模索し、しがみついた結果が依存症である、という考え方です〉

 過去は「快楽に溺れる」イメージが強かった依存症だが、「苦痛の緩和」ということが松本さんによって広く知られるようになった。もうひとつ知られるようになったのは、依存症は、安心して人に依存できない病であるということ。

〈僕は依存症を「孤立の病」って呼んできましたが、要するにそれは、人との関係がうまくいかないときに、人は何かに強烈に依存してしまうという現象を意味しています。たとえば、家で安心できない、学校で孤立している、誰にも相談できない。そういう状態で、人はアルコールや薬物、ゲームなど「それさえあれば一時的に楽になれるもの」にすがるしかなくなってしまうんです。逆に言えば、安心できる人間関係があれば、依存は深まりにくい気がします。たとえば、嫌なことがあったとき、友達に話を聞いてもらえる。親が自分の気持ちを受け止めてくれる。そういう環境があれば、ゲームやお酒に頼る必要性が減るわけです〉

 しかし、急に「相談できる人」が現れるわけではない。思えば私自身、「人に相談する」ということが極度に苦手だ。悩み事なんかを話してしまったら、「弱み」を握られてどうなるかわからない――そんな人間不信が染み付いているからだが、同様の人は多いはずだ。

 ということで、本書では「その行動の代わりになるような安心が得られる別の方法を見つけること」が推奨されている。それを専門用語で「コーピング」と呼ぶそうだ。「別の対処法」ということらしい 。

著者情報

作家、活動家

雨宮処凛

あまみや かりん

1975年、北海道生まれ。反貧困ネットワーク世話人。バンギャ、フリーター、右翼活動家などを経て2000年、自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版/ちくま文庫)でデビュー。2006年からは貧困問題に取り組み、『生きさせろ! 難民化する若者たち』(2007年、太田出版/ちくま文庫)は日本ジャーナリスト会議のJCJ賞を受賞。著書に『学校では教えてくれない生活保護』(‎河出書房新社、2023年)、『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書、2024年)など多数。

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