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連載

四半世紀、毎日飲酒しないと眠れなかった人間がそれを断ち切った顛末記

雨宮処凛(作家、活動家)

 大変なことが起きた。

 他の人にとっては大変でもなんでもないが、私にとっては天地が逆転するほどの、長期独裁政権が民衆の蜂起によって倒れるほどの革命的なことが起きたのだ。

 それは「毎日の飲酒」をやめたこと。

 毎日飲酒勢じゃない人からすると、「は?」「そんなことか」と思うだろう。が、毎日の飲酒をやめたいのにやめられないという人たちは今、前のめりになっているはずだ。私もそうだったからよくわかる。しかも私の場合は連日の深酒。

 この四半世紀、飲まなかったのはひどい風邪やコロナ感染時、あるいは猛烈な二日酔いで「もう酒も見たくない」と思った時など年に数回あるかないか。最近は加齢により身体への負担が大きくなっている自覚はあったのに、やめられなかった。

 なぜそんな習慣が始まったかと言えば、理由ははっきりしている。

 私は25歳で1冊目の本を出し物書きデビューしたのだが、それを機に猛烈な不眠に悩まされるようになったからだ。

 不眠の理由もはっきりしている。一言でいうとキャパオーバーだ。

 物書きデビューする前、私はキャバクラでバイトをしていた。ちなみに私の学歴は高卒、職歴はバイトのみ。書くための勉強をしたこともなければ訓練なども一切受けていない。

 そんな人間が突然、いろんな偶然が重なって物書きデビュー。本を出したり雑誌に原稿を書いたりするようになったのである。

 寝ようとしても目が冴えて眠れなくなったのは、デビュー間もない頃だった。

 頭の中には「今日書いた原稿のあの部分、もしかしたら間違ってるのでは?」「派手に勘違いしてて笑い物になるのでは?」「誰かを傷つけてしまうのでは?」「批判されるのでは?」などの「最悪の予想」ばかりがメリーゴーラウンドのようにぐるぐる回る。そうして思考は必ず「その結果、何もかもを失うのでは」に辿り着く。そうなると「寝る」どころではない。ひどい時はそのまま起きてパソコンを立ち上げ、「大丈夫か確認する」ということをしなければ気が済まなくなった。

 相談できる人はいなかった。そもそも周りにはフリーター時代の友人くらいしかおらず、この境遇を理解してもらえると思えなかった。同業者っぽい人に相談というのも頭に浮かんだが、親しい人などいない上、当時はすべての同業者はライバルだと思っていた。競争し、蹴落とす対象に弱みなど決して見せるわけにはいかない。また、仕事を発注してくれたり、本を書くのに伴走してくれるのは編集者だが、「編集者に相談する」という発想も皆無だった。そんなことをしたら仕事がなくなると思っていたからだ。だからこそ、いつも余裕なフリをして、難易度が高すぎる仕事も「できます!」と受けていた。フリーターとして食うや食わずの年月が長かったからこそ、ひとつでも多くの仕事を受けたかったのだ。

 そんなことをしていればキャパオーバーするに決まってるのだが、当時は必死だった。

 そうして不安を打ち消すため、寝るために飲み始めたのがお酒だ。

 それが25歳。まさか51歳までその習慣が続くとは思わなかった。

 といっても、数年前までは別にそれを問題だとは思っていなかった。周りもみんなそうだし(飲酒勢は飲酒勢とつるむ)、体調にもなんの問題もなく仕事に響くこともなかったからだ。

 しかし、コロナ禍前くらいだろうか、連日の深酒(深酒しないと眠れない)が身体への負担に感じてきた。この時点で40代半ば。

 そうして2019年、大事件が起きる。心の中で「毎日飲酒の大先輩」とあがめてきた町田康氏が『しらふで生きる 大酒飲みの決断』(幻冬舎)という本を出したのである。

 本の帯にはこんな言葉が躍る。

〈30年間毎日酒を飲み続けた作家は、4年前から一滴も飲んでいない。何が起きたのか? どうやってやめたのか?〉

 当時の私はこの本の出版を知り、即買い求めている。このことからわかるのは、19年時点で「もうやめたい」と思っていたということだ。

 そう、いつからか、「いっとき不安を忘れさせてくれて寝させてくれるもの」は、「もう手放したいもの」に変わっていた。友人と楽しく飲むお酒は全然いい。これからももちろん続けたい。しかし、寝るために飲酒するという習慣からは脱したかったのだ。

 酒代はかかるし太るし顔もむくむし二日酔いになったら最悪だしで、いいことなんてない。しかし、飲まないと眠れない。意を決してシラフでベッドに入ると、頭が冴えて朝方まで一睡もできない。そんな夜を何度も繰り返してきた。そして決まって頭には最悪のメリーゴーラウンドがぐるぐる回る。

 常にうっすらとした罪悪感を持たされているのも嫌だった。そう、「やめたい」と思うようになってからは、自分のことを「ダメ人間」と思うようになっていた。どれほど仕事などで評価されようとも、自己認識は「酒カス」「酒クズ」。何かを隠しているような気持ちがいつからか、消えないシミのようにこびりついていた。

 もうひとつ、やめるのを阻んでいたのは「酒に依存している自分がやめるともっとヤバいもの/ことに依存してしまうのでは」という不安。

 何しろ10代で重篤なバンギャとなり、20代前半で右翼団体に入って「思想への依存」を経験し、同時期オウムの洗脳などにも興味津々で一度道場に行ったこともある人間だ。やはり同時期、北朝鮮に5回も行ったのも洗脳というか国を挙げた「主席依存」的なものに興味があったからだ。

 そういう人間が、「酒」という合法の依存先を手放したら。今度は違法薬物やギャンブルやホストやそれ以上の、もっとトンデモないものに依存して人様や世間にとてつもない迷惑をかけてしまうのでは――。そんな、自分という人間をまったく信じてないがゆえの不安があった。酒くらいで手を打ててたこの四半世紀が奇跡なのではと思う自分もいたのだ。

 しかし、やめられない最大の理由は、恐怖だった。

 寝るために飲み始めた頃は、すぐに不眠は治るだろうと思ってた。自分は新人ゆえ、重圧の大きさに慣れていないだけなのだと。

 しかし、恐怖とストレスは、新人でなくなってもどんどん大きくなっていった。

「自分が飽きられるのでは」という不安。新しい書き手に感じる脅威。仕事が増えたら増えたでトラブルなどの懸念事項は増え、減ったら減ったで「このまま仕事がなくなるのでは」という焦燥に駆られる。

 そうしてこの10年ほど、ストレスのもっとも大きな種はSNSとなった。これまでとは比較にならないほど、恐怖は加速度的に増加した。

 何を書いても誰かが批判する。そして私の何十年も前の発言を切り取った言葉の断片や過去、右翼団体にいたことが掘り返されて非難される。私の書いた文章を激しくなじる人がいれば、私の存在自体を否定する人がいる。私があるメディアに出ればそのメディアに「残念」「がっかりした」と書き、私が誰かと対談すれば、その相手や活動までもを否定する人がいる。

 いつからか、私は自分がどうしようもない汚染の感染源であるかのような錯覚に囚われるようになっていた。もう自分は誰からも嫌われるウイルスやゾンビのような存在で、死ななくてはいけないんだとさえ思い込んでいた。この10年くらい、ずっとそんな思いが思考の一部を占めていた。

 ストレスから寝ている時に歯を食いしばりすぎて歯が削れたり割れたりし、治療に膨大なお金がかかった。以来、マウスピースを手放せなくなった。

 そんな日々が続いていたのだが、今年(26年)の6月半ば、「あれ、私、生きてていいのかも」とふと、思った。

 別に何があったわけじゃない。ただ、ここ1年ほどは以前の10倍くらいの時間をかけて原稿を書くようになっていたので(原稿料は変わらないのに)、その甲斐あってかしばらく自分への批判を目にしていなかった。また、そもそも自分が嫌な気持ちになりそうなSNSをあまり見ないようになっていた。そのおかげか、頭にこびりついていた自分への罵声も薄れていた。そんなこと、この10年くらいで、初めての経験だった。

 そうしてその日、飲まずにベッドに入ったら、ぐっすり眠ることができた。

 経験上、シラフでベッドに行くなんて、目が冴えて絶対に眠れないはずだった。だけど、次の日もその次の日も眠れて、気がついたら飲む必要がなくなっていた。心底驚いた。そして飲まないとあの独特の罪悪感から解放されて、さらに飲む必要がなくなった。

 もちろん、人と会ったりしたら飲む。だけど、恐怖を打ち消し、寝るための一人の深酒習慣はある日突然、終わりを告げた。

著者情報

作家、活動家

雨宮処凛

あまみや かりん

1975年、北海道生まれ。反貧困ネットワーク世話人。バンギャ、フリーター、右翼活動家などを経て2000年、自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版/ちくま文庫)でデビュー。2006年からは貧困問題に取り組み、『生きさせろ! 難民化する若者たち』(2007年、太田出版/ちくま文庫)は日本ジャーナリスト会議のJCJ賞を受賞。著書に『学校では教えてくれない生活保護』(‎河出書房新社、2023年)、『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書、2024年)など多数。

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