完全養殖ウナギはいつ食卓にのぼるのか? 〔解体新書スペシャル〕
田中秀樹(水産総合研究センターグループ長)
(構成・文/石川憲二)
ウナギの仔魚を餌のところに導くために、私たちは光を利用して水槽の底に集める方法を考えました。その成果が完全養殖の成功につながったのですが、しかし、これは自然界と同じではありません。
仔魚が光を嫌がるのは、光のあまり届かない深い海にいるからだと思います。しかし、そこでどうして餌に出合えるのか、そのあたりは謎のままです。もし解明されれば、飼育に応用できるはずです。
謎といえば、天然のウナギの仔魚は、ある時期、急激に成長し、体重が増えるのですが、これもどういうメカニズムによるものなのか、はっきりしていません。もしかしたら、太平洋のどこかに、ウナギの仔魚が大量の餌を食べる楽園のようなところがあるのかもしれません。
いずれにしろ、自然界におけるウナギの生態がもっと詳しくわかれば、それを参考にすることで、完全養殖の事業化に近づけます。したがって、私たちが進めている養殖技術の研究と外洋で行われているさまざまな調査は、車の両輪のようなもので、それぞれの成果を積み重ねていくことにより、少しずつ完全養殖の事業化に近づいていけるのだと信じています。
田中グループ長にとってウナギとはどんな存在ですか?
私がウナギの完全養殖のプロジェクトに加わったのは、1990年代に入ってからなので、そう古いことではありません。それまでは魚類の性分化や性成熟現象におけるホルモンの働きなどの研究をしていました。ウナギも対象のひとつではあったものの、そのときには特に強い関心があったわけではありません。
ところが、あとから考えてみると、ウナギとは深い縁で結ばれていたのです。大学院で水産学の勉強をしていたころ、世界で初めてウナギの人工孵化に成功した北海道大学の山本喜一郎先生が『ウナギの誕生 -人工孵化への道-』という本を書かれ、私もそれを読んで深く感動した覚えがあったからです。中表紙には孵化後間もないウナギの写真が掲載されていたのですが、その仔魚の顔が魚のものとは思えなかったことも印象に残っています。
そして今、ウナギと深くつきあうほど、この魚の不思議な魅力に取り憑かれています。
成魚になったウナギのオスとメスは、産卵と受精のため2500キロ以上の長い旅に出るのですが、この間、餌はいっさい食べません。つまり、蓄えた栄養分だけで、日本からグアム島あたりまで泳いでいくのです。
ウナギの細長い形状は無駄のない省エネ泳法に向いているそうで、これだけの距離を泳いでも脂肪は1キログラム中、50~60グラムしか使わないとか。それでも、多くの栄養分を体内に蓄えられる魚だからこそ、人間にとっておいしく、大量に食べられてしまうのですから、なんだかかわいそうな気もしますね。
ウナギには他にどんな不思議がありますか?
完全養殖していくうえで問題になってくることのひとつに、成長速度に関する個体差があります。同じように育てても、すぐに大きくなる仔魚となかなか大きくならない仔魚がいて、均等に育つということはありません。
たとえば、人工的な飼育環境でも、レプトセファルスからシラスウナギになるまでの期間は150~500日間と大きな開きがあります。もちろん、養殖のためにはできるだけ成長のスピードをそろえたほうがいいので、特に遅い個体を別の水槽に分けて、育て方を変えてみるのですが、なかなか大きくはならないのです。
おそらくこれは、ウナギの生存戦略によるものだと思います。仔魚の段階では海流に流されていく運命にありますから、同じような大きさに育ってしまうと流れ着くところは限定され、もしそこで環境の変化があれば、絶滅してしまうからです。したがって、できるだけ広く、多様なエリアに拡散していくためには、成長にバラツキがあったほうがいいのでしょう。
そして、このような生態をもつ以上は、日本だけでシラスウナギの漁獲量を制限したからといって、ウナギの減少を防げるわけではないのです。同じ場所で孵化した仔魚は中国や台湾などにも行くので、東アジア全域で漁獲制限や環境保全をしなければ、大きな効果は望めません。
現実には、これは難しいでしょう。さらに、漁獲制限を実施しても、密漁者が増えてしまえば同じことです。つまり、今のままではウナギは減っていくしかなく、完全養殖の実現が急がれる理由はここにあります。
ウナギのメスは1尾でだいたい100万個ほどの卵を産みます。受精させるにはオスを含めた2尾が必要ですから、単純計算すると生存確率は50万分の1。魚類ではめずらしい数字ではないものの、かなり厳しい生存条件であるのはたしかです。
したがって、完全養殖技術が進歩し、この確率が高まれば、ウナギの大量生産が可能になります。そのためには、飼育方法の工夫や改良など、まだまだ取り組むべき課題はたくさんあると思います。
完全養殖ウナギは、いつ私たちの食卓にのぼりますか?
養殖の技術を確立していくうえで難しいのは、自然界のルールをそのままには採用できないという点にあります。たとえば、ウナギの仔魚は海の深いところで育っていることから、加圧できる水槽で飼育を行ったことがありました。しかし、この方法だと、自然界に近い環境は再現できても、餌やりや水質の管理が難しく、設備も複雑でコストが高いものになることから、養殖を事業として大々的に行うには向きません。したがって、ウナギの生態研究によって得られた成果を活用しながら、低コストで簡単に飼育できる方法を考え出していかなければならないのです。
多くの人が、手頃な価格で、安全で、おいしいウナギを食べられるようになるには、もう少し時間がかかるかもしれませんが、ウナギは日本人にとって欠かせない魚なので、何年後とはお約束できませんが、少しでも早い時期を目標に実現したいと考えています。
従来のシラスウナギからの養殖と比べて、完全養殖はウナギの一生を管理できますから、品種改良によって成長を速めるなど、新しい挑戦ができるかもしれません。
私たちはこれまでウナギの自然の生態に頼りすぎたため、漁獲量の低下を招き、ウナギを食べられなくなる一歩手前まで来てしまいました。しかし、完全養殖の研究は私たちとウナギの関係を大きく変え、長くつきあっていけるようにするという意味でも、大切な仕事だと信じています。
著者情報
水産総合研究センターグループ長
田中秀樹
たなか ひでき
独立行政法人水産総合研究センター増養殖研究所養殖技術部ウナギ量産研究グループグループ長。1957年、大阪府生まれ。農学博士。京都大学大学院農学研究科修士課程修了。水産庁養殖研究所研究員、同主任研究官、水産総合研究センター養殖研究所主任研究官、水産総合研究センター養殖研究所グループ長を歴任し、現職。
幼少時、魚の飼育を趣味とする。研究職に就いた当初は、性分化や性成熟を専門としていたが、1990年代に入ってから、ウナギの完全養殖のプロジェクトに参加。以来、この研究一筋となるが、大学院時代、世界で初めてウナギの人工孵化(ふか)に成功した北海道大学の山本喜一郎教授の著書『ウナギの誕生 -人工孵化への道-』に感銘を受けたこともあり、ウナギとの縁を感じる。研究にあたっては、あまりにも多くの謎と、思うように好転しない事態を前にして体調不良に陥ることもあった。周囲には、ウナギを人工的に育てることはできないと結論づける意見もあったが、自然界で成立していることを人工的に行えないはずがなく、何かを見落としていて、どこかが間違っているのだという姿勢を貫く。96年7月、何を餌にしているのかわからなかった仔魚がサメの卵を食べたとき、完全養殖実現への確信を得る。