imidas - 情報・知識&オピニオン

連載

経済万華鏡

物理的距離は遠ざけても社会的距離は縮めよう

浜矩子(同志社大学大学院ビジネス研究科教授)

 新型コロナウイルスによる感染拡大を受けて、改正新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく緊急事態宣言が2020年4月7日に発令されましたね。他の国々でも同様の展開になっていますし、やむを得ないことかとは思います。

 ただ、そう思いつつも、今の状況下で政策責任を担っているのが現政権だということに、つくづく、深い危機意識を感じます。何しろ、アベノマスクですからね。お肉券やお魚券ですし。我々はどんなに慎重に、どんなに注意深く、我々が政策運営を託す政治家たちを選ばなければいけないか。今回のことが、それを我々に実に痛烈な形で教えてくれていると思います。

 それはそれとして、この新型コロナ問題の発生によって、今までは、我々にとってなじみのなかった様々な言葉が我々の日常会話の中に入り込んできましたね。その中の一つが「ロックダウン」(lockdown)でした。都市封鎖ですね。

 もう一つが、「ソーシャルディスタンシング」(social distancing)です。日本では「ソーシャルディスタンス」(social distance)という形で使われることが多いようですが、これだと、単なる「社会的距離」の意にとどまります。「ディスタンシング」と言う方にすることで、「距離を取る」や「距離を置く」、「距離を広げる」という意味になります。飛沫感染や接触感染を防ぐために、人々がお互いに距離を取る。これが、地球上の各地で励行されるようになりました。これも、趣旨は分かりますし、異論もない。やむを得ないのでしょう。合理的な選択だと思います。

 ただ、なぜ、このやり方を「ソーシャル」な距離を取ると表現するのでしょう。このことには、どうも納得がいきません。我々が取るよう求められているのは、物理的な距離です。「フィジカルディスタンス」です。密閉空間の中でひしめき合わないようにして下さい。隣り合わせでは座らないで下さい。対面では顔を合わさないように。このように求められて、我々が行っていることは、全て、お互い同士の間の物理的距離を広げることです。決して、お互いに没交渉になることを求められているわけではありませんよね。

 むしろ、物理的な距離を取ることが社会的な距離が遠くなることにつながってはいけない。実は、ここが重要なのではないでしょうか。物理的に距離を保っているからといって、人間同士が疎遠になり、社会的関心を失い、他者の命運に無関心になったりしてはいけないでしょう。こんな状況下に置かれているからこそ、我々は、むしろ互いに社会的距離を縮めるよう、心掛けるべきなのではないのでしょうか。

 言葉は恐いものです。独り歩きします。「ソーシャルディスタンシング」は「フィジカルディスタンシング」に言い改めるべきだと思います。

著者情報

同志社大学大学院ビジネス研究科教授

浜矩子

はま のりこ

1952年生まれ。一橋大学経済学部卒。三菱総合研究所ロンドン駐在員事務所長等を経て、現在に至る。『グローバル恐慌』『スラム化する日本経済』『ユニクロ型デフレと国家破産』『浜矩子の「新しい経済学」~グローバル市民主義の薦め~』など多数の著書がある。

関連記事

新着記事

imidasの更新情報をお届けします。