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特集

「推し」と「それってあなたの感想ですよね?」の時代に批評ができることは?

レジー(ライター/ブロガー)

 品質の高低や物事の善し悪しを勝手にジャッジする評論家には退場していただいて、仮に知識はなくても当事者としての熱量を推しにぶつけることで自らの快楽を最大化しよう。タイムリーな例を挙げれば、ジャニーズ事務所を取り巻く問題に関して「推しがかわいそう」というスタンスから各方面に心無い声をぶつける一部の熱意がいきすぎたファンの言動もそんな構造と密接につながっているとも言える。批評という外部からの目線が欠如することで、エンターテインメントは社会との接点を失うことになる。

「それってあなたの感想ですよね?」をねじ伏せるために

岡 (前略)よい批評家であるためには、詩人でなければならないというふうなことは言えますか。
小林 そうだと思います。
岡 本質は直観と情熱でしょう。
小林 そうだと思いますね。
岡 批評家というのは、詩人と関係がないように思われていますが、つきるところ作品の批評も、直観し情熱をもつということが本質になりますね。
小林 勘が内容ですからね。
岡 勘というから、どうでもよいと思うのです。勘は知力ですからね。それが働かないと、一切がはじまらぬ。
(『人間の建設』小林秀雄、岡潔 新潮文庫、2010年)

 教養の有無がその場の空気やビジネス(というより金儲け)との距離感で判別され、批評が部外者の上から目線として嫌われる時代。そんな中で社会に最適化したコンテンツが「ファスト教養」であり、当事者だからこその楽しみ方として定着しつつあるのが「推し」と「考察」である。

 すでに起こってしまったことはどんなものでも受け入れるしかないと考えるのであれば、この状況に「社会のニーズが形になっただけ」以上の意味を持たせる必要はなく、そこにアジャストして生きていく(作り手であればこの流れに合致するコンテンツを発信し、受け手であれば自分の好きなものをノーストレスで楽しむ)以外の選択肢はない。また、逆に「こんな世の中はけしからん」という老害的なムーブをとるのであれば、この状況を高みから憂いて本当にあったかはわからない古き良き時代の文化空間に思いを馳せていればよい。

 本稿の冒頭でも触れた通り、『ファスト教養』ではこのどちらにも与することなく「ポストファスト教養の哲学」について検討した。そして筆者のスタンスは今も変わっていない。白黒つけることを目的にせず、それぞれの良い部分を丁寧に精査しながら、どう橋を架けるかについて考える。それこそが必要な態度である。

「ポストファスト教養の哲学」、さらには「ポスト“推し”時代の批評」について掘り下げるうえで、向き合わないといけない厄介な言葉が「それってあなたの感想ですよね?」である。ひろゆきの発言がミーム化したこのフレーズは、着実に社会全体に広がっている(小学校でも実際に使う子がいるというのを先日長女から聞いてうんざりしていたところだった)。誰かの意見をエビデンスの不備という観点から「論破」するこの言葉は、あらゆるものがデータ化される時代と非常に相性が良い。そして、「YouTubeの動画が何回再生されているか」「いくらお金が儲かるか」という数字が重視される「ファスト教養」、推しの生声を唯一の正解として絶対視するエンタメの楽しみ方には、「ここには感想ではない根拠がある」と言い切れる強度が実はある。

 こう整理すると、今我々にとって最初に必要なのは「それってあなたの感想ですよね?」と言われたときに「僕・私の感想ですが何か悪いことでも?」と言い放てる図々しさではないかと思えてくる。どんな意見でも、まずは自分がどう感じたかから始まる。そこから目をそらして他人が決めた物差しで何かを考えてしまうこと自体に疑義を向けるべきではないか。

 一方で、その図々しさが「エビデンス? ねーよそんなもん」に帰結するのも当然問題がある。必要なのは、その感想の裏付けとなる知識、そしてなぜその感想なのかを言語化するためのスキルである。とかく「好きなように感じるのが一番」「感想に良いも悪いもない」といった意見が支持を得がちだが、その表現のディテールまで含めて「好きなように感じる」ためには知識が必要であり、対象が包含する歴史的な意味や社会全体の流れを踏まえたうえでの感想と単なる思い込みからくる感想の間に良い・悪いの差は存在する(ジャニーズ事務所に対する批判を特定勢力によるジャニーズ潰しのためのものと決めつける意見を「感想に良いも悪いもない」とは言えないだろう)。

 より楽しみ、より良い感想を発するためには、様々なことを知らなくてはならない。今はこういう意見自体が権威的で上から目線とされることは重々承知しているが、「良い観客」が社会の基盤をより強固なものにするということは何らかの形で語られ続ける必要がある。そして、様々なことを知るための入口は日々充実しつつある。要約コンテンツでも、自己啓発的なビジネス書でも、用法・用量を守って正しく使えばこれほど心強いものはない。多くの人が擬似的な免許皆伝(これを見れば、読めば教養が身につくという錯覚)のために触れるツールを、果てしなく続く勉強の入口に読み替えられるかどうかはあなた次第である。

 もちろん、最初から「様々なこと」を知るのは難しい。だからこそ、まずは自分の好きなことを起点に知識の体系を広げていくのが良い。よく知らないことに表面的な理解で首を突っ込むのではなく、自分が大事にしているテーマについて深く考えるために必要なことから学ぶ。そのアプローチこそが、その人なりの社会への眼差しを育む早道である。

 自分の思っていることを感想として的確に言葉にできる。その感想の裏側には、自身が培ってきた価値観と社会に対する目線がある(『ファスト教養』ではこの2つを「ルーツとシーン」と位置づけている)。偉大な先人たちの言葉を借りれば、「直観」「情熱」「勘」と「知力」の融合を目指して、そういった見識を得るための道を先入観に囚われることなく便利な道具も活用しながら切り開く。「ファスト教養」の磁場が一般化し、批評が煙たがられる時代に、少なくとも「自分は知性がある」と自負する人たちはこの姿を目指すべきではないか。それこそが、次の時代に求められる教養のあり方を考えるうえでの第一歩である。

著者情報

ライター/ブロガー

レジー

れじー/regista13

1981年生まれ。一般企業で事業戦略・マーケティング戦略に関わる仕事に従事する傍ら、日本のポップカルチャーに関する論考を各種媒体で発信。
著書に『増補版 夏フェス革命 音楽が変わる、社会が変わる』(blueprint)、『日本代表とMr.Children』(ソル・メディア、宇野維正との共著)『ファスト教養
10分で答えが欲しい人たち』(集英社新書)がある。

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