細胞から放出される小さな袋、エクソソーム。がん診断の大きな手掛かりに!
緑 慎也(科学ライター)
星野氏は、大学時代の同級生が骨肉腫にかかったのをきっかけにがん研究に目覚めた。同級生の見舞いのために通った病室で、骨肉腫にかかった子供たちと出会ったという。骨肉腫は幼い子に比較的多く見られるがんである。同級生は足を切断した後、退院して元気にしているが、病室の子供たちの多くが亡くなった。「小さな子が亡くなるがんがあることにショックを受けた」。
東京理科大学から東京大学大学院へ進み、さらに米コーネル大学で、小児がんを研究するデイビッド・ライデン教授の研究室へ留学した。2015年11月には、ライデン教授と共同で、がん細胞由来のエクソソームを調べることで、転移先を予測できるとする研究成果を、英科学誌Natureで発表した。エクソソームの表面にあるインテグリンと呼ばれるタンパク質を調べることで、あるパターンのインテグリンを持つエクソソームは肺に取り込まれ、また別のパターンのインテグリンを持つエクソソームは肝臓に取り込まれるといったことがわかったのだ。がん細胞は、将来の転移先にエクソソームを送り込んで、転移の準備をするのである。インテグリンは、小包に貼りつけられた「送り状」だったわけだ。
がんが原発巣にとどまっているだけなら手術で切除するか、抗がん剤や放射線で叩くことで治療が完了するケースは多い。しかし、がんは原発巣を離れ、他の臓器に転移する。がん患者の死亡原因の9割は転移によると言われるように、がんの本当の怖さは転移にあるのだ。転移の兆候や、転移先を知ることができれば、先手を打って治療ができる。星野氏らは、血液からがん細胞由来のエクソソームを採取する技術の開発に着手した。しかし前述の通り、全身から放出されるエクソソームの中から、がん細胞由来のエクソソームだけを取り出すことがなかなかできなかった。
ところが、今回の研究により、わざわざがん細胞由来のエクソソームを取り出さなくても、全身の細胞から放出されるエクソソームを取ってきて、そのタンパク質を網羅的に解析すればよいことがわかったのだ。さらに、エクソソームを取り出すのにも大きく役立つ成果が得られたという。
「血漿、胆汁、リンパ液から採取したエクソソームに共通して存在するタンパク質を探したところ、これまで知られていなかったタンパク質が13種類、そのうち2種類は、エクソソームの膜上にあることがわかりました。膜上にあれば、(そのタンパク質に結合する抗体を使って)エクソソームを引っぱり出せます。エクソソームを取り出すマーカーとして利用できるのです」
新たなマーカーで、エクソソームの「取れ高」を増やせるかもしれないわけだ。
エクソソーム研究は、生命の機密情報をこじあける
今回の論文でエクソソームに含まれるタンパク質を網羅的に調べることで、がんか非がんか、そしてがんの種類を見分けることが示されたが、完璧に分けられたわけではない。今後は、その精度のさらなる向上を目指して研究を続ける予定だ。
とはいえ、コロナ禍の中、思い通りには研究を進められない。星野氏は、昨年(2019年)帰国し、東京大学で講師を務めた後、今年4月から東工大に赴任した。3月、研究室を立ち上げつつあったところに新型コロナウイルスの世界的流行がはじまり、政府の緊急事態宣言を受けて、大学への行き来も制限された。オンライン会議などで、共同研究者と連絡を取り合いつつ、少しずつ研究再開の準備を進める。

左から杉浦圭氏、星野歩子氏、橋本彩子氏。東京大学の研究室で、2020年2月に撮影された。星野歩子氏提供
共同研究者の一人、東京大学医学部附属病院女性診療科・産科の橋本彩子氏は、今回の研究で主に患者サンプルのエクソソームを取り出す部分を担った。産婦人科医でもある橋本氏は、星野氏と同時期にコーネル大学に留学し、「歩子さんから研究の面白さを教えられた」という。
「エクソソームの研究を、妊娠高血圧や妊娠糖尿病などの妊娠合併症の治療につなげたい」(橋本氏)
胎盤の細胞も、やはりエクソソームを放出して、母体に物質を送りとどけている。小さな袋に隠された新たな生命からのメッセージを読み解けば、母と子を苦しめる病を防げるかもしれないわけだ。
東京大学薬学部の大学院生(修士課程1年)の杉浦圭氏は、今回の研究で、エクソソームを取り出すのに役立つマーカー探しの実験に取り組んだ。昨年、東大の学部4年のときに星野氏の講義を聴いたのをきっかけに実験に参加した。杉浦氏は将来、自閉症の研究にエクソソームを活かしたいという。
「自閉症の診断も治療法もまだ確立されていません。自閉症の仕組みを解明したい」(杉浦氏)
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このようにエクソソームは、がんに限らず、さまざまな領域で、新たな研究ツールとして期待されている。かつて「細胞のゴミ」と見なされ軽視されていたが、エクソソームはゴミどころか、実は生命の機密情報をたくさん詰め込んでいるのである。
著者情報
科学ライター
緑 慎也
みどり しんや
科学ライター。1976 年、大阪府生まれ。出版社勤務後、月刊誌記者を経てフリーに。科学技術を中心に取材・執筆活動を続けている。著書に『消えた伝説のサル ベンツ』(ポプラ社)、共著に『山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた』(講談社)、『ウイルス大感染時代』(KADOKAWA )、翻訳に『「数」はいかに世界を変えたか』『「代数」から「微積分」への旅』(共に創元社)など。