何が大相撲に差別を呼び込むのか?
星野智幸(作家)
それを可能にしているのが、親方絶対の部屋制度である。絶対的な権力を持つ親方を頂点とし、子である力士は移籍はできず師事したら引退までずっと「親」の支配下にあり続けるこの制度は、戦前の家父長制をほぼそのまま温存していると言える。公益財団法人日本相撲協会の定款によると、力士は相撲協会に所属する「協会員」であり、部屋の親方は協会から力士の「人材育成業務を委託」される、という形を取っている。にもかかわらず、現実には協会は親方を飛び越えて協会員たる力士にアクセスすることはできないことが、今回の貴乃花部屋の貴ノ岩の扱いで明らかになった。相撲協会は依然として、親方を族長とする各部族の集まりのようなものであり、各部屋は密室として一種の治外法権の状態を作りうることが示されたのである。
これを民主化すること、すなわち親方の権限の及ぶ範囲をより明確にし、家父長的な権威を解体することなしには、暴力をベースとする相撲部屋文化は変わらないだろう。そして、これは相撲部屋だけでなく、いじめ的な過労死やハラスメントが看過された電通の事例等を見てもわかるとおり、日本社会の組織に根強く残っている価値観でもある。
2007年から2011年にかけての不祥事の連続で、相撲協会もその独善的な制度を改めざるを得なかった。まったく不十分とはいえ、かつてよりはオープンになり、「相撲とはこういうものだから」「伝統だから」という言い分だけで押し通すことは、減ってきている。おそらく、貴乃花親方は、このような民主化路線に異議を唱えているのではないか。
週刊誌やテレビのワイドショーなどでは、貴乃花親方を、守旧的な相撲協会に対する改革派のイメージで語っているケースも多い。注意してほしいのは、貴乃花親方はほぼ一言も、自らは語っていないという事実である。メディアにはまったく口を開いていないし、相撲協会に対してさえ、ほとんど何も言っていない。(1月17日に貴乃花部屋HPにて、ようやく貴ノ岩のけがの状況についてコメントを発表。)メディアが伝えているのはすべて、貴乃花親方に近しいとされる人物等からの証言という形でしかない。
「品格」同様、ここもブラックボックスなのである。貴乃花親方が何も表さないがゆえに、メディアが好き勝手に解釈をつけ、物語を作り上げているだけなのだ。あまりにも実証性を欠くこの報道は、ほとんど意味をなさない。
わずかに貴乃花親方自らの言葉として、私たちが知ることができるのは、貴乃花親方のブログの過去の言葉と、九州場所後の打ち上げの席で後援者相手に行ったスピーチ等である。これを読むかぎりでは、貴乃花親方は、相撲を近代化とは逆方向、すなわち復古的な方向へ変えたいと望んでいるように見える。
「日本国体を担う相撲道の精神」
「陛下が書かれた角道の精華という訓」
「この角道の精華に嘘つくことなく、本気で向き合って担っていける大相撲を。角界の精華を貴乃花部屋は叩かれようが、さげすまれようが、どんなときであれども、土俵にはい上がれる力士を育ててまいります」(以上、サンケイスポーツ2017年11月27日付紙面)
「日本の国益のお役に立てるための、相撲道の本懐を遂げるためのものです」
「神道の精神で鍛え上げられたのが“親方”です。大相撲は神の領域を守護代するという意義があります。肉眼では見えないもの無形のものに重点をおき精進することにあると思います。立派な信仰心を持ち神の領域へいけるようにしてきたのが“親方”です。(中略)生活の場から修練し、心を納めてきているのです」(以上、貴乃花部屋ホームページ「貴乃花親方からのメッセージ」2016年3月25日)
時代錯誤な皇国用語が焦点を結ばずにちりばめられ、今ひとつ意味を取りにくいが、こういった文言を読むと、貴乃花親方は相撲の体制を、民主化や法治主義の方向へ変えていくのではなく、親方を絶対としつつ、万民が天皇の赤子であるような家父長制的家族主義をもっと強固に推し進めるべきだと考えているのではないか、との印象を持つ。
例えて言えば、保守的な相撲協会を改革する人物として貴乃花親方に期待をするのは、統治能力の未熟な政権を変えるために頑なな超国家主義者を頂こうとするようなものだと、私には思える。
このような「相撲道」の考えを持つ貴乃花親方は、己の相撲道に反する今の相撲協会の制度には従わず我が道を貫く、という決意で、あのような行動を取ったのではないか、と私は想像する。
こういった親方が現れ、協会のルールを無視して己の考えのみに従って行動した場合に、大相撲を運営し、力士と親方の雇い主である相撲協会が、何もできないというのは、なぜなのか。
相撲協会という組織が、近代的な制度をまだ十分に備えておらず、その運用にも慣れていないからである。相撲協会と部屋との力関係、相撲協会が持つ権限、親方の権限の範囲、相撲協会が雇用している力士や親方に対して果たさねばならない義務、こういった、通常のプロスポーツの運営組織が備えているべきルールを、相撲協会がどこまで明文化しているのかわからないが、その運用を現代の法治主義に則って行える、親方以外の専門家を、協会の内部に招き入れるべきではないだろうか。現状では、親方の暴走を止める手立てはない。
差別に対処しない相撲協会
「品格」という論理的な説明にはなっていない理由で白鵬を処分したことは、相撲と無縁の暴力まで引き寄せた。この社会で荒れ狂う差別と排外主義に、つけ入る隙を与えてしまったのである。とにかく白鵬が悪い、黒幕だ、モンゴル力士はつるんで八百長をしている、などという、貶めることが目的でしかない虚偽の説をはびこらせることになったのは、まともな理由を示さずに白鵬を罰したことと無縁ではない。
この差別的バッシングは、異常事態に及ぶ。九州場所後の巡業に、「白鵬に一番非がある」「実行犯=日馬富士 主犯=白鵬 協会は解雇せよ」などと白鵬を罵るプラカードを持って乗り込むという、ヘイトデモの手法を使う男まで現れた(産経ニュース2017年12月12日)。そしてその数日後には、「白鵬を必ず殺す」という脅迫文が、やはり巡業の会場に届く。
ことをここまでエスカレートさせたのは、白鵬への言われなき差別に対し、何もしなかった相撲協会の責任によるところが大きい。運営組織が、所属する選手の人権と働く環境を守るのは、最も基本的な義務だ。だが、ここ何年にもわたる国技館でのヘイト声援などにも何の対処もせず、むしろそれを「日本人力士ファースト」の雰囲気作りに利用してきた相撲協会は、差別という暴力に対してあまりにも鈍い。
また、日馬富士の暴行事件について諮問された横綱審議委員会が、問われてもいない白鵬の相撲内容まで批判したことも、事件と無関係のことを事件に結びつける方向へ誘導したと言える。相撲内容をこんな形で公式に批判するぐらいなら、「横綱は張り手・カチ上げ禁止」などとルール化すればいい。ここでも「品格」と同様の、恣意的な基準での批判が行われている。
このように、問題を解決するための壁となっているのは、常に法の欠如、民主的な運営の欠如である。「相撲独自」という言い方ではもう許されないところまで来ている。相撲協会は、部屋のあり方から組織の運営まで、コンプライアンスという基礎を学んで、一から作り直すべきだ。さもないと、力士を守れない。力士を守らなければ、相撲は予想外の早さで崩壊していくだろう。
著者情報
作家
星野智幸
ほしの ともゆき
1965年ロサンゼルス生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、新聞社勤務を経て、メキシコへ留学。97年「最後の吐息」で文藝賞を受賞。2000年『目覚めよと人魚は歌う』(新潮社)で三島由紀夫賞、03年『ファンタジスタ』(集英社)で野間文芸新人賞、11年『俺俺』(新潮社)で大江健三郎賞、15年『夜は終わらない』(講談社)で読売文学賞を受賞。17年上梓した『のこった もう、相撲ファンを引退しない』(ころから)では、その相撲ファンぶりを発揮し、大相撲の今を鋭く批評している。