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連載

「自由意思で性を売る女性」を持ち出すことで、何が見えなくなるのか

仁藤夢乃(社会活動家)

 そして、性売買は対等な2者の間で行われる単なる「お金と性の交換」ではない、と続けた。「ジェンダーの不平等、また経済的・社会的な格差の中で、より力を持つ側がお金を払うことで他者の身体を性的に利用する行為」であり、その背後には、他人の性売買によって利益を得る巨大な産業もある。だから私たちが求めているのは、「性を売らなければ生きられない社会ではなくて、誰もが性を売らなくても生きられる社会」の実現なのだと話した。

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 この日、「自由意思」という問題が誰にも気づかれないまま、集会が終わろうとしていたわけではない。むしろ、当事者、支援者、法律家、研究者、国会議員が、それぞれの立場から、なぜ性売買を女性個人の「自由意思」の問題だけにしてはいけないのか、そしてなぜ「自発的か、強制されたか」で女性を選別する制度にしてはいけないのかを話してきた。

 検討会では、性売買を女性の自発的な選択や労働として捉え、性売買という選択肢を奪うべきではないという立場の団体からもヒアリングが行われた。しかし、その中で語られていたのも、たとえばシングルマザーなど現在の福祉や社会保障では生活を十分に支えられず、性売買によって生活を成り立たせている女性たちがいる、という現実だった。

 そこから導き出されるべきなのは、「自由意思で性を売る女性もいる」ということではないはずだ。問わなければならないのは、なぜ性を売らなければ生活できないのか、なぜ福祉や社会保障がその人の生活を支えられていないのか、ということだ。

 性を売ることを「本人の選択」と言って、性を売らなければ生きられない社会状況をそのままにする。その一方で、「自発的に売る人もいる」ことを理由に、売る側を処罰する規定を残すという検討会の取りまとめ報告書案は、あまりにも矛盾している。

 ここまで集会で話してきたことを聞いたうえで、それでも「自由な意思に基づいて性サービスを提供する人」の自己決定権をまず問題にするのだとすれば、それは、いったい誰の自由と人権を中心に法律を考えているのかと問いたい。会場には、「生き延びるために性売買を選んだが、実際には選択肢などなかった」と話す複数の当事者がいる。その人たちを前にしてなお、平岡氏は「自由意思で性を売る人」を持ち出す。

 一方で、「性を売らなくても生きられる自由」をどう保障するのかや、性売買を経験した女性の「人権」は、平岡氏の見解の中心には置かれていなかった。

 しかもこのやりとりがあったのは、時間に余裕のある討論の場ではなかった。すでに閉会予定時刻を過ぎており、平岡氏には2分程度での発言をお願いしていた。ところが発言は5分近くに及び、私は閉会時間が過ぎた中で急いで反論しなければならなかった。

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 私が反論を終えると、平岡氏は再び席を立ち、前に出てマイクを握りに来た。

 そして、「今日お話を聞きましたしね、世の実態についても私なりに勉強してきたつもりなんですよ。だから仁藤さんが言われることもよく分かります」「でもトータルに見た時には、さっき私が指摘したような問題があるということをしっかり頭に置いた上で全体像を示していかなければ……」と、蒸し返し始めた。

 目の前で女性たちが語っていることに一応は頷きながら、「~でも」と自分の主張を重ね続ける。これは、私の講演会ではよくある光景である。男性の側が自分のほうが理解しているという前提で、女性の側の意見を遮ることをマンスプレイニングと言うが、根底にあるのはミソジニーだ。

 平岡氏も女性の自己決定を論じながら、現実にそこにいる女性たちを、自分と同じように知り、考え、判断する主体として扱わない。「自由意思で性を売る女性」というAIの解説は尊重しようとしながら、目の前で女性たちが語っていることについて、自分の考えに照らして問い直そうとはしない。

 当事者が自分の経験を話す。支援者が現場で見てきたことを話す。弁護士が法的に説明する。それらを聞き流して自分がAIに聞いて得た「自由意思」「自己決定権」という問題を提示する。その問題について説明されても、自分が示した問題を相手がまだ十分に理解していないかのように、もう一度マイクを取り「さっき私が指摘したような問題」を「しっかり頭に置いた上で」考える必要があると説く。

 当事者がいる場だから異論を唱えてはいけないという話ではない。目の前の人たちの話を、自分の考えを変える可能性のある知識や現実として聞いているのかということだ。

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 私はこの時、これが「リベラル」の現実なのかと思った。平岡氏は元法務大臣で弁護士であり、現在は「護憲」「リベラル」「共生」を掲げる政治団体「護憲リベラル共生」の幹事長でもある。人権や自由を掲げながら、実際に人権を侵害されてきた女性たちが目の前で語った時、その言葉によって自分の考えを問い直すのではなく、「わかります。でも」と自分の意見に戻っていく。私は、リベラルとは掲げる理念や政策だけではなく、他者の経験や言葉にどう向き合うのかという「たたずまい」の問題でもあるのではないかと思う。

 もちろん、「自由意思」や「自己決定権」について考える必要がないと言っているのではない。むしろ、人権を考えるのであれば、自己決定は重要な問題だ。だからこそ私は、「自由意思で性を売る女性もいるのではないか」という問いそのものを考えたい。

 女性が「自分で選んだ」と言ったら、それで自己決定は成立するのだろうか。これは女性の意思を否定することではない。むしろ、女性の自己決定を本当に保障しようとするなら、「性を売ることを選べるか」だけでなく、「性を売らないことを選べるか」を考えなければならない。

 性を買う男性は、今日、女性を買わなくても生活できる。他人の性売買から利益を得る業者も、自分の身体を買われるわけではない。では、売る側の女性には「今日は性を売らない」と決めても住む場所があり、食べることができ、学ぶことができ、安全に暮らせる保障はされているのだろうか。

 なぜ、「性を売る自由」はこれほど熱心に語られるのに、「性を売らなくても生きられる自由」は同じように語られないのだろうか。

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 平岡氏自身、人の尊厳や人権を守ることには「全く異論がない」と話していた。それでも、具体的な議論になると中心に置かれたのは、性売買を経験した女性たちが語った人権侵害や、買う側が他者の身体を金銭によって性的に利用することではなく、想定上の「自由意思で性を売る人」の自己決定権だった。「自由意思で性を売る女性」の自己決定を尊重するというのであれば、なぜ、その女性を処罰することは問題にならないのだろうか。それは本当に、女性の自己決定を尊重する議論なのだろうか。

 今回、もう一つ考えさせられたのがAIについてだった。わからないことをAIに聞くこと自体が悪いわけではない。AIは与えられた問いや前提に沿って、それに関連する論点をもっともらしく整理してくれる。しかし、その前提そのものが適切なのかまで精査してくれているとは限らない。

 平岡氏がAIに尋ねた結果として出てきたのは、「自由な意思に基づいて性サービスを提供する人」の自己決定権をどう考えるのか、という論点だった。

 でも、その前に問うべきことがある。なぜ「自由意思で性を売る女性」の自己決定権が問題として浮かび上がり、「自由意思で女性を買う男性」の側からは問題が立てられないのか。その「自由意思」は、どのような社会的、経済的、ジェンダー的な条件の中で形成されているのか。

 私も試しに、私たちが提出した意見書と検討会の取りまとめ報告書案をAIに読み込ませ、批判や不足している点を聞いてみた。最初は私の質問の意図を取り違え、取りまとめ報告書案ではなく私たちの意見書を批判し始めた。問い方を変えると、今度は私たちの意見書を評価する方向の回答になった。

 AIは、問い方や与えられた前提によって答えを変える。怖いのは、AIが間違った情報を出すことだけではない。自分が何を知らないのか、何を見落としているのかを考えないままAIに尋ね、返ってきたもっともらしい言葉によって「やはり自分の考えていたことは正しかった」と、自分の認識を補強するためにも使えてしまう。

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著者情報

社会活動家

仁藤夢乃

にとう ゆめの

1989年生まれ。中高時代に街をさまよう生活を送った経験から、10代女性を支える活動を行っている。これまでに夜の街でのアウトリーチ、シェルターでの保護や宿泊支援、シェアハウスでの住まいの提供といった活動を展開。第30期東京都「青少年問題協議会」委員。厚生労働省「困難な問題を抱える女性への支援のあり方に関する検討会」構成員を務めた。TBS「サンデーモーニング」にコメンテーターとして出演中。著書に『難民高校生』(英治出版)、『女子高生の裏社会』(光文社新書)。

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