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連載

暗殺――なぜ政治家が狙われるのか?

第17回

吉田徹(同志社大学教授)

 なぜ、個人の人生が行き詰まることで、大統領を殺すという行動につながるのか。それはビックの不器用でパラノイア気味の性格だけに起因しません。むしろ、彼は自分がどんなに努力しても報われない社会を糺そうと、ブースと同じように正義感から、犯行を計画するのです。ビックの上司は、ある晩、テレビに映るニクソン大統領をみて、彼こそ世界最大のセールスマンだ、選挙公約でベトナム戦争から撤退すると国民に売り込んでおきながら、実際には増兵しているのだから、と評し、「約束はしても実行しない」ことが鉄則だ、とビックを諭します。ちなみに、ニクソンはリンカーンと真逆で、アメリカ歴代大統領のうち、今でも最も嫌われている人物の1人です。
 ビックが身を挺して直そうとしたのは、そうした、報われない国の形であり、その国を率いる大統領を暗殺して、自らが「負け組」から「英雄」になるという一発逆転を狙ったのです。「私は一粒の砂のようなものです。(略)でも私に皆さんが味方してくれたらこの国の権力者たちに思い知らせてやります。たとえどんなちっぽけな一粒の砂にも力があることを」――確かに身勝手な論理に聞こえるでしょう。しかし、そんな身勝手な論理を作り出したのは、ビック自身というよりも、彼の生きた時代なのです。この映画が優れた政治社会批評でもある所以です。

 

『タクシードライバー』――矛盾の果てに

 やはり政治家の命が狙われる映画として知られるのが、映画史での名作のひとつ『タクシードライバー』(マーティン・スコセッシ監督、1976年)です。先の安倍晋三元首相の銃撃事件の際にも、SNS上でこの作品に言及するものが少なからずありました。この作品自体、1972年に銃撃されたジョージ・ウォレス大統領候補の暗殺未遂事件にヒントを得たとされ、さらにこの作品に影響を受けたと証言する人物が1981年にレーガン大統領暗殺未遂事件を起こしています。
 時代はやはり1970年代のアメリカ、舞台はこの時代、最も治安が悪かったニューヨーク。主人公トラヴィスを演じるロバート・デ・ニーロの演技はもちろん、街の彩りを捉えるカメラワークや甘美でありながら不気味な音楽などが印象に残る作品です。
 ニューヨークのイエロー・キャブ(タクシー)の運転手で、ベトナム戦争の退役兵であるトラヴィスは、戦争のトラウマからか、あるいは映画の中で示唆されるように幼い頃の家庭での不和からなのか、不眠症に悩まされる人物です。彼もまたビックと同じように、正直者でありながら、あるいはそれゆえに社会での「負け組」として生きることを余儀なくされます。
 そんな彼は、選挙事務所で働く女性ベッツィに一目ぼれし、デートに誘うことに成功しますが、彼女は何の文脈もなく、トラヴィスが「歩く矛盾」のようだと評します。事実、トラヴィスは2つの世界を行き来するアンビバレントな存在――正義と邪悪、優しさと意地悪さ、規律と堕落――として描かれています。世俗を嫌悪すると同時にポルノ映画館に通い、女性を崇めたかと思えば蔑視し、努力して人生を変えようとする一方で易きに流れます。わが身を振り返れば、こうしたトラヴィスの抱える矛盾は、むしろ普遍的な人間の姿なのかもしれません。
 彼は、そのベッツィにも振られたことで、彼女がスタッフとして働く大統領選候補者を闇で手に入れた銃で暗殺する計画を立て、ホルスターを手作りし、殺傷力を高めるために弾を加工します。
「あらゆる悪徳、不正と戦う」――自分の境遇が恵まれないのであれば、そしてもがいてもそこから抜け出せないのであれば、暴力を用いてまでも、その環境をひっくり返さないとならない。だから、政治家は否定の対象となるのです。これは、究極の自己責任論であると同時に、環境を自らの手で変えてみせようとする、「究極の自己責任論の否定」という矛盾した思考と行動の帰結です。それゆえにトラヴィスは「歩く矛盾」と形容される存在となり、まただからこそ、政治家を暗殺しようとする犯人の動機はいつも理解されにくいのでしょう。
 もっとも、政治家の暗殺に失敗したトラヴィスは、今度は自分よりも「社会的上位」にある存在を殺そうとするのではなく、今度は自分よりも「社会的下位」にある存在である年少の売春婦アイリスを救済しようとすることで、自己肯定――自分で自分を肯定するという行為自体がそもそもの語義矛盾ですが――を実現しようとします。この親切の押し売りを、若きジョディ・フォスター演じる少女は、もちろん受け取ろうとはしません。それでも、銃をすでに手に入れていたトラヴィスは、ポン引きと売春宿の管理人を殺すことで、自らに課した使命を果たそうとします。

映画『タクシードライバー』より

 この作品は、ロバート・デ・ニーロが殺される役として登場する『ジョーカー』(トッド・フィリップス監督、2019年)に連なるアンチ・ヒーロー映画の先駆けとされるものの、ラスト5分のエンディングには希望が残るものでもあります。
 トラヴィスはアイリスを助け出そうとすることで傷を負いますが、囚われた少女を助け出したヒーローとしてマスコミで称えられ、彼女の両親からも感謝される存在となります。そのことを知ったベッツィをトラヴィスは偶然にもタクシーに乗せるものの、自信を回復した彼はもはや彼女に未練の欠片も見せません。
 映画評の中には、このエンディングをトラヴィスの死に際の妄想ではないか、トラヴィスは心の平穏を取り戻したわけではないとする解釈もあります。しかし、もしこの重く、暗い映画に希望を見いだすとすれば、別の見方もできるでしょう。すなわち、彼は世界に復讐することで自己への尊厳を取り戻そうとしたものの、その復讐された世界は――トラヴィスの行為を誤解して――彼を称賛し返すことで、トラヴィスという個人と彼の生きる社会に再び調和をもたらすことになった。つまるところ、人が生きる上で避けられないルサンチマンや悔しさ、不運に報いることができる社会であるかどうかが、不幸な事件を乗り越えるための鍵であることを示唆する作品であるのかもしれません。

著者情報

同志社大学教授

吉田徹

よしだ とおる

1975年生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。専門は比較政治学、ヨーロッパ政治。著書に『ミッテラン社会党の転換』(2008年、法政大学出版局)、『二大政党制批判論』(2009年、光文社新書)、『ポピュリズムを考える』(2011年、NHK出版)、『感情の政治学』(2014年、講談社)、『「野党」論』(2016年、ちくま新書)、『アフター・リベラル』(2020年、講談社現代新書)などがある。

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