小学校に広がる謎ルール「スタンダード」とは何か~教員と子どもを縛る教育システム
村上祐介(東京大学大学院教育学研究科准教授)
(構成・文/加藤裕子)
日本は公教育にコストをかけておらず、生徒児童の人数に対して教員数が圧倒的に足りません。にもかかわらず、国際的にみても高い水準の学力を維持していられるのは、極めて「効率的」「均質的」「画一的」に学校を運営しているからです。「スタンダード」もこのシステムに貢献するものと言えるでしょう。
例えば最大40人の小学生を相手に、たった一人で授業を行わなければならないというのは、新人教員でなくとも難しいことだと思います。授業中の私語をはじめ、ちょっとしたことで子どもたちは自由気ままに行動しがちです。そうならないように、生徒児童にもさまざまな「きまり」が課せられます。「正しい」姿勢で座り、黙って授業を受け、板書を「正しい」方法でノートにうつし、質問するときは手を挙げ、聞き取りやすい声で話す。これら児童向け「スタンダード」を守らせることによって、経験の不十分な教員でも授業を進めることができるようになるということです。
「標準」から外れる子どもを排除する危険性
しかし、多様性という点から見れば、児童向け「スタンダード」にも問題が多いと思います。たとえば、「授業中は姿勢よく座る」という「スタンダード」をおとなしく守れる子どもばかりではありません。個々の性格や特性によって、興味があちこちに向いてしまう好奇心旺盛な子ども、座り続けているとむずむずしてしまう活発な子ども、友だちに話しかけたい社交的な子どもなど、「スタンダード」からはみ出してしまう児童生徒は大勢いるはずです。
小学校の通知表の「関心・意欲・態度」という評価項目では、「スタンダード」をどれくらい守っているかということが反映されている可能性が高いと推測されます。ただし、適応できない子どもに対するサポートはあまり機能していません。そうした特徴を持つ日本の学校では、「スタンダード」が、これを守れない子どもたちを教室から排除するための論理に転化する危険もないとは言えません。
理不尽なルールに従わせるだけでいいのか
教育は“マナー”や“常識”のような、言葉で説明しにくいことを強制するという要素を含む社会的行為ですから、理不尽なこと、非論理的なことがエスカレートしやすい領域と言えます。たとえば、「掃除は黙って行う」という「スタンダード」は学校の中だけで通用するルールです。家庭も含めた学校以外の場所では誰もそんなことをしていないとなれば、子どもたちは「なぜ掃除のときにしゃべってはいけないのか」と疑問に思うかもしれません。本来は、そうやって自ら問いを発し、他者と対話しながら課題を解決していくことこそ「主体的な学び」の力になるはずです。
しかし、子どもを導くべき教員には今、子どもが納得するまで対話する時間も余力もありません。「スタンダードで決まっていることだから黙ってやりなさい」と従わせなければやっていけないというのが現状でしょう。こうしたことが続けば、子どもの考える力や主体性を育てる機会は失われてしまいます。
児童向けの「スタンダード」の中には、「座っているときは足の裏を床につける」「机と椅子を床に記した印に合わせて整頓する」「ノートの何行目に何を書き、何マス目に何を書くべきか」など、子どもたちにそこまで神経を使わせる必要があるのか、というものもあります。
このように、ルールが無意味、非論理的、理不尽であっても子どもたちが一方的に従わされ、それを正す仕組みがないという点は、中学校・高校などで問題化している「ブラック校則」と共通しています。過剰な業務と上からのプレッシャーによって現場の教員が疲弊している中で、なぜそうなっているのかよくわからないルールがいつのまにかトップダウンで決められ、習慣的に守られていくというところもよく似ていると言えるでしょう。
子どものために大人がするべきこと
世界各国と比べ、日本の教員は労働時間が長い一方で授業時間が短く、また十分に教材研究をする時間も少ないという課題があります。根本的な改善には、人員の育成や確保など財源的手当が不可欠とはいえ、残念ながら今すぐ解決できるようなことではありません。国や行政に頼らない工夫も考えることが現実的には必要だと思います。
「スタンダード」が子どもの学びのため、授業のために導入された制度であるというのは重要なポイントです。授業は教員の仕事の中核であり、教員の裁量がかなり大きい領域です。ある程度は「スタンダード」を守りながらも、教員ひとりひとりの意欲や工夫が反映される余地は十分にあります。「スタンダード」に頼り切らず、内容の妥当性について教員自身も考え、「スタンダード」を超える授業を行うにはどうしたらいいか、現場で模索していってほしいと思います。それが子どもの多様性、主体性を育てることにもなるはずです。
また、教員にばかり努力を求めるのではなく、保護者や地域住民という「外側」の立場から働きかけることで、閉鎖的になりがちな学校をオープンにしていくことも大切です。例えば、保護者の立場から疑問に思う「スタンダード」や「ブラック校則」があったとします。「決まっていることだからしょうがない」と受け入れ、子どもにもそれを強いるのではなく、まず「本人はどう感じているのか」「大人として自分はどう考えるのか」、子どもと話し合うことが大切です。そのうえで、やはりおかしいと思うのであれば、「ちょっと行き過ぎではないか」「どういう理屈で決まっているのかわからない」などと申し入れ、学校側と意見をすりあわせていくべきでしょう。
教育委員会や学校の側も、保護者をいわゆる「モンスターペアレンツ」のように扱い、「うちのやり方はこうです」と押し通すのではなく、「スタンダード」の意味がどこにあり、何をもって子どもの成長のためになると考えているのか、保護者に説明する責任があります。「スタンダード」が単に教師や子どもたちを縛るためのものではなく、真に子どもたちの力を伸ばすことに役立つものとなるよう、子どもの周囲にいる大人たちが連携していくことも必要ではないでしょうか。それには、学校や教育行政が、保護者や地域に対してきちんと説明をして納得を得るような努力をしていくことが大切であると思います。
著者情報
東京大学大学院教育学研究科准教授
村上祐介
むらかみ ゆうすけ
1976年愛媛県生まれ。1999年東京大学教育学部卒業。2004年東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。日本学術振興会特別研究員、愛媛大学法文学部講師、准教授、日本女子大学人間社会学部准教授を経て、2012年より現職。専門分野は教育行政学・行政学。著書に『教育行政の政治学―教育委員会制度の改革と実態に関する実証的研究―』(単著)(木鐸社、2011年)、『教育政策・行政の考え方(仮題)』(共著)(有斐閣、2020年〈近刊〉)、『教育委員会改革5つのポイント』(編著)(学事出版、2014年)、『地方政治と教育行財政改革』(共編著)(福村出版、2012年)、『教育の行政・政治・経営』(分担執筆)(放送大学教育振興会、2019年)など。