ユーミンの時代~「個人主義」時代の女神と安倍退陣
森 まゆみ(作家)
しかし、安倍前首相はA級戦犯の祖父を尊敬し、政治家を世襲し、東日本大震災で苦しんでいることを「復興オリンピック」として利用し不正にオリンピック開催を決め、さらに万博を誘致し、あれほどの原発過酷事故を経てエネルギー政策を根本的に見直さず、グローバル企業の誘致に奔走して自国の独立自営業者を減少させ、桜を見る会、森友学園、加計学園などお友達を優遇して国家財政に損害を与え、それに関わったノンキャリア官僚が自殺してもほおかむりし、官僚を指図してうやむやに終わらせて、「責任を感ずる」と言いつつも、一向に責任を取ることなく首相の座に居座り続けた政治家である。この人と「同じ価値観を共有できる」「同い年だし、ロマンの在り方が同じ」と言うことは私ならありえない。
ユーミンは、安倍前首相の進める憲法改正や戦争法規の考え方とも「同じ価値観」を共有しているのだろうか。
もしかすると、ユーミンの言いたかったことは、「何不自由ない家に生まれ、ラッキーにデビューして、お金も名誉も得た。好きなことして何が悪いの」ということなのかもしれない。これが「政治家となるべく大事に育てられ、毎日のように高級店で何万円という会食をして何が悪い」という安倍氏と感性が合うということだけなのか。人々が台風への恐怖に右往左往している時間に、自民党の議員たちを集めて宴会をできる感性である。「みんなを幸せにする」経世済民という考えは1ミリもない。普通の人々から乖離した自民党議員のズレとユーミンのズレは、似ているように思える。
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『ヴィソツキーあるいは、さえぎられた歌』と いう本を昔読んだ。ヴィソツキー は1938年生まれ、モスクワ芸術座で演劇を学び、より市民の中に入るため吟遊詩人になった。ソ連の全体主義国家を厳しく批判する彼は1冊の詩集もレコードも出せなかったが、その歌は民衆の中に広まり、妻で女優のマリナ・ヴラディが、夫が42歳で死んだ後にこの本を書いた。彼の歌は、石井好子や新井英一がカバーしている。
ヴィソツキーより少し前にチリに生まれたビクトル・ハラ はシンガーソングライターとして活躍、民主主義的なアジェンデ政権が打倒されたのち、成立した軍事政権に虐殺された。アメリカが正義なきベトナム戦争を戦っていた頃、ジョーン・バエズは『勝利を我らに』、ボブ・ディランは『風に吹かれて』、ピーター・ポール&マリーは『悲惨な戦争』、ピート・シーガーは『腰まで泥まみれ』を歌って自国の政府を批判した。
私は、こういう歌のほうが性に合う。ユーミンは、「自分さえよければいい」「群れなすのはダサい」「チャリティは偽善」というまさに「新自由主義」「個人主義」の時代の女神だった。
しかし、個人の自己責任の時代は終わったように見える。社会の歪みが個人に抱え込まされ、追い詰められて自殺するのは嫌だ。貧困や失業は自己責任ではない。私は、「ものを言う自由」「平和を希求し、間違った政府に抵抗する自由」のほうを大事にしたい。今、香港で、ベラルーシで闘っている若者たちを応援したい。一人ではこんな状況は変えられない。
アメリカでもヨーロッパでも、俳優や歌手が政府に批判的な意見を言う権利は認められているし、その勇気は賞賛される。性差別、人種差別でもLGBTでも、芸能人が果敢な声を上げて事態を変えてきた。時には何万人にもおよぶ大衆行動に発展した。
一方、日本では逆に政府批判をする芸能人はバッシングに遭う。今回、ユーミンは首相をかばって批判を浴びた珍しいケースだ。彼女にも意見や感想を言う自由はある。しかし時代を読むのに敏感なユーミンがかなり場違いで調子っぱずれなことを言ったものだ、と思う。
私は、初期のユーミンを聞くのはやめないだろう。しかし、ユーミンの標榜する「個人主義」の時代が終わったことを、今回深く感じたのだった。
著者情報
作家
森 まゆみ
もり まゆみ
1954年生まれ。早稲田大学卒業後、PR会社、出版社を経て、1984年仲間と地域雑誌『谷中・根津・千駄木』を創刊。2009年の最終号まで編集人を務める。1998年『鴎外の坂』で芸術選奨文部大臣新人賞、2003年『「即興詩人」のイタリア』でJTB紀行文学大賞、2014年『『青鞜』の冒険』で紫式部文学賞を受賞。
東京の記憶を記録に変え、数数の大事な建造物の保存・活用、不忍池、谷中墓地、神宮外苑などの緑地の保全に関わった。著書に『「谷根千」の冒険』『暗い時代の人々』『「五足の靴」をゆく』『お隣りのイスラーム』などがある。2019年10月現在、「谷根千〈記憶の蔵〉」を主宰し、公益財団法人日本ナショナルトラスト理事。