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連載

ライヴハウスを、バンドを守れ〜コロナ禍での文化・芸術を巡るこの1年

雨宮処凛(作家、活動家)

 感染拡大初期の頃など、人と会わずにいると「みんな私を仲間はずれにしてるのでは」と勝手に疑心暗鬼になったりした。一方、SNS上で同世代の人たちが「密を避けて家族でキャンプ」なんて楽しげな写真をアップしていると、単身・一人暮らしという自分の生き方そのものが間違ってるような気がして地味に心をえぐられたりした。それだけではない。家にこもる日々の中、過去のことを思い出してはいつまでもうじうじ悩んだり、将来が異様に不安になって眠れない夜もあった。

 そんな中、「なんであの人が」という芸能人の訃報に何度も接していると、平常心でいることも難しくなってくる。コロナ禍に見舞われるまで、私は、「生きづらさ」は人が作っていると思っていた。人に傷付けられ、人間関係でつまずき、嫌な思いをすることが多かったから、生きづらさの元凶は「人」だと思っていた。

 しかし、人と接しないということも「生きづらさ」になるのだと、この1年で初めて知った。人と深く関わると傷付けあってしまうけれど、人とまったく関わらないことも心を病ませていく。


「これはヤバい」と思い、感染拡大が少し落ち着いた10月頃には、少しずつ友人たちとの会食を再開したりした。そんな中気付いたのは、コロナ以前に日常に溢れていた「無駄でくだらない飲み会」が、どれほど貴重だったかということだ。

 特に私は駅前や道端で飲む「路上飲み」が好きで、同じく路上飲みが好きな友人たちとよく野外宴会をしていた。久々に少人数で野外宴会のようなことをした時、不覚にも涙が出そうになった。同時に、「なんだ、みんな私のこと嫌ってたわけじゃないんだ」と思った。バカみたいにそう思い込んでいたのだということに、初めて気付いた。だけど程度の差はあれみんなも同じような不安を抱えていたようで、「やっぱり会って話すことってすごく大事だよね」と何度も何度も言い合った。

 深夜になると、全然知らない人(路上飲みは通行人も勝手に参加していたりする)が私に執拗に絡んできて、コロナ以前だったらうざくて仕方なかった「酔っ払いに絡まれる」という行為も、なんだか涙が出そうなほどに懐かしかった。まさか酔っ払いに絡まれて喜ぶ日が来るなんて、コロナがなきゃ、想像もしなかっただろう。それくらい、私は人に、そして「どうでもいい会話」に飢えていた。


 あれから、もう数カ月。再び感染は拡大し、緊急事態宣言の今、また人に会えないでいる。

 それぞれの現場でできることをやっていくしかないと思いながらも、「ライヴに行けない」という事実は、私の中でずっとひっかかり続けている。なぜなら、このままでは自分が救われてきたヴィジュアル系文化そのものが消えてしまう可能性だってあるからだ。

 この文化の灯を、決して絶やしたくない。あなたにも守りたい文化やお店や景色、コミュニティや商店街なんかがあるはずだ。それぞれ違うそういうものを、丁寧にちゃんと守っていけるような、そんな仕組みやお金の流れが作れたらいいのに。

 今、祈るようにそう思っている。

次回は3月9日(火)の予定です。

著者情報

作家、活動家

雨宮処凛

あまみや かりん

1975年、北海道生まれ。作家、活動家。反貧困ネットワーク世話人。バンギャル、右翼活動家を経て、2000年に自伝的エッセー『生き地獄天国』でデビュー。自身の経験から、若者の生きづらさについて著作を発表する傍ら、イラクや北朝鮮へ渡航を重ねる。その後、格差や貧困問題について取材、執筆、運動を続ける。『生きさせろ! 難民化する若者たち』でJCJ賞受賞。著書に『一億総貧困時代』『「女子」という呪い』など多数。

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