ポスト真実――フェイクニュースに抗するジャーナリストたちの闘い
吉田徹(同志社大学教授)
事実を解釈することの難しさを思い知らされる作品が、その名も「Truth」という原題を持つ『ニュースの真相』(ジェームズ・ヴァンダービルト監督、2015年)です。この作品もイラク戦争に際して、当時のジョージ・W・ブッシュ大統領がベトナム戦争時に、コネを利用して兵役逃れをしたのではないかという実際の報道をベースに、主人公である女性プロデューサー、メアリー・メイプスの著作を基にしています(*4)。
ブッシュ大統領についての疑惑を追及したCBSのニュース番組「60ミニッツII」はアメリカの有名な番組で、アンカーを務めたダン・ラザーは時代を象徴するニュースキャスターとして知られています(映画では、ラザー役を先のロバート・レッドフォードが好演しています)。日本でも「筑紫哲也 NEWS23」がCBSニュースを参考にしたとされ、「60ミニッツ」も、TBSが吹き替え版を放送していた時代がありました。
メイプスは、ブッシュ大統領の関連企業にビン・ラーディンの資金が流れているのではないかとのうわさから、兵役回避疑惑へとたどり着きます。チームを組んでの数カ月に及ぶ調査や裏取りの末、大統領の州空軍歴がほぼ皆無だったこと、上層部もそのことを知っていながら見て見ぬ振りをしていたことを突き止め、報道するに至ります。これはブッシュの再選を懸けた大統領選を目前に、大きなスキャンダルとして世界中で報道されました(このスクープが世間を騒がす中、映画では「報道について報道するという新しい報道が生まれている」と揶揄するシーンが出てきますが、いまのニュース報道の姿勢を言い表しています)。
問題は、あるブログの指摘によって、取材過程で入手した空軍の内部文書が偽造ではないかとの疑惑が持ち上がったことでした。時の大統領に関する大スクープ、それもダン・ラザーによる報道がフェイクだったとしたら――疑惑は、今度は報道する側に向けられることになります。文書そのものは本物であることが証明されたものの、提供元が不明だったり、情報提供者が証言を撤回したりしたことで、最終的に報道の正確さに疑問が残り、メイプスとラザーは実質的に解雇されます。

映画『ニュースの真相』より
関係者の証言をいくら集めても、文書が本物であっても、過去に実際何があったかを、完全に再現することはできません。事実を積み重ねても、何が真実であるのかは、結局明らかになりません。だから、「真実」を形にするには報道する側の解釈の余地が残ります。それだけに、その解釈に疑問符が付けられれば、報道そのものが信用を失うことになります。「ニュースを伝えるのは義務であり信頼だった」とラザーはメイプスに漏らしますが、報道機関に信頼がなくなれば、フェイクニュースだけが残ることになります。
CBS局内に設けられた調査委員会で、メイプスはこう切り返します。「ニュースの主旨が気に入らないと最近はみなが指摘してわめき、政治傾向、客観性、人間性まで疑ってかかり、スクラムを組んで真実を葬り去る。異常なほど騒いですべてが終わった時には主旨は何だったか思い出せない」。日本でも政治スキャンダルがあると、SNSであらゆることが言挙げされ、専門家やコメンテーターが様々な指摘をして、結局何がそもそもの問題だったのか分からなくなってしまうという事態がよく見られます。「真実」が一つだとして、「事実」は数多くあるのですから、その事実をやみくもに並べることは、むしろ真実を遠ざけてしまう皮肉があります。
ダン・ラザーは、視聴者に向って「勇気を」という決めぜりふで自身のニュース番組を締めくくることで知られていましたが、不評だったために長らく封印していました。映画では、このことを揶揄されるシーンが出てきます。看板番組の降板を止む無く決意した彼は、最後となる2005年の出演時に「みなさん一人ひとりに勇気を」と言い残します。そこには「真実」を作り出すことの勇気も含まれていたことでしょう。
『ザ・クリミナル』――「真実」の尊さ
これまで観てきた作品でも、ジャーナリズムの世界では女性が活躍するようになっていることが強調されていますが、レイチェル・アームストロングという、ある地方紙の女性記者の「真実」への執着を描くのが『ザ・クリミナル』(ロッド・ルーリー監督、2008年)です。この作品もまた、2003年からアメリカを騒がせた実際の事件に着想を得たものです。「プレイムゲート」として知られるこの事件は、アメリカの元大使が、イラクが大量破壊兵器を持つとする証拠書類は偽造だと告発したことに対して、ブッシュ政権側が、元大使の妻がCIA職員だったことをリークしてその信憑(しんぴょう)性をおとしめたというものです。前に言ったように発信元を疑惑に晒せば、情報そのものが信頼されなくなるからです。リーク元となる情報源が誰か、記者たちは当初明かそうとせず、収監されました。この事件は、国家の安全保障と報道の自由が真っ向から衝突した事件でもありました。
映画では、実際の出来事に脚色が施されています。アメリカ大統領の暗殺未遂事件が起きますが、これがベネズエラの陰謀であるとの情報から、米軍はベネズエラ攻撃に至るものの、記者レイチェルはベネズエラの関与がなかったことを暴きます。彼女は取材の過程で元大使の妻がCIAエージェントであることも突き止め、スクープとして報道します(このことから元大使の妻が義憤に駆られた一般市民に射殺されるという一幕もあります)。映画の核心は、元大使の妻がCIAエージェントであると漏らした情報源は誰なのか、という点に絞られていきます(実際の「プレイムゲート」では知日派として知られるリチャード・アーミテージが情報源の一人であることが明らかになっています。誰が情報源なのか、映画の最後で明かされる衝撃的かつ感動的な結末は、ネタバレになるのでここでは記さないでおきます)。
面目を潰された政権は、内部の情報源を突き止めるため特別検査官を任命し、レイチェルに氏名を明かさせようと、起訴します。諜報員の身分を明かすことは、連邦法違反となるからです。政府と司法はありとあらゆる手段を使って彼女に嫌がらせをし、圧力をかけますが、レイチェルは1年以上も服役しながら「ここで屈したら子持ち記者の信頼は失墜する」として、頑なまでに情報源を明かそうとしません。ダン・ラザーが言った市民への「信頼」に懸け、権力に屈しない「勇気」こそが、真実を追究するジャーナリズムの真髄でもあります。彼女に感銘を受け、最高裁まで争うことを決意した弁護士も、法廷でこう述べます。「考えてみて下さい、国民の目など気にしない政府はとても恐ろしいものだと」。
この映画で描かれているのは「真実」の脆さです。「事実」と異なって、「真実」は場合によっては法を超越しなければならない正義感や、それが正義であると信じることのできる勇気とセットでなければ、その姿を表しません。人が信じたいものを信じる存在である限り、何も信じるものがなくなった時代に「真実」が介在する余地は残されていません。「ポスト真実」の時代に私たちがもし生きているのだとすれば、それはフェイクニュースの蔓延などによってもたらされているのではなく、私たちに正義感や勇気が欠けているからではないでしょうか。
最初の連載でも紹介した思想家ハンナ・アーレントは、ベトナム戦争を論じるエッセー「政治における嘘」で、政治での嘘がなぜ問題なのかと問うて、それは結局真実が何であるのかを分からなくさせるからだと指摘したことがありました(*5)。嘘がはびこる世界でどうしたら真実を取り戻すことができるのか――その手掛かりは、今回紹介した映画の中に隠されているはずです。