司法と原発~裁判官として、弁護士として、原発行政に立ち向かう
木村元彦(ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト)
「あきれ果てても、あきらめない」
講談師の神田香織さんが、原発事故後の市民集会に参加していく中で最初に言い出した言葉である。
講談師の神田香織さんが、原発事故後の市民集会に参加していく中で最初に言い出した言葉である。
2011年に東電・福島第一原発事故が起こり、子どもたちを被ばくから守ろうと立ち上がった福島の親たちがいた。「放射線量の高い地域から避難する権利を認めてほしい」「子どもたちを安全な環境で学ばせたい」という保護者たちの切実な思いから、問題を司法のレールに乗せ「子ども脱被ばく裁判」(以下、「脱被ばく裁判」)は始まった。その10年の記録をまとめた本『あきれ果てても、あきらめない 「子ども脱被ばく裁判」――なぜ、子どもたちは守られなかったのか』(ままれぼ出版局。以下、本書)が2026年7月に刊行された。

事故後、国側が行った対応で批判されるものは、大きなものだけでも3つ挙げられる。
1)放射性物質の環境影響を迅速に予想できる緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム「SPEEDI」のはじき出したデータが隠蔽された。
2)被ばくによる甲状腺ガンの発症を抑える安定ヨウ素剤が子どもたちに配られなかった。
3)被ばくの年間許容量を福島県だけが、20ミリシーベルト(原発事故前の20倍)にされた。
1)放射性物質の環境影響を迅速に予想できる緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム「SPEEDI」のはじき出したデータが隠蔽された。
2)被ばくによる甲状腺ガンの発症を抑える安定ヨウ素剤が子どもたちに配られなかった。
3)被ばくの年間許容量を福島県だけが、20ミリシーベルト(原発事故前の20倍)にされた。
子どもたちも含む原告団は、これまで明らかにされてこなかった被ばくの実態や行政による情報隠蔽、行政の責任、放射線安全キャンペーンの論陣を張った専門家たちの言論を検証し追及した。この「脱被ばく裁判」は立ち上がった当初より、漫画界の巨匠ちばてつや氏も注視し応援をしてきた。しかし、2021年3月一審で敗訴判決。控訴、上告するも2024年最高裁はこれを退け、敗訴判決が確定した。裁判は終わったが、原告たちは「あきれ果てても、あきらめない」。
弁護団共同代表の井戸謙一氏に話を聞いた。
弁護団共同代表の井戸謙一氏に話を聞いた。

井戸謙一さん(2022年3月2日、日本外国特派員協会)
原発運転差し止め判決を下した裁判官
――本日はこの本をもちろん軸にしてお話を進めたいと思うんですが、井戸さんにおかれては、2006年、金沢地裁での志賀原発2号機の差し止めの判決のところからさかのぼってお話を伺いたいと思います。これは画期的な判決として記憶に残っています。裁判官というのは実は非常に保守的な方々が多く、過去に先例のない判決を下すということに対しては二の足を踏む方がほとんどである中、まず、憲法と人権を重視するかたちで差し止め判決を出された。
井戸 原発を差し止めるには、人格権侵害の具体的危険があると認められることが要件なのですよ。その具体的危険とは何なのかということが問題になる。当時の私としては、そんなに原発問題をきっちりと勉強したわけではないけれども、チェルノブイリ(原発事故)の記憶もあったし、過酷事故がいったん起こると、被害の広がり、そして将来にわたって非常に長い年代に大変な被害が生じ得るということは分かっていた。最高裁も、伊方原発の判決文中で、原発事故は「万が一にも起こらないようにする」と書いています。したがって、原発には高度の安全性が求められるという感覚はあったわけです。あの志賀原発の判決で、差し止めたことについては、いくつか理由を挙げています。一つは邑知潟断層帯の評価で、地震調査委員会は将来の30年間にマグニチュード7.6の地震が起こる確率が2%あると報告している。一方、北陸電力はその地震調査委員会の評価が誤っていると言っている。しかし、地震調査委員会というのは一流の地震学者が集まっていますから、一電力会社の評価をその地震調査委員会の評価の上に置くことはできないと思いました。その地震調査委員会の評価を前提にすれば、マグニチュード7.6の地震に備えなければならない。もちろんそれが起こったからといって、確実に志賀原発で過酷事故が起こるかどうかはわからないですが、かなりその確率はある。要するに、志賀原発はマグニチュード7.6なんていう大規模地震は想定していないわけですから。その2%の確率の危険を司法の姿勢として認めてはいかんだろうという、そういう発想なんです。やはり小さな油断が将来的な大きく悲惨な過酷事故に結び付いていくわけですから。全国の原発の差し止め訴訟で、裁判所は小さな可能性であっても、運転を認めないという姿勢で臨まなきゃいけないんじゃないかと思ったわけです。先例はなかったけれども、それは、裁判官としての責任だと思いましたね。
――これは電力会社の経済活動の自由、営業の自由よりも、生命、生活を守る人格権を上に置かれたという判決でした。まさに、それから5年後の2011年3月11日に実際、恐れておられたことが福島で起きてしまいました。あの3月11日、井戸さんはどちらにおられましたか?
井戸 大阪高裁の13階の判事室にいましたが、大阪でも長周期地震動でものすごく揺れました。1号機の爆発のニュース映像を見て、結果的には水素爆発だったわけですけれども、水蒸気爆発だと思ったので、もうチェルノブイリ級で、日本という国はほとんど終わりだと感じて体中の力が抜けてしまいました。子どもたち一人一人に向けてこれからの人生を考えろと、メールをした記憶があります。そのときに思ったのは、自分の感覚がいかにものすごく甘かったかということです。私は志賀原発の運転差止めを命じたけれども、先ほども話したように司法の姿勢としてこうあるべきだという感覚でやっていたわけです。実際に日本の原発が過酷事故を起こすということを現実感を持って感じていたわけではなかったんです。だから、そういう意味ではやはり驚きましたし、自分の認識が甘かったと痛感しました。
――マスメディアからの取材もかなり当時きたんではないかと思うんですが、いかがでしたか?
井戸 当時は現職の裁判官だったので、すぐには取材はなかったのですが、4月になって裁判官を辞めてから。4月に最初に朝日新聞の記者が来て、5月ごろかな、「news23」(2011年当時は「NEWS23X」)のインタビューがあって、それが放映されてから、結構、申し込みがきました。

福島第1原発3号機から立ち上る黒煙(2011年3月21日)
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著者情報
ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト
木村元彦
きむら ゆきひこ
1962年、愛知県生まれ。中央大学卒業。東欧やアジアを中心に、スポーツ文化や民族問題などの取材、執筆活動を続ける。著書に『誇り』(98年、東京新聞出版局)、『悪者見参』(2000年、集英社)、『終わらぬ「民族浄化」セルビア・モンテネグロ』(05年、集英社新書)、『蹴る群れ』(07年、講談社)、『社長・溝畑宏の天国と地獄』(10年、集英社)、『争うは本意ならねど』(11年、集英社インターナショナル)、『徳は孤ならず』(16年、集英社)、『橋を架ける者たち』(16年、集英社新書)、『無冠、されど至強』(17年、ころから)、『コソボ 苦闘する親米国家 ユーゴサッカー最後の代表チームと臓器密売の現場を追う』(23年、集英社インターナショナル)など多数。『オシムの言葉』(05年、集英社インターナショナル)で第16回ミズノ・スポーツライター賞を受賞。