「ノー・リーズン」の土地で――パレスチナ医療支援に参加して
香山リカ(医師)
短い期間だが、パレスチナに医療支援に行ってきた。所属する北海道パレスチナ医療奉仕団(以下、「奉仕団」と記載)の第18次派遣に参加したのだ。
私がこの民間の医療ボランティアグループに加わったのは2019年の暮れだったと思う。もともと国際医療支援には関心があったものの、なかなか最初の一歩を踏み出せずにいた。その分野の代名詞ともいえる「国境なき医師団」の説明会に行ったこともあるが、要求される語学力の水準が高すぎて、あきらめざるをえなかった。
私がこの民間の医療ボランティアグループに加わったのは2019年の暮れだったと思う。もともと国際医療支援には関心があったものの、なかなか最初の一歩を踏み出せずにいた。その分野の代名詞ともいえる「国境なき医師団」の説明会に行ったこともあるが、要求される語学力の水準が高すぎて、あきらめざるをえなかった。
そんな中、2019年12月にアフガニスタンで中村哲医師が無念の死を遂げた。そのニュースに接し、「こうしてはいられない。自分も何かしなければ」と奮い立ってあれこれと動き出したのは、自著『61歳で大学教授やめて、北海道で「へき地のお医者さん」はじめました』(集英社クリエイティブ)に書いた通りだ。そこで当時はまだ立教大学の教員で東京に住んでいた私の参加を快く受け入れてくれたのがこの奉仕団であった。「毎週のミーティングはオンラインで行っているので、どこにいてもだいじょうぶですよ」という整形外科医の猫塚義夫団長の温かい声に救われた思いがした。
奉仕団はそれまで毎年、医師や教員で派遣チームを作ってガザ地区に出かけており、翌2020年には私も現地へ行くつもりだった。しかし、新型コロナウイルス感染症の流行で渡航そのものが中止に。その後、私は北海道の「へき地診療所」で働くことになり、まとまった休暇が取りづらくなってしまった。
奉仕団はそれまで毎年、医師や教員で派遣チームを作ってガザ地区に出かけており、翌2020年には私も現地へ行くつもりだった。しかし、新型コロナウイルス感染症の流行で渡航そのものが中止に。その後、私は北海道の「へき地診療所」で働くことになり、まとまった休暇が取りづらくなってしまった。
そして、2026年9月。5日間の連続休暇を取得して前後の週末をつなげれば、派遣チームに加われそうということがわかった。同僚医師は快く承諾してくれた。1カ月間、滞在する医師もいる中では全旅程9日間とごく短期間だが、私にとっては念願の初めての現地活動だ。
ただ、2019年に私が奉仕団に入ったころと、状況は決定的に変わっていた。
2023年10月以降、ガザ地区には入れなくなったのだ。現在の奉仕団は、ヨルダンと東エルサレムのパレスチナ難民キャンプ、そしてヨルダン川西岸地区のパレスチナ自治区での活動を行っている。
ただ、2019年に私が奉仕団に入ったころと、状況は決定的に変わっていた。
2023年10月以降、ガザ地区には入れなくなったのだ。現在の奉仕団は、ヨルダンと東エルサレムのパレスチナ難民キャンプ、そしてヨルダン川西岸地区のパレスチナ自治区での活動を行っている。

◆ ◆ ◆
まずヨルダンの首都アンマンに到着した私は、すでに現地で活動していた猫塚団長らと合流し、「国境なき医師団」が運営している「再建外科病院」を視察した。「国境なき医師団」は基本的にそれぞれの地域に医療を届ける活動をしているが、この再建外科病院には逆にガザ地区、シリア、レバノンなど中東各地から高度な医療を必要とする負傷者らが搬送され、手術や感染症治療、リハビリ、さらには心のケアを受けるという。

国境なき医師団が運営する「再建外科病院」(写真=著者提供。クレジットのない写真は以下同)
そのあと、UNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)の清田明宏保健局長から、現地の状況をさらにくわしく聞く機会を得た。
UNRWAとはアンマンに本部を置き、第1次中東戦争後、難民化したパレスチナ人の支援と保護のために活動する国連組織だ。清田医師は、2010年からその医療・保健部門のトップを務めている。著作である『天井のない監獄 ガザの声を聴け!』(集英社新書)でその名前を知っている人も多いだろう。
これまで5地域で約700校の学校や約140カ所の診療所を運営してきたUNRWAだが、イスラエルはハマスによる奇襲攻撃にUNRWA職員が関与した疑いがあるとして、2025年1月から同国内での活動を禁止した。清田医師がつぶやく。
UNRWAとはアンマンに本部を置き、第1次中東戦争後、難民化したパレスチナ人の支援と保護のために活動する国連組織だ。清田医師は、2010年からその医療・保健部門のトップを務めている。著作である『天井のない監獄 ガザの声を聴け!』(集英社新書)でその名前を知っている人も多いだろう。
これまで5地域で約700校の学校や約140カ所の診療所を運営してきたUNRWAだが、イスラエルはハマスによる奇襲攻撃にUNRWA職員が関与した疑いがあるとして、2025年1月から同国内での活動を禁止した。清田医師がつぶやく。
「以前は、自家用車でアンマンからイスラエルに移動して、西岸地区からガザ地区まで走り回ったんですよ。それが今では……」
清田医師が言葉を呑み込む。彼自身も、いまはイスラエルに入国することが認められていない。ヨルダン川西岸地区やガザ地区では、パレスチナで育った生え抜きのスタッフが中心となってUNRWAの活動が現在も続いているが、統括する保健局長らが足を運ぶことはできないのだ。
UNRWAの全職員は2万6000人で、そのうちガザ地区では1万人が活動しているという。2023年10月以降は、400人がイスラエル爆撃などで命を落としたそうだ。「その中には医者や看護師も含まれています」と、清田医師は苦渋の表情で犠牲になった部下たちについて語った。ネットがつながるときはオンラインミーティングが開かれるが、残っているスタッフの疲労も色濃くなってきているという。翌日、陸路でヨルダン国境を越えてイスラエルに入ると伝えると、清田医師は「存分に力を尽くしてきてください」と言った。
UNRWAの全職員は2万6000人で、そのうちガザ地区では1万人が活動しているという。2023年10月以降は、400人がイスラエル爆撃などで命を落としたそうだ。「その中には医者や看護師も含まれています」と、清田医師は苦渋の表情で犠牲になった部下たちについて語った。ネットがつながるときはオンラインミーティングが開かれるが、残っているスタッフの疲労も色濃くなってきているという。翌日、陸路でヨルダン国境を越えてイスラエルに入ると伝えると、清田医師は「存分に力を尽くしてきてください」と言った。

UNRWAの清田明宏保健局長と
◆ ◆ ◆
アンマン市内からヨルダン側の出国ターミナルまでは、タクシーで1時間ほど。ターミナルは突然、閉鎖されることもあると聞いて、私たちは午前7時半にホテルを出発した。車は「死海はこちら」という看板をやりすごしながら、海抜マイナス200メートルから400メートル、「世界一標高の低い場所」といわれるヨルダン渓谷の荒涼とした岩や土くれの間を進む。
ターミナルに着くと、入口のホールは人であふれ返っていた。観光客らしき人もいるが、多くはパレスチナ人のようだ。イスラエルにはテルアビブ近郊にベン・グリオン国際空港があるが、パレスチナ人の使用は厳しく制限されている。そのため、この検問所がパレスチナ人たちにとっては唯一の「外国との通路」なのだ。
そこからは、とにかくすべてのプロセスでひたすら待たなくてはならない。まず出国側の手荷物検査を受けるために並んだ列がなかなか進まない。高額の別料金を払って民間の手配会社を利用している人たちが先に通され、その間は一般の検査はストップだ。
ようやく私たちの番が来ると、同行者のひとりは荷物を開けられ、「なぜスマホ以外にカメラがあるのか」などと尋ねられていた。荷物検査が終わると出国税を払い、パスポートチェックを受ける。窓口でパスポートは回収されてしまった。
ターミナルに着くと、入口のホールは人であふれ返っていた。観光客らしき人もいるが、多くはパレスチナ人のようだ。イスラエルにはテルアビブ近郊にベン・グリオン国際空港があるが、パレスチナ人の使用は厳しく制限されている。そのため、この検問所がパレスチナ人たちにとっては唯一の「外国との通路」なのだ。
そこからは、とにかくすべてのプロセスでひたすら待たなくてはならない。まず出国側の手荷物検査を受けるために並んだ列がなかなか進まない。高額の別料金を払って民間の手配会社を利用している人たちが先に通され、その間は一般の検査はストップだ。
ようやく私たちの番が来ると、同行者のひとりは荷物を開けられ、「なぜスマホ以外にカメラがあるのか」などと尋ねられていた。荷物検査が終わると出国税を払い、パスポートチェックを受ける。窓口でパスポートは回収されてしまった。
ヨルダンの出国許可は下りたようだ。では、次はイスラエルの入国手続きだ――と何ごとも順番通りに首尾よく進む、と信じて疑わないのは、日本で暮らす人間の感覚なのかもしれない。
そこからまた待つのである。
イスラエルの入国ターミナルに行くには、シャトルバスに乗らなくてはならない。それがいつ来るのかわからない。同行者が窓口に尋ねると「40分くらいかな」というあいまいな返事だった。パスポートは回収され手もとにないので、戻る選択肢もない。
待合室にはベンチが数人分しかなく、エアコンも扇風機もない。売店もカフェもない。顔のまわりをハエが飛び交う。最初は手で追い払っていたが、そのうちそんな気力もなくなった。
1時間ほどして突然、係員が「外にいるバスに乗れ」と言った。そこでようやくパスポートが返ってきた。
そこからまた待つのである。
イスラエルの入国ターミナルに行くには、シャトルバスに乗らなくてはならない。それがいつ来るのかわからない。同行者が窓口に尋ねると「40分くらいかな」というあいまいな返事だった。パスポートは回収され手もとにないので、戻る選択肢もない。
待合室にはベンチが数人分しかなく、エアコンも扇風機もない。売店もカフェもない。顔のまわりをハエが飛び交う。最初は手で追い払っていたが、そのうちそんな気力もなくなった。
1時間ほどして突然、係員が「外にいるバスに乗れ」と言った。そこでようやくパスポートが返ってきた。
ターミナルの出口に横づけされた大型バスに乗ると間もなく出発。
ヨルダン側ターミナルとイスラエル側ターミナルは隣接しておらず、5キロほどの緩衝地帯(ノーマンズランド)をバスで移動しなければならないのである。この区間は歩いて渡ることも、自家用車や普通のタクシーで通ることもできない。
車内では「窓のカーテンを閉めろ」「写真を撮るな」と言われた。なぜ撮影してはいけないのか。どこにも「撮影禁止」などとは書かれていないではないか。そんな疑問が頭をよぎっても、口には出せない。「そうか、じゃ入国を禁止する」と言われたらそれまでだ。場合によっては拘束されるかもしれない。
カーテンの隙間から外を見ると、白茶けた土と岩の土地が続き、ときどき有刺鉄線や分厚い壁が視界を横切った。
15分ほど走ったあたりで、同行者が「アレンビー橋を渡りますよ」と囁いた。何度かの破壊を経て、日本のODAにより竣工された橋だ。眼下にはヨルダン川が流れているはずだが、近年の流量激減の影響もあってか、カーテンの隙き間からその流れを目にすることはできなかった。
ヨルダン側ターミナルとイスラエル側ターミナルは隣接しておらず、5キロほどの緩衝地帯(ノーマンズランド)をバスで移動しなければならないのである。この区間は歩いて渡ることも、自家用車や普通のタクシーで通ることもできない。
車内では「窓のカーテンを閉めろ」「写真を撮るな」と言われた。なぜ撮影してはいけないのか。どこにも「撮影禁止」などとは書かれていないではないか。そんな疑問が頭をよぎっても、口には出せない。「そうか、じゃ入国を禁止する」と言われたらそれまでだ。場合によっては拘束されるかもしれない。
カーテンの隙間から外を見ると、白茶けた土と岩の土地が続き、ときどき有刺鉄線や分厚い壁が視界を横切った。
15分ほど走ったあたりで、同行者が「アレンビー橋を渡りますよ」と囁いた。何度かの破壊を経て、日本のODAにより竣工された橋だ。眼下にはヨルダン川が流れているはずだが、近年の流量激減の影響もあってか、カーテンの隙き間からその流れを目にすることはできなかった。

アレンビー橋(別名キング・フセイン橋)手前の道路標示(写真:ロイター/アフロ)
◆ ◆ ◆
アレンビー橋を渡ると、あと1キロほどでイスラエル側のターミナルだ。
ところが、バスは再び突然止まった。
車内放送などの説明はない。あと何分待つのかもわからない。周囲の人たちは、誰も「どうしたんだ」といった声もあげない。スマートフォンで動画を見始めたり目を閉じたりして、ただ待っている。
1時間ほどたったころ、突然、イスラエル軍の兵士が乗り込んできた。全員のパスポートを確認して降車、するとまた「発車します」といったアナウンスもなくバスが動き始めた。
ところが、バスは再び突然止まった。
車内放送などの説明はない。あと何分待つのかもわからない。周囲の人たちは、誰も「どうしたんだ」といった声もあげない。スマートフォンで動画を見始めたり目を閉じたりして、ただ待っている。
1時間ほどたったころ、突然、イスラエル軍の兵士が乗り込んできた。全員のパスポートを確認して降車、するとまた「発車します」といったアナウンスもなくバスが動き始めた。
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医師
香山リカ
かやま りか
1960年北海道生まれ。東京医科大学卒業。学生時代より雑誌等に寄稿。その後、精神科医として臨床に携わりながら、一般読者向けの著作活動を行う。著書に『女は男のどこを見抜くべきか』(集英社)、『執着 生きづらさの正体』(集英社クリエイティブ)、『「いじめ」や「差別」をなくすためにできること』(ちくまプリマー新書)、『61歳で大学教授やめて、北海道で「へき地のお医者さん」はじめました』(集英社クリエイティブ)など多数。