第37回 生きてゆく街
前野健太(シンガーソングライター/俳優/エッセイスト)
高知へ、ライブをしに出かけた。春だった。
朝の早い便で、羽田空港から高知龍馬空港へと、飛んだ。
東京はどんよりと曇っていたが、高知の朝は、晴れていた。
会場入りが14時で、会場近くのバスターミナルに着いたのが10時頃。4時間も早く着いてしまった。ギターとスーツケースをホテルに預け、少し散歩することにした。
運良く自転車を借りられたので、すーっとまずは周りを走り、珈琲屋を探した。
高知の中心地、はりまや橋の交差点からすぐの2階にある喫茶店は知っていた。路面電車が見えて、窓際の席は特等席。ここは行ったことがあったので、別の店を探すと、あった。まさにその店から信号を挟んで向いに。自転車を停め、細い階段を上る。扉を開けると、昭和の喫茶店という趣。大好物である。モーニングがまだやっていたので、注文。いきなり旅の中心行事にありつけた。この行為はだいたい、移動して、ライブがあって、夜泊まって、次の日の朝、行われる神事なのだ。街の神様が、一服している朝の喫茶店。そこにカランと入っていって、コーヒーを飲むことで、街へ溶け込み始める。それをいきなり味わえた。幸先が良い。
街の神様と相席。モーニング
しばらくボーッとして、新聞を読んだり、ライブのことを考えたり。今から店を出てもまだまだ時間はある。そうだ、髪を切ろう。途端に思いついた。髪が今までにないくらい伸びきっていたし、旅先で切るのは味わいがある。前回もそうだった。4、5ヶ月前、門別競馬場の近くの床屋で髪を切った。もう寒くなり始めていた時期だから、11月だろうか。そこから半年近く経っている。しばらくは旅先だけで切る、というのをやってみるのもいいかもしれない。
店を出て、自転車で街を流す。このはりまや橋と逆っ側のエリア、古い商店が並ぶ一角がとても趣がある。猫が寝転んでいたり、狭い路地に惣菜の店があったり。そこでかつおコロッケをひとつ買い、かじりながら自転車をこぐ。自転車の罰金制度が始まったが、この食べながら運転もアウトなのだろうか。はいあなた、コロッケ食べながら自転車こいでたから罰金5千円。そんなバカな。人生で自由を感じる、数少ない瞬間である。そんなことにまで罰金を科すのか? 国よ!
ということでその辺りをぷらーっと自転車をこいでいると、発見、これもザ・昭和の床屋だ。店の前に自転車が停めてあり、タオルがかかっている。干してある。さーっと店の前を通り、中をチラ見。またすらーっと通り値段を確認。しかしカット料金は見当たらない。入るのが少し怖いが、ここに決めた。店の前の自転車の隣に自転車を停めて、入店。店の人は昼飯を食べていた。わるいなと思ったが、どうぞーということだったので甘えて椅子に座る。店内を見回すも料金表はない。まあ高くてもカットのみで5千円くらいだろう。心配するな。自分に言い聞かせ、カットのみでお願いできますかと注文。はーいと店の人。どのくらい切る、と言われたので、そうですね、ちょっと伸びすぎたので、3、4センチくらい切っちゃってください。横と後ろがボワッとするので、そこだけすいてもらって、上は髪の量が少ないのですかないで大丈夫です。そんなことを伝える。はーい、と言って店の人、切り始める。あまりしゃべらず、淡々と、切っていく。天気の話はしたと思う。もう暑くなってきて、すぐ夏になりそうですね、なんて話をしたのだろうか。店の人はばさばさ切っていく。15分くらいで、あっという間に終わった。鏡を見た。お、うまい。この方、かなりうまい。高いのかな。まだ値段わからないし。あ、領収書お願いします、と伝えると、はーいと返事。1500円ね、と領収書を持ってきた。安い。安すぎる。この技術で1500円か。近所にあったら、もう他の店には行けなくなるだろう。そういえば、カット中に、もうこの店は長いんですか、なんて野暮なことを聞いたかもしれない。そこも淡々と話をしてくれたような気がする。クールな方だった。
モーニングを食べ、髪を切っても、まだ時間はあった。ぷらぷら自転車を走らせると、自分にとても関係があるような看板が目にとまった。

営業中、サムゲタン
なんてことはない。「営業中」という曲と、「マシッソヨ・サムゲタン」という曲を自分が書いていて、よくライブで歌っているというだけのことである。ただ、親戚のような、他人とは思えない、看板ではあった。
食堂でうどんを食べて、いよいよ会場入りの時間だ。宿に戻り荷物を受け取り、すぐ近くの会場へ。雲行きがちょっと怪しくなってきたので、折り畳み傘をリュックから出して、ポケットに入れた。
会場は「得月楼」という料亭で、歴史あるところだった。昔は「陽暉楼」という名前で、旅前に調べたところによると、宮尾登美子の小説『陽暉楼』の舞台にもなっているという。同名で映画化もされていた。その映画もレンタルして観ることができたが、とんでもないところでライブをやるのだなと、緊張した。
会場に入ると共演の堀込泰行さんがリハーサルをしていた。一度イベントで共演させてもらったことがあるが、2マンは初めてだ。お洒落で、グッドミュージックを作られる堀込さんと、自分みたいな野暮な歌唄いは、どう考えてもミスマッチな気がするのだが、主催者はもっと広く歌や音楽を捉えているような気もする。ありがたい限りである。
本番はお座敷歌のカバーや、自作の歌を混ぜ、45分、ピシッと演奏した。しかしMCで、床屋の名前を間違えて紹介してしまった。ぜひ行ってみてください、「クール」という店です、と喋ってしまったのだ。ライブが終わって、高知の知り合いから、前野さん、そういう名前の床屋はないですよ、と言われた。これじゃないですか、とスマートフォンを見せられ、それです! となった。そう、店主がクールだったから、クールと言ってしまったのだ。同じカタカナ3文字だったし。
堀込さんのとろけるようなライブを、酒を我慢しながら、後方で見させてもらい、終演。イベントは無事に終わった。この料亭でイベントをしようと思った主催者と、気持ちよく受け入れていた料亭の主人に、ありがたい気持ちになった。おかげで宮尾登美子のことも『陽暉楼』のことも知ることができた。打ち上げは川沿いの店で、しっぽりと行われた。
ライブ会場、得月楼の広間
翌日はあいにくの雨だったが、ちょうど高知県立文学館で宮尾登美子展がやっていたので、グッドタイミングと思い足を延ばした。長いアーケード商店街を歩いていくと、お城が見えてきて、その一角に、文学館はあった。手前には「ひろめ市場」があったが、中はすごい人で、ゆっくり食事ができる感じでもなかった。
展示は宮尾登美子の一生をゆっくり辿ってゆくもので、まったく知らない自分にとってはありがたく、楽しめる内容だった。高知出身の宮尾登美子。まさに陽暉楼のあった花柳界で育ったという宮尾の生い立ち。自身が負い目だと感じていた出自を、小説で花開かせた。ガラスケースの中には、小説の原稿の束が展示されていた。ものすごい量の原稿にくらっとした。肉体が原稿に変わる。原稿の根、原稿の樹。そして言の葉の数々はまた、人の目に触れ、輝く。強烈だった。
宮尾登美子が着ていた着物も展示されていて、生地が美しく、見惚れた。こういうものたちも、その人の文学を支える、形作る、大きな要因になっているのだろうと思った。山本一力の宮尾へ宛てた文章も、沁みた。
いいものが見れたなと、ぶらぶら商店街を歩いて宿に戻った。荷物を受け取り、空港行きのバス停に向かっていると、昨日のライブ会場の「得月楼」が見えた。縮小、縮小でどんどん小さくなっていると店主は話していたが、路面電車の向こうに佇む料亭には、まだ昔の「陽暉楼」の香りが、漂っているような気がした。
文学館の展示の名前は「生誕100年記念 宮尾登美子展 ~生きてゆく力~」だった。
得月楼の中に飾られていた「陽暉楼」の絵