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社会問題

司法と原発~裁判官として、弁護士として、原発行政に立ち向かう

木村元彦(ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト)

原発事故後、福島の住民に弁護士として寄り添う

 ――そして裁判官を辞めて弁護士になられた。この意思決定は実は福島の原発事故が起きる前から決めておられたということですが、「脱被ばく裁判」においての前身の「ふくしま集団疎開裁判」(以下、「集団疎開裁判」)の原告の代理人として動かれた。そして事故から2年後の2013年、仙台高裁の抗告審決定について「裁判所をルビコン川のほとりまで連れてきたが、川を渡らせることはできなかった」と発言された。ただ、それまでは裁判所を川まで連れて行くことすらなかなかできなかった中で、これはやはり、ひとつの前進ではなかったでしょうか。
井戸 それは郡山市の子どもたちが郡山市相手に、行政の責任で避難させろということを求めた裁判でした。被ばくのリスクについて、あのときは矢ヶ崎克馬先生(琉球大名誉教授)とか、北海道の松崎道幸先生(道北勤医協旭川北医院院長)に意見書を書いてもらって裁判所に提出して、低線量被ばくの健康被害の危険性があるということを強く立証したんです。裁判所、仙台高裁は、このままだと子どもたちに由々しき事態が発生する恐れがあると決定文の中に書いているんですよ。今の環境がやはり子どもたちの健康被害につながる可能性が十分あるということを認めたわけです。ただ、最終的には、郡山市に行政の責任で避難させる義務があるかというと、そこを否定して、申し立て自体は退けたんです。だけど、実質的な低線量被ばくの危険性については、事実上、認めさせることができたので、それがルビコン川のほとりまで連れてきたという意味合いなんですね。
 
 ――そこから、「子ども人権裁判」と「親子裁判」という二つのやり方で入っていった。

「子ども人権」は、福島の子どもたちが原告となり、通っている小中学校の設置者である地方自治体に対して「安全な地域で教育を受ける権利」があることの確認を求める訴訟。「親子」は子どもとその親が原告となって、国と福島県を相手に被ばく防護対策を怠った結果、無用な被ばくを強いられたとして慰謝料の支払いを求めたもの。「子ども人権」は福島県内の公立小中学校に通っている子どもしか原告になれないけれども「親子」は親子、それも県外に避難した親子も原告になれる。これも、指摘されているように、福島から避難した方としなかった方の間で、分断が生じていたわけですが、これが一緒に原告になることができた。つなぎ直しがこの裁判でできたということも評価できることの一つではないでしょうか。
井戸 そうですね。どういう裁判をしたいのか、何を行政に求めたいのかという議論を現地のお母さんたちと何回もしたわけです。そこで、いろんな問題やしがらみはありますが、やはり今からでも避難させてほしいという保護者の方の思いが強かったのです。(行政が責任を取るかたちでの)避難を取り上げて一つ訴訟の形にしたんですが、合わせて、20ミリシーベルト問題をはじめとして事故直後の行政の施策に対する怒りというのがものすごく強かったのです。守ってくれると思った行政が守ってくれなかったという怒りです。それをなんらかの訴訟の形にしたいという意見が出てきた。それなら、先に避難をした家族も原告になれる。初期に子どもたちが被ばくさせられて、それで避難したわけですから、被ばくさせられたという意味では残った家族と同じなわけです。輪が広がるということで、この訴えも起こすことにしました。この二つの裁判は形式が違うんです。今からでも避難させてほしいというのは行政訴訟で、初期の被ばく問題、無用な被ばくをさせられたことに対する損害賠償というのは国家賠償請求。訴訟の手続きが違うので、これを一緒にするというのはあんまり例はないんですけど。しかし、法律的にはできなくはないので、じゃあ、それでやろうという方針が決まったわけです。
 
 ――そこで再生であり連帯の道筋ができたと。本書では、当事者の方、避難をしたくてもできなかった方など、ものすごく話を聞き込んでおられたという印象があるんですが、議論の方向性であったり、意見をまとめていく上で苦労された部分はどうだったのでしょうか。
井戸 スタートしてからは、良かったのですが、スタートするまでは、やはり難産でした。足を運んで聞きこむと、皆さん、いろいろ希望や不満は言われるんですが、では、いざ原告になるかということになると、ものすごくハードルが高くなるんですね。ちょっとそこまではできないというような方も何人もおられましたよね。それでも、動き出してからは、皆さん、ひとつのチームになっていきました。
 
 ――本書には出てきませんが、井戸さんはさらに、漫画『美味しんぼ』のことも取り上げて発信しておられました。雁屋哲さんが原作の有名な漫画で、福島を取材した主人公が鼻血が出たことを描き、実在する双葉町長が「被ばくしたからです」と発言した。この作品を出した小学館に向けたバッシングが、総理大臣も含めた組織や人によって巻き起こった。これに対してこんな卑劣なことは許されないと記者会見を開いて発信されていた。『美味しんぼ』は愛読されていたんでしょうか。
井戸 毎号読んでたわけじゃないんですけど、単行本になったやつはちょこちょこ読んでました。ただ、あの号は出るやいなや、買っていました。バッシングは本当に腹の底からひどいと思いました。私が空恐ろしくなったのは、「集団疎開裁判」で郡山のお母さんたちとずっと話をしていましたから、子どもたちが鼻血を出すなんていうのは当たり前の話だったんです。どのお母さんも話していたことだったのです。ところが、あの『美味しんぼ』たたきは、原因は被ばくではないと言って被ばく説をたたくというならまだあり得ると思ったんですけど、いや、誰も鼻血なんて出してないと言うわけですよ。あるニュース番組を見たときに、福島の駅前でインタビュアーが道行く人に「今、(『美味しんぼ』という漫画で)鼻血が問題になっていますけど、あなたの周りで鼻血を出している子どもいますか?」、あるいは、「そういうことを聞いたことありますか?」と聞いていく、そしたら、みんな、「いや、そんなこと、聞いたことない」と言う。私は、これは絶対編集だと思った。鼻血を出した人を見た、そういうことを聞いたと答えた人はいっぱいいたはずです。だけど、「知らない」と答えた人の映像だけを編集して流した。それは間違いないと今でも思っています。それだけマスコミが政府のこの方針に正面から協力してニュース番組を作るという、この構造がほんとに怖いと思った。それで、これは速やかに記者会見をしなきゃいけないと言って、東京でやったんです。

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著者情報

ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト

木村元彦

きむら ゆきひこ

1962年、愛知県生まれ。中央大学卒業。東欧やアジアを中心に、スポーツ文化や民族問題などの取材、執筆活動を続ける。著書に『誇り』(98年、東京新聞出版局)、『悪者見参』(2000年、集英社)、『終わらぬ「民族浄化」セルビア・モンテネグロ』(05年、集英社新書)、『蹴る群れ』(07年、講談社)、『社長・溝畑宏の天国と地獄』(10年、集英社)、『争うは本意ならねど』(11年、集英社インターナショナル)、『徳は孤ならず』(16年、集英社)、『橋を架ける者たち』(16年、集英社新書)、『無冠、されど至強』(17年、ころから)、『コソボ 苦闘する親米国家 ユーゴサッカー最後の代表チームと臓器密売の現場を追う』(23年、集英社インターナショナル)など多数。『オシムの言葉』(05年、集英社インターナショナル)で第16回ミズノ・スポーツライター賞を受賞。

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