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社会問題

司法と原発~裁判官として、弁護士として、原発行政に立ち向かう

木村元彦(ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト)

ふたつの裁判をどう闘ったか

 ――本書は「脱被ばく裁判」の貴重な記録で、福島地裁、仙台高裁での闘いがその舞台裏も含めて詳細に記されています。白眉であったのが、内閣官房参与の小佐古敏荘氏が、政府の放射線防護策批判をして辞任したくだりです。
 そして、文部科学省が小学校などの校庭利用における放射線の年間被ばく許容量を一般公衆の被ばく限度年1ミリシーベルトの20倍である年20ミリシーベルトにしたこと。原発のプラントで働いた成人労働者の平均でも年間被ばく線量は1.5~1.7ミリシーベルトなのに、それよりはるかに高い線量を子どもたちの許容量として認めてしまった。これが引き金になって小佐古さんが、「学問上の見地からのみならず私のヒューマニズムからしても受け入れることができません」と記者会見で述べて辞任した。さすがに井戸さんも驚かれた。
井戸 小佐古さんが、被ばくに対して慎重な立場をとっている人であれば、そうは思わないですけど、彼はそもそも日本の政府の立場を代弁する学者で、ICRP(国際放射線防護委員会)の委員までやっていたわけでしょ。全国の原爆訴訟でも政府側、国側の証人として被ばく安全論を述べていた人があれだけの会見をしたわけですから。低線量被ばくの問題について、政府、国の見解になかなか逆らえないという利害関係の中で、苦しむ学者たちがいる中で小佐古さんみたいな有名な人がまずその鎖を断ち切ったわけじゃないですか。驚きました。そしたら、そういう良心の呵責を感じてたような人たちが、小佐古さんに続けということで、どんどん出てきてしかるべきだと思ったんです。それを期待したんですけど、全く出てこなかったというのが、逆にショックでしたね。
 
 ――やはり、大きかったのは、年間20ミリシーベルトへの引き上げ。
井戸 だって、それまでの被ばく安全量というのは生涯線量で100ミリシーベルトでしたから、20ミリシーベルトだったら、もう義務教育内の5年で子どもたちは100ミリシーベルトに達するわけです。私はああいう非常時なので、5ミリシーベルトぐらいは言ってくるかもしれないなとは思いましたけど、まったく想定外でした。チェルノブイリのときに、当時のソ連のイリーンという中心人物が生涯線量350ミリシーベルトで年間5ミリシーベルトまでは安全だと言って国民を説得しようとしたけど、結局、人々は納得できなくて、年1ミリシーベルトのチェルノブイリ法ができたわけです。当時のソ連政府ですら、年5ミリシーベルトだったわけですよ。だから、日本もそれぐらいは言ってくるかもしれないなと思ったけど、20ミリシーベルトというのはびっくりしました。
 
 ――本書第二章の「福島地裁での闘い――後編」では原発安全神話をさかんに喧伝していた二人の医師、山下俊一氏、鈴木眞一氏が法廷の証人喚問に呼ばれる舞台裏を記されています。

 山下氏は福島県が「放射線健康リスク管理アドバイザー」として招いた人物ですが、山下氏の放射線の安全面に関する数値が事故前と後では、これが同じ人物かと思えないほどに正反対に変わっていた。
井戸 いろんな人に聞くと、山下氏は結構尊敬されていた人物なんですね。こういう裁判をしていると、真面目な学者がいろいろと情報提供をしてくれたのですが、そういう人に聞くと、「山下先生は立派な方です」と言うわけです。しかし、彼は、福島原発事故前は、10~100ミリシーベルトの被ばくでも健康被害があるということについて堂々と警鐘を鳴らしていたにもかかわらず、事故後の記者会見では「この数値(毎時20マイクロシーベルト)で安定ヨウ素剤をただちに服用する必要はない」(2011年3月20日記者会見)と言い、また講演会(2011年5月3日、二本松市)では、「年間100ミリシーベルト以下では、明らかな発がんリスクは生じません」と発言している。彼は事故の前後で言うことが180度変わったわけです。だから、学者というよりは政治家だと思います。それまでは良心的な学者としてそれなりに振る舞ってきたのが、福島の事故で豹変してしまったということなんだろうと思いますが。
 
 ――山下氏は被爆地長崎出身ということもあって、発言は波紋を広げました。本書においては一種の「パターナリズム」(強い立場の者が弱い立場の者の利益だと称して本人の意思を問わずに介入すること)ではないかと指摘されていましたね。
井戸 彼は、当時、子どもの健康被害をどう考えていたのか、極めて疑問です。山下氏は、講演会で「1ミリシーベルトの被ばくで遺伝子が一つ傷つく」と説明しましたが、真実は、人体に約37兆個あるすべての細胞で遺伝子が一つ傷つくのです。彼は、法廷では「37兆分の1という過小評価であった」と認めました。
 そして毎時100マイクロシーベルトまでは外で遊ばせろと言っていたわけです。それを後で、「いや、10マイクロシーベルトの間違いでした」と訂正しますが、あれは意図的に100だと言ったと思っています。マスクをする必要がないというようなことも言っている。そのことによって、いずれそういう環境で遊んだ子どもたちに健康被害が出てくる、あるいは、ガンになる可能性がかなりあるということは一番熟知しているはずなのに、わざわざ被ばくさせるよう働きかけている。いろんな生体データを取って、学者としての権威が高まるというふうに思ったのか、あるいは、政府の中での自分の立ち位置を考えたのかもしれませんけど。
 
 ――地元福島の住職が講演会で質問に立ち、山下氏に、「お孫さんを連れてこの地域の砂場で遊ばせることができますか?」と言ったときに、「お安い御用です。お約束を守りたいと思います」と言っていたわけですが、実際にやられたことはないということも調べておられましたね。

 もうひとり、証人喚問で呼ばれた鈴木眞一さんについてはどういうふうにご覧になっておられましたか。
井戸 私は、鈴木さんは、とても良心的にやっておられると思います。子どもたちの診察、そして、治療、それもガイドラインに基づいておられるし、県民健康調査でもプロトコルを作って、必要な症例だけを手術しておられると。だから彼は「過剰診断はない」と断言するわけです。だけど、小児甲状腺ガンが被ばくが原因であることは認めない。内心はそうじゃないかと思っているんじゃないかと推察しますけども、少なくとも、ご自分の言葉としては被ばくが原因であることは認めない。その本にも書きましたけど、そのことからくる一番の矛盾は、甲状腺ガンの手術が必要な子どもが福島であれだけいて、原因が被ばくでないんであれば、ほかの地域にも同じようにいるはずじゃないかということです。法廷では、ほかの地域でも同じように検査をして必要な手術をすべきじゃないのかと質問したんですけど、そこはごまかされました。福島だけがそんなたくさんいるなんていうことはあり得ないわけですから。
 
 ――鈴木氏におかれては、証人喚問に出していく上において、取り次ぎ対応を拒否されていたわけですけれども、秘書が帰ったタイミングを狙って電話をされてところ、本人が出られて交渉が成立したと。弁護団も自らが動いて直接、本人に「当て」に行く。ジャーナリストの仕事ですね。だから、裁判をしていく中で、弁護士が調査報道的な動きも兼ねていたということもこれを読んですごくよく理解できました。
井戸 それは柳原敏夫弁護士の仕事ですね。

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著者情報

ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト

木村元彦

きむら ゆきひこ

1962年、愛知県生まれ。中央大学卒業。東欧やアジアを中心に、スポーツ文化や民族問題などの取材、執筆活動を続ける。著書に『誇り』(98年、東京新聞出版局)、『悪者見参』(2000年、集英社)、『終わらぬ「民族浄化」セルビア・モンテネグロ』(05年、集英社新書)、『蹴る群れ』(07年、講談社)、『社長・溝畑宏の天国と地獄』(10年、集英社)、『争うは本意ならねど』(11年、集英社インターナショナル)、『徳は孤ならず』(16年、集英社)、『橋を架ける者たち』(16年、集英社新書)、『無冠、されど至強』(17年、ころから)、『コソボ 苦闘する親米国家 ユーゴサッカー最後の代表チームと臓器密売の現場を追う』(23年、集英社インターナショナル)など多数。『オシムの言葉』(05年、集英社インターナショナル)で第16回ミズノ・スポーツライター賞を受賞。

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