『聖なるズー』第17回開高健ノンフィクション賞記念対談《田中優子×濱野ちひろ》前編<br />「動物性愛というタブーに挑んだ理由」
田中 そして、それが暴力につながるんだと思います。暴力は、パーソナリティの発見ができないことや、関係をつくれないというところに生まれやすい。さらにそこへ支配関係が生まれてくると、いくらでも暴力が生まれる。
暴力というのは、物理的な暴力だけじゃなくて、いろいろなかたちがありますよね。例えば言うことを聞かないとマズいかな、というような忖度の背後にあるのも暴力だし、あらゆるところに暴力はある。そして、それにさらされている女性はまだまだものすごく多い。
そういう日本社会にいると、ドイツという、いわば日本と似たような近代的な社会のなかに、ズーというまったく違う世界があるということの驚きがあります。だけど、ズーたちは、人間同士ではなくて、動物を介さないとそういう関係がつくれないというのは、やっぱり社会の問題でもあるんじゃないでしょうか。
濱野 そうですね。ズーたちは、全員ではありませんが、とくに、人間よりも動物との関係性を好む人が多いんです。一部のズーにとっては、人間との関係づくりが難しい。それはおそらく、人間関係のなかで役割を演じている人たちを見抜くのに苦労しているということだと思います。「この人はこういう役割だから今こういう建前で言っていて、それを信じちゃいけない」とか、そういうことを考える作業が彼らにとっては苦労するみたいです。だから、私は自分をどんどんさらしていかないと彼らと本当の話ができなかった。

異類婚物語にみる自然との共生
濱野 ところで、今年の夏に、あるズーたちとドイツの古民家の博物館に行ったのですが、そこで面白いことを発見しました。ドイツの農家では、少なくとも19世紀初頭まで、人間と馬と牛と犬が一つの家のなかで一緒に暮らしていたらしいんです。これは日本でも東北にある「曲り家(まがりや)」という母屋と馬屋が一体となったL字形の伝統的な家屋で暮らした農家にも通じる。馬、牛、犬というのはやはりずっと身近にいたんだなと思いました。その3種の動物たちというのは、人間に対する訴えかけが大きいのかもしれません。
田中 日本の場合は牧畜ではなくて、農作業を一緒にするので馬と牛が多いですね。牧畜をしないということは犬があまり出てこないんです。ところが、『南総里見八犬伝』は犬の話です。中国の『山海経』や『三才図会』には、体が人間で顔が狗の人々の国である「狗国」が紹介されています。その国では女性は人間なのです。『捜神記』のなかには馬の話がありますね。それが日本に伝わってオシラサマの話になります。馬と結婚する娘の話ですよね。中国のそうした異類婚の話は、日本でも物語としてそれほど抵抗感なく受け入れられたんだと思います。とすると、人間が身近にいる哺乳類と本当にパーソナリティを見いだすような付き合いをして生きるというのは、それほどおかしいことではなかったはずだという気がしますね。
濱野 私もそう思います。一緒に働いていれば、「今日は調子が悪いんだな」とか、「この馬はこの作業が苦手なのよね」とか、わかってくると思うんですよね。そういう一頭一頭の、馬なら馬の様子をつぶさに見ながら一緒に暮らすなかで、昔の人たちはときに動物たちのパーソナリティを発見していたんだと思います。昔の日本の田舎暮らしだったら、もっと自然と共生する可能性があったのではないかと想像できます。
田中 それは、学問としても大事な観点だと思います。私は、江戸時代の暮らしだけではなくて、布のことをずっと研究してきたんですね。先ほど言ったオシラサマ信仰というのは、馬の皮に包まれた娘が天まで昇っていってしまって、それからそのあと、木に降りてきて、それがなぜか蚕になる。
濱野 あれは何度考えても、よくわからない話ですよね……。
田中 そう、なぜ蚕なのか……。おそらく、人間は、蚕がつくった繭を煮て糸を引くという作業を何千年もやってきたわけですよね。そのときに、糸を引く人間には、蚕が生きものとして見えているはずなんです。さらに色を染めるときにも、植物や昆虫を使う。自然界から命をもらわないで生きている人間なんていない。オシラサマの話は、そういう生活をしていたことと関係があるんじゃないかな。そういうことを考えると、動物と人間の関係というのは、近代で変わったんじゃないかなと思いますね。それ以前は、神話に残っているように、動物の世界も植物の世界も、大きい生きものも小さい生きものも、みんなつながって見えていたんじゃないかな、という感覚を持っているんです。
濱野 現代を生きる私たちにとって、これからどういうふうに、身近な動物を受け止めていくのかという課題がありますね。種を超えた関係を築こうとしているズーという人たちについて考えることは、人間と自然との関係を改めて問い直すことにもなるんじゃないかなと思います。
著者情報
法政大学総長
田中優子
たなか ゆうこ
1952年、神奈川県生まれ。法政大学社会学部教授、社会学部長を経て、2014年から法政大学総長。『江戸百夢』(ちくま文庫、2010年)で芸術選奨文部科学大臣賞、サントリー学芸賞受賞。2005年、綬褒章受章。『江戸の想像力』(ちくま学芸文庫、1992年、芸術選奨文部大臣新人賞受賞)など著書多数。
ノンフィクションライター
濱野ちひろ
はまの ちひろ
1977年、広島県生まれ。2000年、早稲田大学第一文学部卒業後、雑誌などに寄稿を始める。インタビュー記事やエッセイ、映画評、旅行、アートなどに関する記事を執筆。2018年、京都大学大学院修士課程修了。現在、同大学大学院博士課程に在籍し、文化人類学におけるセクシュアリティ研究に取り組む。著書に『聖なるズー』(集英社、開高健ノンフィクション賞)がある。公式サイト https://chihirohamano.jp/
