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今こそ90年代〝鬼畜系〟サブカルチャーを再考する意義がある―村崎百郎とインターネットの切断線を中心に

鴇田義晴(フリーライター/批評家)

 そもそも鬼畜系ブームはどのように生まれたのかを考えるにあたり、背景にあった出版バブルは確認されるべきだろう。経済バブルは91年3月に崩壊したが、出版業界はその後も好景気が続き96年に最高売上値を記録している。
 『危ない1号』の版元であったデータハウスの鵜野義嗣社長は、鬼畜系ブームは社会の余裕を背景とした「貴族文化」であったと振り返り(※7)、『Quick Japan』(太田出版)の創刊編集長の赤田祐一は、村崎や青山のふるまいは高学歴の人間たちによる「痴的遊戯」と評している(※8)。いわば鬼畜系サブカルチャーは遅れてきたバブルに沸く出版業界から生み出された鬼子であった。
 鬼畜系は読者にはどのように受容されたのか。75年生まれの雨宮処凛は、20歳そこそこだった90年代なかばに社会の底辺でフリーターとしてうごめく自身にとって村崎の言葉は「救い」であり「彼がゴミを漁り、すかしきった人々の隠したい恥部を晒せば晒すほど、自分自身も一緒になってこの世の中に復讐している気がした」と振り返る(※9)。シェアハウス運営などを通し新しい生活を模索し続ける78年生まれのphaは10代後半で村崎に触れ、「あの頃の僕は普通の社会に適応できる気がしなくて、逃げ場を求めて普通の人が読まないようなヤバいものを追い求めて鬼畜系雑誌を読んでいた」と述懐する(※10)。建前や常識を取っ払った村崎の本音の言葉は、社会に対して生きづらさを感じる層にダイレクトに届き、救いや癒やしを与える効果もあったのだろう。
 私は鬼畜系とは1960年代にNHKで放送されていた人形劇「ひょっこりひょうたん島」のようなものではないかと思っている。現実の社会に息苦しさや違和感を覚え、漂流(逸脱)を始めた人間がたどり着く先に村崎の言葉がある。原作者の一人であった井上ひさしは物語を作るにあたり子供向け作品ゆえ、現実問題として孤島の暮らしで生ずる水や食料不足などの飢餓の要素を取り入れず条件付きのユートピアを仮構した。その姿は出版バブルに支えられながら、バッドテイストな表現を繰り広げていた鬼畜系の人々に重ねられる。単なる「貴族文化」「痴的遊戯」であったとしても、それに救われる人たちもいたのだ。
 鬼畜系の本質は、露悪的な表現のインパクトを通して、既存の道徳や一般常識とは異なる価値観や視点を読者に提示する試みにあったとも言える。村崎にはその扇動者(アジテーター)としての意識が強く存在していた。

4、社会の相対化としての鬼畜系

 村崎百郎の唯一の単著、96年発行の『鬼畜のススメ』(データハウス)には「世の中を下品のどん底に叩き堕とせ!!」の副題が付く。村崎が敵視したのは80年代に達成された高度消費社会であり、バブルに浮かれる世の中に対し逆張りとして「スカしてんじゃねぇ!」と汚穢に満ちた言葉をぶつけた。
 ところが村崎の来歴を見ると80年代にコピーライター養成講座に通っている。この時代、糸井重里を筆頭にコピーライターは若者の憧れの職業の一つだった。村崎は80年代のトレンドに背を向けず、むしろ只中へコミットしている。そこで下品な言葉を考えるセンスに気づき「鬼畜系」が生み出される。村崎はスカした世の中や社会を嫌い憎悪の言葉を投げつけたが、体制がなければ反体制が存在し得ないように、抵抗の対象が強固に存在してこそ成立する。
 村崎のライターデビュー媒体は『ユリイカ』(青土社)95年4月臨時増刊号の「総特集:悪趣味大全」である。そこでは「ゲスメディアとゲス人間/ワイドショーへの提言」として、ゲスな話題を好んで取り上げるワイドショーと、それを楽しむ視聴者を総じてゲスであると罵る。このテキストは年末年始のテレビを観て書かれたようだが、雑誌が書店に並ぶころにワイドショーはオウム真理教をめぐる過熱報道一色に染まるため予見的な原稿だ。
 この年、1月に阪神・淡路大震災が起こり、3月にはオウム真理教によって地下鉄サリン事件が引き起こされる。戦後50年の年に起こった2つの出来事は日本の安全神話を根底から突き崩した。それは村崎が嫌悪した「スカした世の中」が崩壊する端緒ともなり、以後、村崎のプレゼンスは年を経るごとに低下してゆく。2000年に唐沢俊一との時事対談『社会派くんがゆく!』シリーズを開始した時点で村崎の発言からはかつて見られた社会への剥き出しの憎悪が後退し、傍観者としての立場から茶化しを入れるものに変質しているように見える。村崎は汚穢に満ちた言葉で社会の相対化、低俗化を試みたが、この時点で悪罵を投げつけカウンターをかける対象はもはや強度を失っている。はからずも村崎が目指した社会の凋落は現実のものとなった。
 それでも村崎の言葉は蕩尽(とうじん)されず無用にはならなかったと私は考えている。80年代のコピーライター講座で商品にならないくだらないフレーズを考えつづけたような無駄な行為、脱線や逸脱の態度こそが村崎の言葉を延命させたように思う。
 村崎は生涯に渡り「電波」に苦しんだように、どうにも社会から逸脱してしまう存在である。『鬼畜のススメ』は『危ない1号』1巻では『完全ゴミあさりマニュアル(仮題)』として近日刊行が告知されていた。このタイトルは93年に発行されベストセラーとなった鶴見済『完全自殺マニュアル』(太田出版)を意識したものだろう。鶴見の著作は首吊りや飛び降りなどの自殺の方法が詳細なデータとリサーチに基づき淡々と紹介されるクリアな構成が話題となった。ところが村崎の著作は、マニュアル本を目指しながらもやはり脱線してゆく。
『鬼畜のススメ』にはゴミあさりのハウツーを取り上げたマニュアル要素もあるが、大部分は雑誌連載や日記などの雑文で埋まっている。何よりタイトルは72年の寺山修司の著作『家出のすすめ』に由来するものだろう。村崎が90年代に世に問うたテキストは、むしろ80年代より過去に遡行した70年代の趣すらある。村崎は90年代に時代不相応な決定的に遅れた言葉を記し、その古さがネットとの接続を拒んだ。ここでも村崎の特性である脱線、逸脱、ズレが機能している。

5、なぜ90年代が重要なのか

著者情報

フリーライター/批評家

鴇田義晴

ときた よしはる

1982年、千葉生まれ。「90年代サブカルチャーと倫理:村崎百郎論」で「2022すばるクリティーク賞」受賞。そのほかの論考に「蒼空と革命:見沢知廉論」(「すばる」2023年2月号)。『中央公論』(中央公論新社)、『SPECTATOR/スペクテイター』(エディトリアル・デパートメント/幻冬舎)などにも寄稿している。

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