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連載

福島を語る

地方から見るジャーナリズムの危機

三浦英之(朝日新聞記者・ルポライター)×五百旗頭幸男(石川テレビ記者・ドキュメンタリー映画監督)対談

三浦英之(新聞記者、ルポライター)

五百旗頭幸男(石川テレビ記者・ドキュメンタリー映画監督)

五百旗頭 ネット上などで「マスゴミ」とよく言われますが、本当に悔しいですね。私が所属していたチューリップテレビは、平成元年にできた新しい放送局なんです。取材現場などでもずっと見下されてきました。県警キャップになって県警幹部に挨拶に行ったら、「え? お前、チューリップテレビ? 痛いよな」と言われるんです。中央からきた記者が私たちに対して不遜な態度をとることもたくさん見てきました。でも、いつか見返してやるぞという下剋上の精神をもってやってきました。自分たちはずっと弱い立場できたからこそ、弱い立場の人たちの気持ちも分かる。それを見失ってしまったら終わりだという危機感を持っていました。

 

「復興」という免罪符

三浦 報道とは何か、新聞に求められるものは何なのか、ということについて、福島で取材をしているとよく考えさせられます。福島で市井の人々の話を聞いていると、紙面で大きく取り上げられる行政発表のイベントや復興政策のニュースなどについては、誰もほとんど読んでいない。みんなが食い入るように読んでいるのは、実は死亡欄なんです。かつては一緒に暮らしていたご近所さんが、今はもうバラバラになって避難生活を送っているので、誰が死んだのか分からない。それを知るために死亡欄を読む。そして自分と同じ境遇にある避難者や被災者が、今どんな人生を、どんな感情を抱いて生きているかというストーリー記事を、みなさん熱心に読んでいます。福島にはいまだに圧倒的な不条理が存在しています。かつて‟DASH村”があった場所として知られている福島県の旧津島村には震災前は約1400人の人が住んでいましたが、放射線量が高くてまだ一人も帰れていません。そういう現実が未だにあるのに、メディアが行政発表に乗って「復興」を大々的に発信することは、行政の「不作為」の免罪符になっていないか。「復興」という言葉は、復興できない人たちにとって、とても残酷な行政用語であることを、僕は忘れてはいけないと思います。

五百旗頭 三浦さんの『白い土地』で、発表された聖火リレーのコースを下見取材する場面がありますね。提供される情報に頼るのではなく、実際にコースを歩いてみると、そこは「復興した一部分の福島」だけがきれいに切り取られていて、本来の福島の風景はまったく見えなかった。この取材こそが記者の原点だと思いました。今は意外と、こういう取材がないがしろにされている気がします。

三浦 僕は新聞は市井で生きる人のためにあるものだと信じています。記者は本来、市井の人々と一緒に生活し、そこで感じた疑問や怒りなどを、政治家や行政に質問して記事を書く。少しでも市井の人々が生活しやすいように、社会に変えていく。それなのに、今では多くの新聞記者がみんなそろってスーツを着て、記者会見でも政府・官僚に仕込まれた質疑応答を行い、もちろんその中で闘っている記者もいるのですが、一部のメディアは事実上、政府の「広報機関」になりさがってしまっているように見えて、僕は本当にこれでいいのだろうかと思うときがあります。

 

記者の葛藤

五百旗頭 失われたメディアの信頼をどう取り戻すのか。『はりぼて』では、議員を問い詰めようとしたら記者が反対に言いくるめられてしまったり、私が最後に退職を職場で告げたりというシーンがあります。都合が悪いシーンを大事にしようと考えていました。三浦さんの『白い土地』でも、自分の中の葛藤や過去の間違いについてもしっかりと書かれていましたが、多くの記者の人たちは、自分にとって不都合な部分とか、格好悪い部分は隠したがりますよね。だけど、それでは読者や視聴者の信頼というのは得られないんじゃないかと思っています。

三浦 五百旗頭さんがチューリップテレビを辞めると告げるシーンは、見ていてヒリヒリした感じが伝わってきました。僕も、2020年に安倍前首相の首相会見に潜入して無通告で質問をしたとき、実は足がガクガク震えていたんです。首相番だけが取材を許される場所に潜り込んで質問することはルール違反だと理解していたし、そこには一生懸命頑張っている僕の会社の後輩がいるわけなんです。僕がそんなことしたら、後輩の面子は丸つぶれです。僕も東京であったら同じことはできなかったかもしれない。でも、福島に首相が来たのであれば、僕は福島の記者なので、少しくらい無茶しても許されるだろう。だから、ルール違反だとわかっていても、思い切って質問をすることができたんです。地方だからこそ、できることがあるんだと思います。

 

「安全地帯」こそがリスク

三浦 今、福島には自由に物が言えない空気が確かにあります。要因の一つは、東京五輪の招致時に安倍前首相が「アンダーコントロール」と表現したことです。みんなが復興五輪を盛り上げようとしているところに、「原発が危ない」と言うと、水を差すことになってしまわないか。果たして、「アンダーコントロール」されているのは誰なのか。『はりぼて』を観ていると、それはあるいはメディアなのかもしれないと僕は思いました。では、実際にコントロールしているのは誰なのか。そこには必ずしも具体的な主体者がいるわけではなくて、情報を取材し、発信する側の、忖度する空気や気配のようなものではないか。質問したら相手の気分を害して、自分が担当を外されるんじゃないか。権力者に嫌われて、自分だけが「特オチ」するんじゃないか。そうした恐れが、記者やメディアを「コントロール」しているのではないか。記者が権力に物を言う勇気を持てなくなったら、それこそ戦前と同じような状況になってしまいます。だから、僕はたとえ叩かれたりするリスクを負ったとしても、SNSを使って個人の意見を積極的に発信していくことが大事だと思うんです。俺は取り込まれないぞ、私はしっかりと抗っていくぞ、という姿勢を権力や世間に積極的に示していく。組織の中の「安全地帯」で静かにしていれば安泰だと考えている人も少なからずいますが、組織の中では自らの意見が薄まり、外部の意見や批判に晒されないことで、結果的にジャーナリストとしての足腰が弱くなっていく。為政者にとって、組織に比べて個はコントロールがしにくい。その点でも、SNSは有効です。

五百旗頭 ドキュメンタリー番組を作っている立場からすると、自分もある程度リスクを背負って危険地帯に身を置かないと、いいものが撮れません。だから、安全地帯にいることのほうが、むしろリスクは高いのではないかと私も思います。

 

硬直化した組織を個の力で動かす

三浦 メディアは今、大きな分岐点にいます。既得権益としての記者クラブの問題だけでなく、天皇制や五輪開催や自社の不祥事といった「タブー」にどこまで切り込んでいくのかという問題について、同世代の間でも、「このままじゃ、まずいよ」と声を上げている記者が次々と出てきています。一人じゃ流されちゃうかもしれないけれど、その声を集めて、個と個をつないでいければ、まだまだ僕らは踏ん張れる。

五百旗頭 私は今でも組織(石川テレビ)に属していますが、組織の記者やディレクターも、やっぱり個人として見られる時代だと思います。視聴者も読者も、「この記者、このディレクターの記事や番組を観たい」という方向になっていきますよね。個としての活動が結果的に組織にも還元されていきますし、個が力を持てば、組織に対する牽制にもなるんですよね。だから、個が力を持つことによって、組織の健全化につながり、ジャーナリズムを立て直すことができるんじゃないかと思っています。

三浦 そうですね。まずは僕たちの世代がここでなんとか踏ん張らないといけない。そして同じ志を持った人たちが次々とつながって、大きな面的なネットワークができれば、まだまだジャーナリズムを立て直すことは十分に可能だと考えています。

著者情報

新聞記者、ルポライター

三浦英之

みうら ひでゆき

1974年、神奈川県生まれ。『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』で第13回開高健ノンフィクション賞、『日報隠蔽 南スーダンで自衛隊は何を見たのか』(布施祐仁氏との共著)で第18回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞、『牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って』で第25回小学館ノンフィクション大賞、『南三陸日記』で第25回平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞、『帰れない村 福島県浪江町「DASH村」の10年』で2021年LINEジャーナリズム賞、『太陽の子 日本がアフリカに置き去りにした秘密』で第10回山本美香記念国際ジャーナリスト賞、第22回新潮ドキュメント賞を受賞。

石川テレビ記者・ドキュメンタリー映画監督

五百旗頭幸男

いおきべ ゆきお

1978年生まれ、兵庫県出身。大学卒業後、富山県のチューリップテレビに入社。記者、キャスターを歴任。「異見~米国から見た富山大空襲~」(2016年10月)で日本民間放送連盟賞優秀賞、「はりぼて~腐敗議会と記者たちの攻防~」(同年12月)で第43回放送文化基金賞優秀賞を受賞。立山黒部の世界ブランド化構想をテーマにした「沈黙の山」(18年12月)で、第56回ギャラクシー賞選奨を受賞。2020年4月より現職。2020年8月、初の監督作品となるドキュメンタリー映画『はりぼて』(砂沢智史との共同監督)が公開された。

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