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幸せにつながる性知識を身につけよう!

性を知ることは「健康」と「人権」を学ぶこと

村瀬幸浩(性教育研究者)

(構成・文/畠山理仁)

 学校教育では、子どもが質問しなくても「ある年齢にはこういったことを教えるべきだ」というカリキュラムがあります。もちろん、家庭教育にはカリキュラムなどありません。しかし、大人は子どもから質問があった時にちゃんと答えられる力を持たなければなりません。それには親がまず勉強して正しい知識を持つことです。自分の身体、異性の身体の仕組みをきちんと知り、生理現象も説明できるように学んでください。
 さらに理想を言えば、幼少期から小さなことを積み重ねてほしいと思います。大切なのは、性に対するコンプレックスや忌避感をなくすことです。性の学びは、性行為やセックスの知識だけで終わるものではありません。より健康に生きていくための勉強、相手の人権や自分の人権を尊重していくための勉強だという意識で臨んでほしいと思います。
 たとえばトイレにある「汚物入れ」という呼び方もやめてほしいと思います。英語では「サニタリーナプキンディスポーザル」。日本語に訳すと「衛生用品入れ」です。そこにはネガティブな価値観がありません。
精液や経血がついたパンツも、「汚れたもの」ではなく、汗がついたシャツと変わらずに扱ってほしいと思います。「汚物」として扱っているうちに、「性に関するものは汚いものなんだ」というイメージがついてしまうからです。無意識のうちに刷り込まれるイメージは、性についての意識を形作る基礎になります。
 同様に、性器のことを「陰茎」「恥部」などのように、マイナスイメージと一体化した言葉で示すことや、自慰行為を「マスターベーション」(=手淫)と呼ぶことも、意識的に避けてほしいと思います。自慰をみだらな行為だと断じるのではなく、心身の健康を保つ行為、性欲を自己管理する行為、自分で自分を喜ばせる行為だと考えるために、私は「セルフプレジャー」という呼び名を推奨しています。

幼いころから大切さを教える

 それでは、大人は子どもに対して性に関する知識をいつ教えればいいのでしょうか。
 幼少期であれば、お風呂の時がいい機会でしょう。とくに幼少期においては、性器も含めた自分自身の体に対するポジティブな意識をぜひ育ててほしいと思います。その時には、「口」「胸」「お尻」「性器」などは恥ずかしい場所としてではなく、「プライベートパーツ」という、特別に大切にしたいところであることを教えてあげてください。そして、遊びの延長や軽い気持ちで他人に見せたり、他人のプライベートパーツを触ったりしてはいけないことを伝え、誰かが無理やり見たり、触ったりしてきたときは必ず信頼できる大人に教えるよう言い含めてください。性虐待や、性犯罪被害から身を守ることにもつながるはずです。子どものころから「性器は恥ずかしいところではなく、大事なところだから、大切に扱ってね」と語りかけていけば、そのイメージは成長した後も残ります。自分の身体を肯定的に捉えることは、相手の身体や関係性を大切にすることにつながります。
 また、「私はどこから生まれたの」「お父さんやお母さんに似ているのはどうして」と聞かれた時もチャンスです。子どもから疑問が出されれば、「それじゃあ勉強してみる?」と言って出産やセックスについての勉強ができます。この時に大切なのは、淡々と話すことです。オーバーに話したり、親が「いやらしい」と思って話していると、子どもはその雰囲気を敏感に感じ取ってしまうものです。
 幼少期のうちに、家庭内でどれだけ性に関する対話をできるかが、その後の性に関する意識に大きな影響を与えます。

子どもが思春期になったら…?

 思春期の手前までには、冒頭でお話しした「フィクションの性」についても、話しあっておくことが望ましいでしょう。インターネットなどを介した性知識の流入を止めることは、もはや不可能だと思いますが、例えば中学生のうちは「パソコンは居間だけで使う」「夜間はスマホを預かる」など、家庭での約束事を守らせるという対応をとることは、必要であり、可能です。
 子どもが思春期を迎えると、親に対して性に関する質問をしてくることは少なくなります。これは中高生であれば普通のことです。初潮、精通の後、性を意識するようになると、親との関係も変わってきます。女子にとっては父親が、男子にとっては母親が「異性」になってくるのです。子どもの自立のために欠かせない変化です。
 思春期以降は、子どもからの質問を待つのではなく、子どもを注意深く見つめて、様々なサインを見逃さないことが大切です。発毛や声変わりなど、子どもの肉体に大きな変化があった時が、性の問題を話すきっかけになります。恋人ができる、帰宅時間が遅くなる、携帯電話を欲しがるといった、生活に関する変化があった時も好機です。女の子であれば母親か年長の女性、男の子であれば父親や年長の男性という役割分担で、話しやすい、聞きやすい環境を作っておくことが理想的です。
 思春期の子どもたちは不安な時代を生きています。性の話をしていいんだよ、聞いていいんだよという雰囲気があり、相談できる大人が身近にいれば、子どもが困った時に、大きな安心感を与えることになるでしょう。

性の学びは一生もの

 私は性に関する講演を全国で行なっていますが、近年は「高齢者の性と生」について聞きたいというリクエストが多くなっています。若い時代が終わり、情熱のセックス、生殖のセックスの時期を過ぎてからも、人間は長い時間を生きます。しかし、そこをどう生きるのかという情報は、全くありません。
 あるとしても、男性は「死ぬまでセックス」という言葉に象徴されるような、これまでのジェンダー観にとらわれた情報ばかりです。日本人はいくつになっても、勃起、挿入、射精にこだわるセクシュアリティーから離れられません。私はこうしたセックス観から自由になって欲しいと思っています。
 高齢になった後にも若いころと同じセックスをしようとするのは無理があります。女性は50代半ばで閉経しますが、そこから30年以上も続く人生を、どう人間らしく生きていくかを考えてほしいのです。パートナーがいれば、性に関しても、たがいに自分の気持ちを伝えあってこそ、納得のいく暮らしが可能です。
 性教育というと、肉体の性しか思い浮かばない貧困さがあります。しかし、性交とは、相手との人間関係の上に成り立つ、高度なコミュニケーションです。相手を包んだり、相手を支える性を、どうお互いに共有できるか。そこを抜きにして、たのしい人生を生きられるはずがありません。
 だからこそ、性の問題は、誰もが年齢に応じて学び続けなければならないのです。

著者情報

性教育研究者

村瀬幸浩

むらせ ゆきひろ

1941年生まれ。東京教育大学卒業。私立和光高校の保健体育科教諭として25年勤務。その後、一橋大学、津田塾大学、東京女子大学で「セクソロジー」の講師をつとめた。1982年「“人間と性”教育研究協議会」の設立に参画、現在は同幹事。日本思春期学会名誉会員。著書に『男性解体新書』(1993年、大修館書店)、『男子の性教育』(2014年、大修館書店)、『ヒューマン・セクソロジー』(2016年、子どもの未来社)、『タジタジ親にならないために』(2017年、子どもの未来社)など多数。

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