「大学入学共通テスト」と「新学習指導要領」によって「国語」教育は劣化する<br/>~英語の民間試験導入だけではない!「国語」だって記述式試験や教育改革で大混乱?~
紅野謙介(日本大学文理学部学部長)
「大学入学共通テスト」が2020年度から始まる。その英語の試験に民間業者の試験を導入する件が大きな論議を呼び、延期されたことは記憶に新しい。しかし、問題は英語だけではなかった。紅野謙介さんは、「国語」についても警鐘を鳴らす。共通テストの記述式試験みならず、これは社会の危機だ。紅野さんにご寄稿いただいた。

「大学入学共通テスト」の問題点は英語の民間試験導入だけではない
2019年11月1日、文部科学大臣による「大学入学共通テスト」の「英語」民間試験の導入延期というニュースが日本中を駆けめぐった。数年前から「英語」の民間試験導入の問題点はさんざん指摘され、反対の声が大きかったにもかかわらず、ここに至るまで引き延ばしてきた責任は文科省および大学入試センターにある。
しかし、民間試験の導入は氷山の一角に過ぎない。より大きな問題は「国語」と「数学」の記述式試験にある。「数学」は数式の他に、解決の方法などを記述させることになっていた。ところが、プレテスト(2020年度から始まる「大学入学共通テスト」に向けて、大学入試センターが17、18年の11月に高校2、3年生を対象に実施した試行調査をいう。)の正答率があまりに低かったため、数式を中心とした短い解答方式に変更されたが、それでもまだ記述式を貫くという。そしてその欠陥がより明らかなのが「国語」の記述式試験である。
まず、前提から説明しよう。試験問題にはさまざまな形式がある。記述式問題もその一つである。これに対して大学入試センターが実施してきた「センター試験」はマークシート式問題で用意され、選択肢から解答を選んで解答用紙にマークをつけるという形式を採用してきた。この二つの他にも小論文形式とか、コンピュータ上の出題の指示に従って解答するCBT方式など、試験の形式はさまざまである。またどれにも一長一短がある。記述式問題は多くの国公立大学では「センター試験」のあとの二次試験で採用してきた。理系や医歯薬系であるために「国語」を実施していなくても、別の教科(数学や理科や社会など)で記述式を用いていたところは少なくない。それが可能だったのは、「センター試験」の結果を自己採点したのちに、それに合わせて適切な志望校を決めてくるので、受験者数も少なくなっていたからである。
ところが、2021年1月の「大学入学共通テスト」では、「国語」のマークシート式問題の他に、新たに大問1題を記述式問題とし、そこで3つの設問に30字、40字、80〜120字程度の解答をそれぞれ作文する形式に変更するという。この形式は一般の高校の定期考査でも行っているから、試験として悪いわけではない。しかし、相手は50数万人の受験生である。果たして人の手による採点で可能かどうか。しかも、二次試験の出願期限を考慮すれば、採点には限られた時間しかない。
「国語」の記述式試験は問題だらけ
サンプル問題やプレテスト、その後の報道や国会内の参考人質疑(衆院文部科学委員会、11月5日)などから捕捉できた問題点を単刀直入にまとめてみよう。
⑴ 採点における公正さが保てない
人が書く言葉には表現の揺れがある。事前に正解の要素を分析し、その組み合わせで採点基準を設けていたとしても、必ず受験生の実際の解答を見てその基準を作り直すことになる。それが記述式問題という形式の基本である。そのたびごとに採点は微妙な変更を強いられるが、何度もくりかえし解答用紙を見返す時間的余裕はない。時々刻々の変更を多くの採点者で共有し、採点の見直しを徹底させるのも困難だろう。かくして客観的公正さを保つことはほとんど不可能である。
⑵ 自己採点が信頼できない
「センター試験」はマークシート式なので、持ち帰ることのできる問題用紙に自分の解答を簡単にメモし、発表された正答と照らし合わせて、ほぼ正確な自己採点ができた。それによって二次試験の志望校を確定してきたのだが、記述式になると採点においてさまざまな幅がありうる。発表された正答の範囲では収まらないため、自己採点の信頼度は低くなり、二次試験の志望校選びを誤る危険性が高まる。
⑶ 入試を実施する主体の倫理が問われる
50数万人分を採点するにはおよそ1万人が必要だという。1月中旬からの2週間強の仕事に対して、簡単にそれだけの人材を確保できるだろうか。採点業務については民間業者があたることが決まった(ベネッセコーポレーションのグループ会社が約61億6000万円で落札)。この担当責任者は国会において採点者について教科ごとに適切な人材を選抜し、事前に十分な研修を行うもので、学生なのか社会人なのか、国籍も含めてその立場は問わないと発言した(11月5日、文部科学委員会)。実際には大学生のアルバイトを雇わないと遂行できないからである。しかし、事は入試の代行業務である。適性があるかどうか、採点ミスがあるかどうかの検証は困難である。これまで入試については厳正さ、公平性があれほど求められてきたにもかかわらず、もはや実施主体の倫理が問われる事態になっている。
⑷ 問題の質が低下している
ここまで無理して記述式問題を実施するのは、記述式導入が至上の優先課題だからであろう。記述式にしなければならない、しかし、採点の公正さを担保しなければならない。この両立しがたい命題のために、問題作成にも多くの制約と負荷がかかり、質が落ちている。採点が優先されて解答に至る条件がいくつも指定され、思考力を問うはずが、本来、記述式問題にある長所を殺している。これならば記述式導入派が批判するマークシート式と大差ない。
自己採点のむずかしさについては、11月13日の共同通信のニュースによれば、文科省は全国の国公立大学に対して「国語に導入される記述式問題の成績を判断材料から外すように要請する検討に入った」という。もはや、不確定要素が出ることをみずから認めたようなものであろう。
61億円以上をかけて、こうした変更を行う必要があるか。私はないと思う。にもかわらず強行しようというのは、決めたことはやらねばならないという思考停止の形式主義であり、民間業者との利害関係があるからと推理せざるを得ない。実害と不平等が明らかな「英語」の民間試験導入はようやく見直しが決まった。しかし、それもぎりぎりになっての延期表明である。ふりまわされた関係者、学校、生徒がたくさんいる。民間試験も記述式も同じ改革案から生まれた。同じように欠陥があるならば、「国語」や「数学」も立ち止まって再検討すべきである。またもや、追い込まれての延期になれば文科省の権威は地に墜ちる。記述式問題もいったん外して、もう一度、専門家を集めて検討し直すことが必要である。
連動する「学習指導要領」の改訂
実は、問題は「大学入学共通テスト」だけではない。この入試改革は、高校の教育改革、大学の教育改革と連動した三位一体の改革と言われてきた。入試を変えることで教育を変えるという、いわば本末転倒の改革でもあるのだが、そこでもうひとつの焦点になったのが「学習指導要領」の改訂であり、なかでも「国語」のカリキュラム改訂である。
さまざまな問題点のうち、最大のものが読解中心の教育からの転換である。中央教育審議会の答申(2016年12月)にこんな一節があった。
高等学校では、教材への依存度が高く、主体的な言語活動が軽視され、依然として講義調の伝達型授業に偏っている傾向があり、授業改善に取り組む必要がある。(中央教育審議会答申「幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善及び必要な方策について」p.124、2016年12月21日)
これに応じるように、高校の「国語」では、「主体的な言語活動」として「話すこと・聞くこと」や「書くこと」の領域に関わる授業を増やし、「読むこと」の時間数を減らすという方針が採られたのである。
これまで「国語総合」という高校1年を対象にした必修科目では、現代文・古典を合わせて週4時間程度の履修が行われていたのが、新しい「学習指導要領」では「現代の国語」と「言語文化」という2科目に分かれることになった。「現代の国語」は「話すこと・聞くこと」や「書くこと」を中心に置き、スピーチや作文、討論やエントリーシート、予算申請の書き方といった実用的な学習指導に重点を移すという。「言語文化」は反対に「読むこと」中心となったのだが、そこで扱うのは古典が大半で、しかも文法の教育は軽くして現代との接点に軸を置いた伝統文化の教養授業となった。つまり、従来あった批評や評論、エッセイを読む授業は傍流となり、古典や小説・詩歌は限られた範囲でのみ学ぶことになったのである。
高校2年以上の「現代文A・B」「古典A・B」「国語表現」という選択科目は、「論理国語」「文学国語」「国語表現」「古典探究」となった。この選択科目のなかにわざわざ「文学国語」として独立させたのだから文学を軽視しているわけではない、というのが「学習指導要領」改訂派の見解である。しかし、「文学」とは小説や詩歌、随筆を意味するだけではなく、広義においては「論理」をも含めたあらゆる言語表現の可能性を意味する言葉である。それを「論理」と「文学」というように二項対立にしてしまうことによって、「論理」的な表現を痩せ細らせてしまい、「文学」もまた狭義の意味に閉じ込められることになる。ひいてはこの社会のなかで生き生きと言葉を動かしていくエンジンそのものを弱体化させるようなカリキュラムになるというのが現状での暗い予測である。
「コミュニケーションごっこ」の罠
著者情報
日本大学文理学部学部長
紅野謙介
こうの けんすけ
日本大学文理学部学部長。1956年東京都生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士課程中退。専攻は日本近代文学。著書に『書物の近代 』(ちくま学芸文庫、1999)、『投機としての文学』(新曜社、2003)、『検閲と文学』(河出ブックス、2009)、『物語岩波書店百年史1「教養」の誕生』(岩波書店、2013)など多数。近著として『国語教育の危機』(ちくま新書、2018)、さらに『国語教育 混迷する改革』(ちくま新書、2020)を出版予定。