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悪ノリの果てにあるヘイトや差別、そして組織の中の「凡庸な悪」

雨宮処凛(作家、活動家)

 っていうか、見方を変えればこれって重大な「労働問題」ではないのか。編集の仕事で会社に入ったのに、「業務の一環」として性行為を強要されたとしたら、それは大問題だ。違法性も問われるのではないだろうか? ちなみにコアマガジンに労働組合などはなかったのだろうか。

 しかし、成人誌を制作するホモソーシャルな空気の中、「自分は性行為をしたくない」などとても言えないというのも想像できる。なぜなら、90年代〜00年代の日本には、「男はいつでも性行為をしたいもの」という昭和的価値観が濃厚に漂っていたからである。

 その上、ホモソーシャルでは自らを「被害者」と規定することがもっともタブー視されるのではないか。ちなみに90年代サブカルの文脈の中には、「どんな女ともヤレる」ことを男性が得意げに語るような文化も確実にあった。でも、それで編集者が性病にかかったりしたら? 労災は適用されるのだろうか? というか、そういうことまですべてネタにされそうだが……。

 さて、そんなコアマガジンからは多くの逮捕者が出る。

 雑誌のモザイク処理が薄いなどの理由で猥褻図画販売容疑で逮捕された者もいれば、暴走族の取材で「暴走行為を煽った」として編集者とライターが逮捕。また、大麻所持で逮捕された者もいる。

 本書では、2004年に起きた「バッキー事件」にも触れられている。「子宮破壊」などを謳う暴力的なAV撮影の現場で、女優が人工肛門になるほどの重体となった事件だ。撮影現場にいた男は全員逮捕され、その中にはコアマガジンの編集者もいたという。

 00年代はじめ頃からサブカルへの興味が失われていたことは前述したが、この事件を機に、決定的に心が離れた。

「悪ノリ」の行き着く果て。そこには女性の身体を破壊し尽くすような、おぞましい暴力が待っていた。

 先に、『BUBKA』でやっていたのは「炎上系YouTuberがやるようなこと」という著者の言葉を紹介した。

 しかし、決定的に違うことがある。それは「顔と名前を出しているか」だ。

 多くの炎上系YouTuberは、顔も名前も晒している。だからこそ社会的な制裁を受けるし、責任は常に問われる。しかし、編集者の「責任」は、滅多なことがないと問われない。もちろん逮捕などはあるにしても、読者には、雑誌を作っている人の顔は見えない。

 デビュー以来25年、一貫して顔と名前を晒している私からすると、それは随分「ずるい」ことに思えるのだ。

 ちなみに私は数年前、90年代に「鬼畜系サブカル」を読者として楽しんでいたことを総括するような文章を書いたのだが、それを発表して以来、「こいつもああいうひどい雑誌作ってたんですよ」といった感じで編集者を紹介されることがある。

 すると大抵その編集者は「いや違うんです! 会社に言われてやってただけなんです!」「仕事だから仕方なくなんです!」などと焦って弁解するのだが、その姿を初めて見た時、心底驚いたことを覚えている。

 フリーランスで顔と名前を出してやっている私には、そういう「言い分」や「言い訳」はありえないものだったからだ。自分が手がけた仕事には、全て自分の責任が発生する。しかし、この人たちは違うのか。

 そう思った瞬間、「サラリーマン怖え……」と思った。こりゃ、原発事故が起こっても誰も責任取らないわけだ、とも。

 同時に思い出したのは、「凡庸な悪」という言葉だ。

 この言葉は、ユダヤ人哲学者のハンナ・アーレントのもの。600万人ものユダヤ人を強制収容所へ移送させ、ナチスによるホロコーストの中心的役割をになったアドルフ・アイヒマン裁判を記録した著作の中に出てくる言葉である。

 凡人が思考を停止し、上からの命令に従うことで引き起こされる悪、ということらしい(近年、これに異議を唱える言説があることは承知しているがあえて「凡庸な悪」という言葉を用いた)。

 そういう意味では、この『凡夫』というタイトルそのものがはからずも何かを言い当てるものとなっていないだろうか。

 最後に。

 私はこの本で書かれていることを裁くつもりはない。そんな資格などそもそもない。

 また、著者は本書を書くことで〈返り血を浴びるだけでは済まないだろう〉 とも書いており、相当の覚悟を持っていることはわかる。

 ただ、それとは別に、悪ノリ文化を作った人たち(ひとつの出版社に限らずあのブームに関わった人たち)が今に至るまで何も問われていない上、どこの誰かもわからない匿名性の中にいることが、現在のヘイトや差別へのハードルを低くしている面は確実にあると思う。

 もちろん、前述したように部落企画での辞職などはあったが、当時の読者はそのことを知っていただろうか。また、現在だったらあの企画をした者には、とてつもない社会的制裁が科されるのではないか。

 だからこそ、サブカル寄りだったアラフィフの中には、「90年代とか2000年代、雑誌であんだけひどいことやってたけど誰も罪に問われてないよな」という思いはうっすらと共有されている。

 その感覚が、ネットの時代になって差別を容認する感覚につながっていないとは言い切れないと思うのだ。なぜなら、私たちは「差別がエンタメになる」光景をあの時代、見すぎている。

 悪ノリはエスカレートする。そして時に、人の命を奪う。

 この本に記録されていることは、決して過去の、一部の特殊な界隈のことではない。

著者情報

作家、活動家

雨宮処凛

あまみや かりん

1975年、北海道生まれ。作家、活動家。反貧困ネットワーク世話人。バンギャル、右翼活動家を経て、2000年に自伝的エッセー『生き地獄天国』でデビュー。自身の経験から、若者の生きづらさについて著作を発表する傍ら、イラクや北朝鮮へ渡航を重ねる。その後、格差や貧困問題について取材、執筆、運動を続ける。『生きさせろ! 難民化する若者たち』でJCJ賞受賞。著書に『一億総貧困時代』『「女子」という呪い』など多数。

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