「ストリートチルドレン」と呼ばれて12 家族の幸せ
工藤律子(ジャーナリスト)
夜遅く、夏休みに帰省する子ども連れで賑わうメキシコシティの東バスターミナルを出た長距離バスは、朝7時過ぎ、オルガが暮らす町に入った。そのままゆっくり町中へと進み、小さな待合室がある角で、停車。私が降車して数分たったところで、オルガがバイクに乗って現れた。
「リツコ、おはよう!」
そう言いながらも、どこか照れくさそうにこちらを見つめるオルガは、私が目の前にいることが、信じられない様子だった。その肩を抱きしめて、
「で、バイクの後ろに乗ればいいのかな?」
と、後部座席を指差すと、彼女は「うん」と頷き、いつもの顔に戻る。
オルガが運転するバイクは、田舎町の広々とした道を右へ左へと10分ほど走り、最後は砂利道を進んで、町外れの鉄道線路沿いに建つ家の前で止まった。家は借家で、コンクリートの平屋。前には広い庭があり、ロープに干された洗濯物の下を、アヒルや犬が駆け回っている。家の中からアナベレンが現れ、抱擁を交わす。長い縮れ毛で小麦色の肌をした彼女は、南国の光に包まれ、5年前に会った時よりも生き生きとして見える。
家の中へ入ると、広いリビングの端に敷かれたマットレスに寝転んだモニカが、生後7カ月の息子をあやしていた。少女はすっかり大人っぽくなっている。しばらくすると、アランもどこからか帰ってきて、親しみのこもった抱擁をしてくれる。少年はハイテンションで、ティーン真っ盛りといった雰囲気。オルガが怖い母親顔で、「何やってたの?」と、怪訝(けげん)な表情で息子をみる。
パメーラとは、1年ほど前から別々に暮らしているという。理由を聞くと、「ずっと一緒にいると、お互いにイライラしては喧嘩することが多くなって。それぞれ自分の家族と暮らしながら、たまに会う方がいいと考えたの」と、オルガ。それが正しい判断であったと、私もしばらくそこにいるだけでわかった。むろん、家族の間にも、こまごまとした問題はあるようだったが、緑豊かな環境で、ゆっくり流れる時間とゆったりした空間に身を置いて、親子水入らずの生活を送ることが、オルガ一家にちょっとした余裕と連帯感を生み出しているように見えた。父親の存在はなくとも、そこには「家族の団欒」の画がある。
アナベレンは、この時、町のコンビニで働いていた。午前のシフトで、早朝から店に出て、午後3時には帰宅し、昼食を取る。アランは、午後のシフトでピザの宅配をしている。モニカも、ネットカフェで働き、午後2時過ぎの昼食前には帰宅。オルガと息子の世話を交代していた。息子の父親は年下の高校生で、その場の雰囲気に流されて無防備なセックスをした結果、妊娠したとのことだった。
オルガは言う。
「父親は子どものことなど気にもしていないようで、妊娠を知っても、何も言ってこなかった。ある日、町でバッタリ会ったんだけど、逃げるようにして行ってしまったし、モニカはもう彼を当てにはしていないわ」
相手の少年の親を知っているパメーラは、「養育費を要求しに行こう」と提案したが、モニカはその少年と付き合いを続けたいわけではなかったため、その提案を受け入れずに、一家全員で育てればいいということになったという。
オルガは、悟ったかのようにこう話す。
「ここの生活が好きよ。貧しくても、働きさえすれば生きていくことはできるし。暑すぎるのだけがちょっと問題だけど、静かで自然に溢れてて、私にとってはメキシコシティよりもいいところだわ」
その姿は、メキシコシティの路上やスラムを転々としながら生きていた頃に比べ、落ち着いていて、重苦しい空気から解き放たれたかのように見えた。
2泊3日の滞在の間には、パメーラも、二度ほど家に顔を出した。こちらも5年前に会った時よりリラックスした様子で、私と一言、二言、自然に言葉を交わした。オルガ一家は、ここでの家族水入らずの生活に、これまでなかったような幸せを感じているようだった。

昼食を作るオルガのそばで、モニカが息子をあやしていた 撮影:工藤律子
犯罪者の溜まり場
ただ、そこには不安材料もあるということが、1日目を過ぎたあたりから、徐々にわかってくる。特に大きな問題は、ごく身近なところにあった。
到着した日から、近くの住宅の前では、頻繁に若い男たちが何人か集まってきて、バイクの脇で立ち話をしたり、敷地に柵をつけたりしていた。建物の中にも、人の気配があった。そこに集う男たちの何人かは、オルガやその子どもたちに親しげに声をかけてくるので、私は彼らがどういう人間なのか、気になった。真っ昼間から、働く様子もなく、こんなところでいったい、何をしているのか。
すると、ある時、その連中と一緒にビールを飲んでいた息子アランが家に戻った際、オルガが何やら文句をつけた。上機嫌の少年に向かって、「あんた、目つきがおかしいわよ!」と、厳しい口調で言う。
「あの人たちは、いったい何をしているの?」
私が思い切って尋ねると、オルガが小声でその胸中を語り始めた。
「あそこは、カルテルのアジトなのよ」
一時的と思われるが、カルテル、つまり麻薬犯罪組織の連中がその家を、溜まり場に使っているのだと言う。アランも、彼らの仲間になるよう、誘われたことがあるようだった。
「もし仲間に入ったら、私は家族を連れて、ここを出ていく。あんたは家族を失うことになるのよ、と釘を刺したの」
と、オルガ。
「ここを出ていく」という母親の言葉の裏には、麻薬犯罪組織が、これまでにも数々の犯罪行為を町で行ってきた事実があった。自分たちに土地を売ることを承諾しなかった夫婦を、白昼、路上で拉致し、ほしいものを力ずくで手に入れたこともあるという。私が町に着いた日にも、地元のネットニュースで、組織のメンバーが路上で誰かを銃撃したという事件が報じられていた。平穏に見える田舎町の社会にも、犯罪組織は潜り込んでおり、関わる相手を間違えると、とんでもない危険に晒されるという現実を突きつけられた。
麻薬犯罪組織はもちろんだが、薬物そのものの怖さをよく知るオルガにとって、犯罪と薬物という組み合わせは、人生を破滅へと向かわせる最も危険なもの以外の何物でもなかった。息子には、それをきっちりと伝える必要があったのだ。
メキシコでは、現在、「クリスタル」(メタンフェタミンの結晶)と呼ばれる覚醒剤が流行っている。コロナ禍以前は、主に米国に密輸されていたものだが、今はメキシコ国内でも安価に売られ、若者の間にその使用が広まってきた。それは一旦使い始めると、一気に依存が進む、危険な薬物だ。
「マリファナを吸う程度ならいいけれど、クリスタルに手を出したら、もう後戻りできなくなる。それだけは絶対に避けなきゃ」
母親は、真剣に息子のことを案じていた。まだ17歳の少年が、ビールを飲みながら危険薬物にまで手を出したら、人生を棒に振るだけでなく、命そのものが危うい。そのことを誰よりも理解している彼女は、今、家族を守るために必死で生きているのだと、息子の姿を目で追うオルガの横顔を見つめながら、私は強く感じていた。

オルガは、落ち着いている時も不安な時も、いつも家族のために美味しい食事をつくる 撮影:工藤律子