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連載

外国人を人間と見なさない「入管」の根源を問う

第24回

木村元彦(ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト)

 2016年4月からはアウンサンスーチーのNLDが政権を担ったが、2008年憲法に護られた国軍をコントロールできず、2017年8月25日からはミャンマー西部ラカイン州の少数民族であるロヒンギャに対する民族浄化が始まった。国軍や警察による無辜なる民間人への虐殺、放火、性的暴行、略奪が行われて約80万人が国を追われたが、2018年から2020年にかけての日本によるミャンマー出身者の難民認定は0、人道配慮は2であった。ミャンマー政府が一方的に国籍を剥奪し、国連の調査委員会が「世界で最も迫害されている民族」と報告したロヒンギャを入管は一人も難民認定していない。

「なぜロヒンギャを救わないのか。ミャンマーを追われて難民申請している人たちは地方に居住地域のある少数民族が圧倒的に多い。カチン、カレン、シン、ロヒンギャなどの人々です。カチンの住む北部山岳地域は翡翠の採掘地ですし、ロヒンギャのラカイン州はインド洋からのパイプラインの出入り口です。国軍はこれらの利権を狙って迫害を続けている。数字を見れば明確ですが、日本に逃れてきた少数民族の人たちは複数回申請者が多い。何度もやらされているんですよ。政治的な理由によって排除されて、救われていない状態が続いているのです」

世界の難民を前に「何もしていない」日本

 そして今年、2021年2月1日に軍事クーデターが起こった。国軍が民間人を殺し続けている現状に鑑み、5月20日に日本に滞在するミャンマー人に対して「緊急避難措置」として、6カ月の滞在と就労等を認める「特定活動」枠での在留を許可する制度が設けられた。表向きは民主国家の体をとるミャンマーの暴力的な支配構造が一気に可視化されたはずだが、ピエリアンアウン以外ではようやく9月15日にロヒンギャの家族5人が認定を受けたに過ぎない。
 30年近く在日ビルマ人難民申請弁護団の活動をしてきた渡邉弁護士は、現在も250件を超える入管関連の折衝を抱えている。約3000人のミャンマー人が難民申請をしていることを考えれば1割近くの人々を1人でフォローしている。その渡邉弁護士は現状をこう見ている。

「少数民族は(軍事クーデターの起こる)2月1日以前から、帰国すれば危険だったわけですが、そこに加えてマジョリティであるビルマ族も同様の状況になってきました。出身国の状況を見れば明らかにこの人たちは難民だと僕は思っています。ミャンマー政府に抗議する『不服従運動』をしている人は日本にたくさんいるし、それはミャンマー政府もチェックしている。ところが、クーデターが起こってからこれまで人道配慮で保護されたのはたったの4人ですよ。ピエリアンの認定後も、難民認定をせずにできるだけ緊急避難措置の枠に抑え込もうとしているわけです。人道配慮の場合、滞在1年ごとに更新して、3年たつと定住者になります。では、緊急避難措置は何回更新したら定住者になるのか、と問い合わせをしたら、『考えていません』という回答が返ってきました。要するに一時的な措置としてしか考えていない。最悪の場合、打ち切りもあるわけです。帰国させるか第三国に行かせるか。国軍が牛耳るミャンマーの状況が変わるかと言えば、どう考えても早急に変わるはずがない」

2021年2月7日、ミャンマーでのクーデターに抗議して大阪で開かれた集会

 メディアが注目する人物については、迅速に長期にわたる認定をしたが、入管の難民に対する姿勢はこの期に及んでも何ら前向きな兆しが見えてこない。渡邉弁護士は象徴的な事例をあげた。

「その証拠に日本の入管庁はアフガニスタン難民について何の動きも見せていないじゃないですか」

 米軍が撤退したことでアフガニスタンではタリバーンが復活、これを受けて大量のアフガン市民が国外に脱出を図っている。早々にカナダ政府は2万人のアフガン難民受け入れを宣言、他の先進諸国も千人単位でこれに続いている。対して日本政府は対応が遅い上に人数も極端に少なく、まさに何もしていない状況である。

入管の「体質」の根幹を問う

 難民認定に政治を持ち込む。それだけではなく、迫害被害者である難民そのものを差別し、虐待を平気で行う入管の体質はどこから来ているのか。ウィシュマさんの死亡事件の根源にあるものが存在する。1983年に作られ、1997年2月まで15年にわたって入管職員向けの研修教材として使用されてきた書籍『出入国管理及び難民認定法(難民認定)Ⅳ』(法務総合研究所)である。

 1981年に日本が批准した難民条約はその3条において出身国によっての差別的な扱いを禁じている(「締結国は、難民に対し、人種、宗教または出身国による差別なしにこの条約を適用する」)。事実、入管局長なども「難民の認定は事実の確認であり、属人的な裁量によるものではない」と公式的な見解を呈している。しかし、この研修教材の第2章「難民認定の手続」にはおどろくべき記述がある。

「ヨーロッパにおける難民問題には,その基本的な性格のひとつとして,いわゆる東西対立の中での西側による東側向けの政治的な姿勢の現わし方にこれが使われているという面がある。難民問題のこうした政治的性格というものは,我が国の場合でも例外ではなく,純粋に人道的な立場からのみこの問題に対応するのは難しいのではなかろうか」

 冷戦における難民の政治利用を引用し、最も重要な人道的観点からの対応を覆す言説を展開している。「難民認定に重要なのは事実の確認」と外には見解を出しておきながら、内部では人道からの観点だけでは難しいのではないかと述べている。それは結果的に個人の裁量を認める方向への誘導であり、内と外を使いわけているダブルスタンダードである。これだけで難民条約を逸脱しているが、続く文章が明確に政治や外交の介入を容認している。

「すなわち,同じような客観的条件を具備する外国人A及びBがあり,双方から難民認定の申請があった場合に,Aは我が国にとって友好的な国の国民であり,Bは非友好国の国民であるとすれば,我が国としては,Bの難民認定は比較的自由に行えるとしても, Aの難民認定にはやや慎重にならざるを得ないということがあり得よう。こうした場合の現実的な対応としては,A については難民の要件に該当する事実を具備するとは認められないとして認定は拒否,Bについてはそうした事実があると認めて難民認定を行う,といった処理の仕方になって現れる可能性が否定できないように思われる」

 同じ客観条件でも友好国出身の難民申請には厳しくするのは、仕方のないこととあからさまに言明している。トルコ国内で苛烈な迫害を受けたクルド人はカナダでは95%の割合で難民認定されているが(2019年)、日本では日本で生まれたその子どもたちまでが、過去何回、申請をしてもすべて不認定になってきた理由がこれで理解できよう。言うまでもなく、トルコは日本にとって世界屈指の友好国である。その政府が迫害を繰り返すクルド人を保護することは、拒否するという対応になっても仕方なし、と明文化されているのだ。
 さらに同教材の第7章「我が国と難民問題」には、これは差別煽動本ではないかと目を疑うような記述がある。

「日本というのは,そもそも,国土狭小・人口過多・資源貧困 ・単一民族の国なのだから,難民受入れの基本的な条件が整っていないのは当然である。また,我が国は日本人だけで非常に高度の和と能率が維持される国に仕上がっているのだから,自ら好んで外国人を招き寄せてこの調和のとれた環境を破壊することは避けなければならない。ただ,国際社会の声を全く無視又は軽視した印象を与えるわけにもいかないから,その限りではある程度の対症療法的な措置は採らざるを得ない。こうした意味から,日本の対応策は,国外難民に対する財政援助を柱として,国内にいる難民についてもある程度の手当てをすれば,それで一応は十分なのではなかろうか」

 戦前の教科書かと見まごうばかりであるが、「単一民族の国なのだから」と断定明記されている。言うまでもなく、アイヌ民族や沖縄、朝鮮半島をルーツにした人々のアイデンティティとその存在は無視されている。これを前提に「外国人を招き寄せ」ることは避ける、ただ、「国際社会の声を無視した印象を与え」ないようにアリバイ的な対応で良いとしている。今は改訂され、削除されているとは言え、1983年から15年間、研修を受ける入管職員は、かような偏見とバイアスを叩き込まれて、難民を拒絶していたわけである。

著者情報

ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト

木村元彦

きむら ゆきひこ

1962年、愛知県生まれ。中央大学卒業。東欧やアジアを中心に、スポーツ文化や民族問題などの取材、執筆活動を続ける。著書に『誇り』(98年、東京新聞出版局)、『悪者見参』(2000年、集英社)、『終わらぬ「民族浄化」セルビア・モンテネグロ』(05年、集英社新書)、『蹴る群れ』(07年、講談社)、『社長・溝畑宏の天国と地獄』(10年、集英社)、『争うは本意ならねど』(11年、集英社インターナショナル)、『徳は孤ならず』(16年、集英社)、『橋を架ける者たち』(16年、集英社新書)、『無冠、されど至強』(17年、ころから)、『コソボ 苦闘する親米国家 ユーゴサッカー最後の代表チームと臓器密売の現場を追う』(23年、集英社インターナショナル)など多数。『オシムの言葉』(05年、集英社インターナショナル)で第16回ミズノ・スポーツライター賞を受賞。

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