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連載

チョーディンを継ぐ誇り高きラカイン民族の二世。サッカー日本代表を目指すカウンゼンマラの挑戦

第25回

木村元彦(ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト)

気鋭の大学生GKは日本生まれのミャンマー人

 キックオフのホイッスルが鳴った瞬間、いきなり高いポジションを取ったゴールキーパー(GK)は、最後尾から絶え間なく指示を飛ばした。

「中に絞れ!」「一回、引け」「フォワード、オープン!」

 甲高いコーチングの声が芝生の上に響くとその意志を分有したかのようにフィールドの選手が連動して動く。2021年12月5日、産業能率大学と玉川大学との練習試合である。産能大の背番号1、カウンゼンマラ(以下、マラ)は、1本目の45分間、途切れることなく声を出し続けた。終始、味方が押し込み続けたためにセーブする見せ場はなかったが、その存在感は出色であった。前半で2点を先行し、予定通りハーフタイムにベンチに退くと、マラは入念なストレッチをしながら、試合に見入る。出番はもうないが、お役御免となっても気持ちをゲームから切らさない。

 試合後、コーチングのことを聞いてみた。あれはいつも心掛けていることですか。マラは少しはにかんだ表情で声を絞り出した。

「コーチングというのは自分の強みの一つだと思っています。一番後ろからピッチを見ているので、いかに俯瞰して、リスクを管理できるかを意識しています。もちろんキーパーの仕事はシュートを止めることですけれども、まずシュートを打たせないことを何よりも強く意識して、先の先まで読んでプレーするように考えています。仲間に対する声掛けも、それを言われることでモチベーションがあがるような言葉を考えています」

 派手なセービングはなくとも、危険な時間帯を相手につくらせなかった事実がその意図を物語る。監督の小湊隆延もまたマラのコミュニケーション能力の高さを認めていた。

「チームメイトになかなか要求できない選手もいる中で、マラは吹っ切ったようにいつも強く要求しています。彼はそれでいて頑固でなく、仲間の意見を素直に聞く耳も持っている」

 今や高いレベルを求める選手ならば、サッカーノートをつけるのは誰もがやっていることだが、マラはプレーごとに細分化して分析を加えている。さらには、必ずYouTubeのトップ選手のプレー映像と自身のそれを照らし合わせながら見るようにしている。

 では、今目標としているGKは?

「手本にしている選手はプレミアリーグのエデルソン(マンチェスター・シティ)です。ボールの持ち方や、パスコースの探し方を参考にしています。体格でいうと、まだまだ自分は細いほうなので、これから時間をかけてエデルソンくらいの体格を目指して体をつくらなくてはいけないと思っています。それから朴一圭(パク・イルギュ)さん(サガン鳥栖)。在日コリアンというハンディがあって、Jリーグでも各チームに一人しか所属が許されない。それでも諦めず、リスクを背負ってでも上を目指していく姿勢というのが見ていて勉強になりました。マリノス時代の一圭さんを練習試合で見たんですが、ひとつひとつのプレーを考えながら、自分で修正をかけながらゴールを守っているのが分かって、本当に賢いプレーヤーだなと感じました」

目指すはエデルソン選手

 そこに到達するために今の自分は何が足らない?

「一番足りていないのはフィジカルです。今まで積み上げてきたキーパーとしての技術は、フィジカル面を一気に鍛えることで、自分が思うよりはるかに伸びると思います。そのために筋力トレーニングの回数を上げて、瞬発系のダッシュを繰り返しています。もちろん栄養面も注意しています。どの食材にタンパク質、食物繊維が入っているかを気にして摂取しています」

憧れるGKの一人、朴一圭選手

 課題をしっかりと言語化して即答してきた。Jリーガーになるだけでなく、その先の目標を見据えた中長期のトレーニングを自らに課している。漠然とした夢というのではなく、緻密な未来への設計図を引き、自らに負荷をかけ、惑うことなく目標に向かう。

ミャンマー出身、認定難民の一家

 大阪で同胞の難民への支援活動をするミャンマー人であるアウンミャッウイン連載第20回参照)から、「難民認定を受けたバレーボールの元ミャンマー代表の友だちがおるんやけど、その息子さんが、今サッカーのプロを目指して大学でがんばっとるんや。一度見てあげてほしい」と言われて会いに来た。大学入学早々のコロナ禍でリーグ戦のレギュレーションも変わり、モチベーションが保ちにくい状況において、想像以上に高い意識でサッカーに取り組む姿勢に好感を持った。

「それは妹も同様です。コロナで会場には行けなったのですが、試合映像で妹が体を張ってプレーしているのを見て、自分もやらなきゃと思って……。彼女の活躍も刺激になっています」

 マラには4歳下の妹、イェーモンがいる。イェーモンは父を継ぐようにバレーボール選手の道を選び、世田谷区の名門、北沢中学校でプレーして21年の全国大会で準優勝を果たしている。木村沙織、荒木絵里香ら日本代表選手を多く輩出した下北沢成徳高校への進学も決まり、すでに練習に参加している。彼女が目指しているのはもちろん日本国内のトップであるVリーグである。

「コロナが広まって大学でサッカーの練習ができなくなったときは本当にショックでしたが、自分の目指しているものは変わらないですから。いつでも準備して、プレーできるようにしておこうというのはお父さんとお母さんからも言われていました。お父さんも最初は大した選手ではなかったけれど、練習によって代表になったと言っていました。だからトレーニングができない期間でも、妹と二人で公園に行って、一緒に追い込んでいました。毎日、目標を意識して生活しようというのは家族みんなで心がけていたことです」

 そして呟くようにこう言った。「4年後、兄妹そろってプロでプレーして、お父さんとお母さんを楽にしてあげたい」

 ここまで聞いて、マラから言われた。

「僕の家は決して、特別な家ではないと思っています。スポーツをする子どもがいればそれを支える親がいる。そして親には恩返しをしたい。そういうことです。僕は自分の境遇が日本生まれの日本人と異なるということで、この記事を読んだチームメイトから、気の毒だとか、特別な目で見られることも嫌ですし、今まで通り、フラットにひとりの大学生選手としてつきあってほしいのです」

若き日の父とミャンマー民主化運動

 マラの父親であるミャットゥの半生を遡りたい。ミャットゥはミャンマー西部にあるラカイン州で生まれた。仏教徒であり、民族の区分けで言えば、ラカイン人となる(ラカイン州のムスリムがロヒンギャである)。
 バレー選手としては当初、地方出身者ゆえに無名であったが、たゆまぬ努力の末、ライトポジションのプレーヤーとして認められていく。成人すると身長も185センチに伸び、ヤンゴンでの代表合宿に招かれた。ナショナルチームに選出されると、国家に加護される境遇からの変化を好まず、自ら考えることをやめてしまうアスリートが多い中、ミャットゥは極めて公正な正義感を持ち続けた。

1991年の第16回東南アジア競技大会(フィリピン・マニラ開催)で、ミャンマー代表の旗手を務めるミャットゥさん(カウンゼンマラさん提供)

 ネ・ウィン将軍による長期軍事独裁に対して、1988年8月8日に巻き起こった民主化運動(通称「88運動」)にミャットゥは現役代表選手でありながら、学生たちとともに参加する。88運動は特別な政治活動というよりも、反独裁の声をあげた国民的な大衆運動であり、ミャンマー全土でのうねりは、ネ・ウィン政権を退陣に追い込んだ。しかし、ソウマウン国軍最高司令官らによる軍事クーデターが9月に起こり、国家法秩序回復評議会(SLORC)が設置されると、国軍は武器をもって運動を鎮圧した。このときに数千人の学生が虐殺されている。
 1991年10月14日、軟禁状態にされていたアウンサンスーチーがノーベル平和賞を受賞した。同日ヤンゴン大学では、学生たちがこれを記念する集会を立ち上げた。ミャンマー民主化の象徴が国際的に評価された事実は、多くの市民を勇気づける。集会も佳境に入ったそのとき、ミャンマー国軍の戦車やトラックの一団がなだれ込んできた。人々は銃と警棒で蹴散らされ、多くの学生が暴行を受けて逮捕された。

著者情報

ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト

木村元彦

きむら ゆきひこ

1962年、愛知県生まれ。中央大学卒業。東欧やアジアを中心に、スポーツ文化や民族問題などの取材、執筆活動を続ける。著書に『誇り』(98年、東京新聞出版局)、『悪者見参』(2000年、集英社)、『終わらぬ「民族浄化」セルビア・モンテネグロ』(05年、集英社新書)、『蹴る群れ』(07年、講談社)、『社長・溝畑宏の天国と地獄』(10年、集英社)、『争うは本意ならねど』(11年、集英社インターナショナル)、『徳は孤ならず』(16年、集英社)、『橋を架ける者たち』(16年、集英社新書)、『無冠、されど至強』(17年、ころから)、『コソボ 苦闘する親米国家 ユーゴサッカー最後の代表チームと臓器密売の現場を追う』(23年、集英社インターナショナル)など多数。『オシムの言葉』(05年、集英社インターナショナル)で第16回ミズノ・スポーツライター賞を受賞。

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