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福島を語る

「復興五輪」の現場から① 夕凪(ゆうなぎ)の街

三浦英之(新聞記者、ルポライター)

 木村さんは深夜、暗闇の中で必死に3人を捜したが、どうしても見つけることができなかった。翌日、自宅から4キロ離れた場所にある東京電力福島第一原発が水素爆発し、大熊町全域に避難指示が出された。木村さんは学校に避難していて無事だった10歳の長女・舞雪さんや72歳の母・巴(ともえ)さんとともに大熊町から引き離された。

 間もなく、王太朗さんと深雪さんは遺体で見つかった。

 でもなぜか、7歳の汐凪ちゃんだけが見つからない。

 木村さんは深雪さんの実家がある岡山県に身を寄せた後、舞雪さんが原発事故による放射能の影響を受けぬよう長野県白馬村へと避難した。そして、そこから毎週のように汐凪ちゃんを探しに約450キロ離れた大熊町へと通い続けたのだ。

 中古のワゴン車の助手席にいつも長女の舞雪さんを乗せて。

 あの日から8年―。

 私が取材で長野県白馬村の自宅を訪れたときには、そんな木村さんと舞雪さんの関係も大きな節目を迎えようとしていた。震災当時10歳だった舞雪さんは18歳になり、この春には高校を卒業して製菓の専門学校に通うため、長野県を離れて東京で寮生活を始めるという。木村さんも娘の巣立ちをきっかけに生活の拠点を再び福島県内へと移すことを考えていた。

 数週間後、私は無理を言って長野県白馬村から福島県大熊町へと通う木村さんのワゴン車に同乗させてもらった。2人がどんな思いで片道7時間の道のりを通い続けたのか、実際にその風景の中に身を置きながら、2人の8年間を振り返ってみたいと考えたのだ。

 長野県北部の日本海側から新潟県を通過して福島県の太平洋側へ。深雪の長野県白馬村を午前10時に出発すると、ワゴン車の車窓はやがて荒れ狂う日本海の風景へと変わった。

 小さなアクシデントが起きたのは、昼食に立ち寄った新潟県内のサービスエリアだった。それまで静かだった舞雪さんが突然、最近付き合い始めたというボーイフレンドについて話し始めたのだ。

「どうやって知り合ったの?」

「えっ、ツイッター」

「いい奴なのか?」

「うん、会えばわかるよ」

 不安そうに質問を重ねる父と、どこか突き放すようにして答える娘。

「いや、舞雪の奴、随分生意気になりました」

 再び車に乗り込んでハンドルを握った木村さんは、後部座席で眠りに落ちている舞雪さんをバックミラーで確認しながら、助手席の私に向かって照れ隠しのように言った。「高校生ですもん、いいじゃないですか」と私が言うと、木村さんは小さく笑い、「でも、まあ、舞雪には本当に苦労を掛けたなと思っています」とちょっとしんみりした声で話を続けた。

 震災直後、まだ10歳だった舞雪さんは避難先の岡山県で周囲に明るく振る舞った。

〈前を向いて明るく生きてきたい―〉

 そんな自分で作詞作曲した歌を披露して周囲を安心させようとした。

 ところが震災直後の夏、木村さんが警察から「深雪さんの遺体が見つかりました」と携帯電話で連絡を受けたとき、偶然隣で聞いていた舞雪さんは初めて号泣した。全身を震わせ、両目から大粒の涙がこぼれているのに、口を大きく開けたまま、声が出せない。そのまま布団に潜り込んで、しばらくの間泣き続けた。

「舞雪はそういう子なんです」と木村さんはハンドルを握りしめて言った。「きっと、ずっと我慢してきた……」

 絶対に守らなければいけない。そう誓ったはずの娘がいつの間にか大きくなっている。妻の深雪さんは学校給食の調理師でお菓子作りが趣味だった。そんな母親の背中を追うように舞雪さんは調理師免許を取り、この春、夢を追って上京する。

「『俺はどうだ』と思うときが正直あります」と木村さんは前を向いて言った。「妻や娘に恥ずかしくない生き方をしているか―と」

 福島県に差し掛かった頃にはもう日が沈みかけていた。到着したのは福島県いわき市にある築40年ほどの古民家だった。舞雪さんと一緒に白馬村から運んできた洗濯機などを運び込む。木村さんは春からここに引っ越して、より頻繁に自宅周辺で汐凪ちゃんを捜す。

 汐凪ちゃんの遺体の一部が見つかったのは2年前の2016年12月だった。自宅近くの海辺から小さな首とあごの骨が見つかり、DNA鑑定で汐凪ちゃんのものと判明した。

 でも、まだ身体の8割以上が見つかっていない。

 その理由を、木村さんはこの2年間ずっと考え続けてきた。

「汐凪の身体が見つからないのは、たぶん私へのメッセージだと思うんです。『私を捜して。ここで何が起きたのか、みんなに伝えて』。そう、汐凪が言っているような気がして―」

 翌日はボランティアと一緒に汐凪ちゃんが通っていた大熊町内の小学校に向かった。教室に入って汐凪ちゃんの机に写真を飾った後、隣のイスに腰掛けて木村さんは持参した鍵盤ハーモニカでかつて汐凪ちゃんと映画館で見た「崖の上のポニョ」のテーマ曲を吹いた。

「そうそう、最近ちょっと気になったことがあってね」

 帰り際に立ち寄った、大熊町沿岸部の自宅の跡地で木村さんは言った。

「去年夏に発売された宇多田ヒカルのアルバムの中に気になる曲を見つけたんだ。『夕凪』っていうタイトルの曲で。歌詞を読んでいたら、もしかしたら汐凪のことを歌ってくれているんじゃないかと思って―」

 スマートフォンで曲名を探ると、画面上に次のような歌詞が映し出された。

〈鏡のような海に/小舟が傷を残す(中略)/あなたと過ごすのは/何年振りでしょうか/落とさぬように抱いた/小さくなったあなたの体〉(作詞:宇多田ヒカル)

 思わず胸が熱くなった。木村さんが宇多田ヒカルの歌詞に心動かされるのは、その曲のタイトルや歌詞が汐凪ちゃんを連想させるからだけではない。汐凪ちゃんが生まれて初めて出掛けたコンサートが宇多田ヒカルのものだったからである。

 私は少し心がつらくなり、あえて話題を逸らすように聞いた。

「そういえば、今度東京にオリンピックが来るじゃないですか」

「うん」

「どう思いますか。世間では『復興五輪』って呼ばれているみたいだし」

「そうだねえ」と木村さんはちょっと声のトーンを落として言った。「俺には『復興』はないからね。家族も地域も、もう戻っては来ない……。でも、正直に言うとね。俺、オリンピック、ちょっと楽しみなんだよね。できれば、東京に行って見てみたい」

 中学、高校と陸上の中長距離走の選手だった木村さんはかつて、世界陸上の会場に9日間連続で通ったことのある、オリンピックを楽しみにしている福島県人の一人だ。

「すごいからね。できれば、陸上競技を見たいんだけれどなあ」

 吹き上げてくる海風の中で木村さんが笑う。津波に洗われて基礎だけが残った自宅跡に腰掛けて、2人で簡易バーナーで湯を沸かし、カップラーメンを食べた。

 眼下に広がる太平洋は宇多田ヒカルの歌詞のように凪いではいない。岩に打ち砕かれた潮風がわずか4キロしか離れていない東京電力福島第一原発からの砂塵もろとも吹きつけてくる。

 この場所は今、環境省が定める汚染土の中間貯蔵施設の予定地になっている。原発を取り囲む約1600ヘクタールの敷地内に、計約1400万立方メートルもの放射能汚染土などが運び込まれる。木村さんは土地の売却を拒んでいるが、汐凪ちゃんの遺体の一部が見つかった海辺も、家族で遊んだ野原も、このままだとやがて中間貯蔵施設へと姿を変える。

「そうはさせないさ」と木村さんは立ちのぼるカップラーメンの湯気の中で私に言った。「俺は自分のやるべきことをやらなきゃ。汐凪のためにも、舞雪のためにも」

 私たちは今、そんなふうにして「復興五輪」の現場を生き抜いている。

 

(この連載では朝日新聞記者である筆者が、移り住んだ福島県南相馬市での生活や、朝日新聞紙上で発表した記事などをもとに、オリンピックを迎え、移ろいゆく原発被災地の様子をエッセー形式で綴ります。月1回の掲載予定です)

 

本連載「『復興五輪』の現場」は、大幅に加筆修正し、『白い土地 ルポ福島「帰還困難区域」とその周辺』(集英社クリエイティブ)として刊行されました書籍はこちら!

著者情報

新聞記者、ルポライター

三浦英之

みうら ひでゆき

1974年、神奈川県生まれ。『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』で第13回開高健ノンフィクション賞、『日報隠蔽 南スーダンで自衛隊は何を見たのか』(布施祐仁氏との共著)で第18回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞、『牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って』で第25回小学館ノンフィクション大賞、『南三陸日記』で第25回平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞、『帰れない村 福島県浪江町「DASH村」の10年』で2021年LINEジャーナリズム賞、『太陽の子 日本がアフリカに置き去りにした秘密』で第10回山本美香記念国際ジャーナリスト賞、第22回新潮ドキュメント賞を受賞。

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